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ただまっすぐ行けば

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私とVはVの実家に行くたび、ほんの5分くらいの距離にある墓地に行く。そこにはVのお母さんやほかの親戚のお墓がある。

変な夢かもしれないけど、この墓地にVと一緒に葬られるのがいいな。
死んでしまったらどうなるかわからないので念を押すため何回かそう言ったら、Vはそういう陰気なことばっかり言うなって言う。
でも何回も言ってるからきっと覚えててくれるだろう。

イギリスで住んでいた家のそばにも墓地があった。ヴィクトリア時代ふうの、大きくて凝った門が遠くからでも目について、行ったことがある。ロンドンでは有名な作家とかのお墓がある墓地が観光地になってて、そこにも一度だけ行った。

あそれから、1000年前のお城の廃墟として観光地になってる海辺の場所の一部も墓地で、そこでは数世紀も前の墓石が、潮に吹かれて表面がケロイド状になっている。

イギリスで行ったことのある墓地って言ったらそのくらい。
どの墓地もひっそりとして人が少なく木や芝生やらがあって公園みたい。ケルト独特の繊細な幾何学模様のある十字架や、テーブルのような形のお墓や、日本のお墓とそっくりな小さな石のお墓。Vのお母さんのがそれ。

私がVの実家そばの墓地が好きな理由のひとつは、墓地は昔鉄道が通っていて今は散歩道にした道の脇にあって、その小道="walk"が大好きだからでもある。小道は私だけじゃなくVも大好きだ。

小道と言っても実際に鉄道だった頃は、Vの実家のある元炭鉱街から、そのルートで世界中に炭鉱や鉄鋼を輸出していた。だから距離としては何十キロもあって、今でもその道をただまっすぐ行けば海に出る。

今はところどころ、駅のプラットホームの面影を残しながらも、サイクリングや乗馬も楽しめる、林の中の散歩道になっている。(イギリスは今でも馬を飼っている人がたまにいる。厩まで持っている人は、お金持ちの印象)

Vの姉のバーサのだんなさんはサイクリングが趣味で、"walk"を半日くらいかけて海まで行き、いつもの海辺のレストランに車で行って待っている私たちに合流する。

海辺のレストランは、Vのもうひとりのお姉さんの家の近くにある。そしてバーサの家もこの"walk"をVの実家から7マイル(約10キロ)行った先にある。

以前私はレストランがある川の河口にある1000年前の廃墟の城から海を見ながら、日本は遠いなあ、ってよく思った。

Vの実家、お母さん、バーサの家、お城のそばに住むもうひとりのお姉さん、そして海から先の私。こじつければ、この"walk"沿いに全員がいる。

イギリスは平坦な場所も多いけど、丘も多い。その丘の尾根のようなところを通るこの"walk"はほとんど起伏がない。

だから何マイル歩いても、ずっと、とても見晴らしがいい。バスで丘の下の道を行けば20分。私とVは"walk"をいつも、約3時間歩いてバーサの家に行く。
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by nanaoyoshino | 2010-06-26 00:53 | 世界の庭とごはん

案外小さいのかも?!

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自分がお国柄地域柄に「ひえ~」って驚くのはつまり、ふつうは意識しないけど、考え方価値観の枠は無意識に、特定のひとたちのあいだで共有されてるもので、それと違う考え方の枠と会うと驚くんだと思う。

たとえば日本の文化が千年単位の歴史の上ではどれだけ中国に影響されてるかってことは好むと好まざるを関わらず事実。漢字の「漢」ってのは中国を意味するのだしそもそも。で言いたいことは、これだけ字をとりいれてるってのは、その字の意味する内容というか、考え方の枠も無意識にとりいれてるんだから!

言葉を勉強すると、言葉の背景にある文化や歴史を知りたくなる。言葉はそういうものとひとつっていう気がする。ほんとに、英語はヨーロッパ言語の方言のひとつみたいだし、ローマやゲルマンやいろんな歴史が言葉に織り込まれて。でもイギリスならイギリスの独自性も当然混ざりこんでるし、アメリカに行った英語はさらにアメリカならではの移民、アフリカ系の人たち、ネイティブインディアンやらいろいろ影響してるのかな。

やっぱり距離が他の大陸と離れてるために、日本語だって、ヨーロッパほど混ざってないかもしれないけど、今も「漢字」(中国語由来)とそうではない「かな」が混ざってて、漢語の多くは、中国からとりいれられたとき概念そのものも輸入されたはず。

地球って大きいようだけど、つながってて案外小さいのかもしれない。旅すると移動距離に比例し人間が、言葉と習慣が、同時にすこしずつズレて変形していくように思えます。
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by nanaoyoshino | 2009-05-29 01:52 | hundreds of days off

イギリスはおいしいか?<2>

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とはいえロンドン以外の町で、インドと中華以外の(*)外国料理の看板を掲げるレストランには、要ちゅうい!開店当時は「やっと本格派が到来か?」ってとこても、そのうち地元イギリス庶民のあまり高くない標準に合わせる、賢いビジネス戦略がとりいれられる。で、1,2年もすると少々迷走したイギリスふう料理に外国ふうのメニュー名をつけて、めでたく地元の人気レストランへと変貌してることも。

イギリスの食べ物の定義を「伝統的イギリス料理」とするとそもそも「伝統的イギリス料理」とは何か、ってのがなんか難しそう。イギリスは意外におもうほど、「純粋イギリス人」の率は低いというか、いないのでは、というほど。地理的に近いこともあって古くはフランス系ゲルマン系ノルマン系など、いろんな人種が混じってきた歴史の中で、純粋のイギリス料理、とかいうものは実際のところ、わからないように思える。前回書いた「パイ」は確かに長くイギリスで食べられてきたようだけど、そもそもフランス由来という説も聞く。

さらに自国の食べものへもこだわりが少ないから結果、いろんな国の味を積極的に取り入れているらしく、都会に行けばいくほど「イギリス伝統料理」に出会う機会、作る人は少なくなる。

ここで「イギリス伝統料理」をイギリス人は何と考えてるのか、英語サイトにてチェックすると、 Typical Traditional British Dishes
正直このリストの半分は、私の「イギリスのあまりおいしくないもの」リストと一致してしまうのだけど!

まあ、田舎暮らしで伝統的なイギリス主婦の典型みたいなVのお姉さんでさえ、一番の得意料理はラザニアだし。お気に入りのレシピブック、最近見せてもらったけどイギリス伝統料理なんてひとつも載ってなかったような。



*なぜかインドと中華だけはインド系と中国系がほぼ必ず調理してると見受けられる上、本物の味が受け入れられてるようす。ま田舎でのおすすめは、このインドか中華系レストランに行くか、パブ併設レストランで地元の典型的な料理を食べること。だけど、パブ併設レストランは残念ながら交通不便なとこにあることがほとんど。
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by nanaoyoshino | 2009-04-28 00:56 | 世界の庭とごはん

イギリスの元炭鉱の町の、ありふれた日々。

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前回の記事からお察しのように、今イギリスにおります。Vのお父さんが日に日に歳をとってきて、動くのもままならない。ふだんは、車で20分くらいのところに住むVのお姉さん夫婦が1週間に3回ほど来て面倒を見てる。

Vは今春休み期間で、ほとんど家にいてお父さんの毎日のことを手伝ってる。お風呂で体を流してあげたり、食事を作ったり、買い物に行ったり。

まるでそんなとくべつじゃないようにでも暖かく自然にお父さんを介護してるVを見てると、誇りに思う。

Vのお父さんは、1、2年前までは自信家で、何でも自分の思うままにしたがる人だった。たしか6人兄弟の長男で、貧乏な苦しい時代に生まれたと聞いた。父親は探鉱関連の労働者で、ほとんど休まず働き通しだったらしい。母親も病気がちか何かで、長男だった彼は下の弟達の面倒を見ていた、じっしつ母親がわりだったと、別の親戚から聞いたことがある。

そんなVのお父さんにとって、今のようにみんなにあれこれしてもらわないと何もできない状況はせつないはず。去年ぐらいまでは、それでもイギリス的なセンスオブユーモアたっぷりに冗談を言って、私たちを笑わせたものだった。最近は笑顔を見せることも少なくなった。

今回も来る前に電話すると、「元気ですか」という普通のあいさつにさえ、「痛くて痛くて!元気なことなんかもうないだろうね」という突き放した答えがかえってきた。だから会う前は心配してた。自暴自棄になってるんじゃ、って。でも会ったら沈みがちではあっても以前よりは怒鳴ったりもせず、おとなしくVに介護してもらってる。

Vはふだんからよく文句や暗いことを言うけど、私にじゃなく、自分への怒りを自分にぶつけてる感じ。Vのお父さんにしてもVにしても彼のお姉さんにしても、他人を本気で恨むようなことをいっさい言わない。何か運命に文句を言わず、従ってるような感じは、聞けば聞くほど苦労の連続だった、イギリスの労働者の歴史からきてるのかなあ。
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by nanaoyoshino | 2009-03-17 04:22 | hundreds of days off

祖父母の庭とごはん<2>

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祖父母の家というと、縁側のある座敷に刀がかかってたことを思い出す。母の祖先はサムライだと聞かされたけど、子供の頃は祖先というのはみんなサムライなんだと思ってた。お座敷は灯篭のある、苔むした木立に囲まれた庭に面してた。増設したらしいトイレは家の中というより庭の一部みたいだった。

トイレの外にバケツみたいな容器がぶらさげてあって、手を洗うとき、ガラスがない窓から手をさし出して、バケツの下の針みたいなのを押すと水が出てきた。この家はもうずっと前に誰かに売られて今はもうとり壊されてるだろう。

祖父母の家に行くと、祖母の料理は子供の私にはまったりした単調なしょうゆ味で、老人くさく思えた。祖母は和食だけしか食べなかった。陰気な食器に入った煮物や、骨がたくさんあって食べにくかった魚の食べ残しくらいしか、今は思い出せない。

私の母はめったに和食を作らなかった。ハンバーグやシチューやカレーを好んた。母は食器にはこだわりがなかったけれど、母の兄弟が小さな工房で作った食器のことだけ覚えてる。大胆で抽象的な、カリグラフィー(お習字)みたいな柄。祖母もだけど、できあいの惣菜などは使わなくて、母はそれを誇りにした。

私がよく作るのは中華で、外食もほとんど和食か中華。私も惣菜やレトルトなどは使わない。1人暮らししてたときは、もっぱら明るい花柄のアメリカ風なお皿が好きだった。でも今は古典的な柄の和食器だけを使う。洋食を作る時はヴィンセントが好きな卵料理を手伝ってもらって、ときにはまったくお任せして作ってもらう。洋食はあまり作らないながら作るとしたらワインやバター、にんにくを使っても全体としてはあっさり味付けた肉料理か、オリーブオイルとクレージーソルトとお酢だけかけたサラダくらい。

母の死後、母を忘れないため母の若い頃の日記をたまあに見る。日記には祖母とのケンカのことが、たくさん書いてある。母は自分の父、つまり私の祖父に憧れてたみたいだけど、祖母とはソリが合わなかったみたい。母のボーイフレンドのことも自分の母には一切話さなかったみたい。あの家で若い母と祖母が、私が生まれるずっと前にそんなふうにして一緒に暮らしてたのはなんだか想像しにくい。
(これは母方の祖父母のことで、遅い子供だった父の方の祖父母にはほとんど会った記憶がない)
関連項目「祖父の背中」
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by nanaoyoshino | 2008-12-17 00:21 | 世界の庭とごはん

祖父母の庭とごはん<1>

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祖父母の庭は、隣の同じような2階建の家に囲まれて、いつも苔のにおいがする土はじっとり湿って乾くことがなかった。古風な垣根と玄関を通って入って行くと、父母が玄関で祖母とあいさつしてたりする間、子供の私は飛び石の上をぴょんぴょん歩いてた。石と灯篭と少しの木立に囲まれた暗く狭い庭は、たいてい静まり返ってた。

家の2階は本で落ちそうだった。2階の部屋は屋根裏部屋で、天井が低く窓が小さく室内は真っ暗だった。祖父はいつも入り口からは背を向けて、本の中に埋もれて書き物をしてた。書斎は本で埋まってしまいその後、1階の台所の隣でもある玄関脇の3畳になった。昔の玄関は3畳くらいもあって、玄関と書斎の間には円形の枠の窓がついてて、夜祖父の書斎に明かりが灯ると、竹の細い格子が風情のある模様を作った。

母の兄弟のお嫁さんが来てからは、寒い土間が近代的な台所に変わり、ごはんはお嫁さんと祖母が作った。台所の隣の茶の間で祖母はよくかつおぶしを削ってて、小さい私はときどき手伝わされた。その頃母と祖母はけんかをしなかった。2人でいろんなことをコタツに入ってとりとめもなく話してた。

祖母の両親は田舎の地主だったと聞いた。祖母が街の学校に通うため、遠い親戚だった祖父の家の下宿して、祖父母は恋愛結婚したのだと聞いた気がする。祖母はきれいなものが大好きだった。祖母のアルバムには、実家の庭でバイオリン四重奏を演奏する音楽家や、庭に建てた八角形の茶室や、自分が設計したその建物によりかかるドイツ人の建築家といったような、私には想像できない日常の写真が貼ってあった。

座敷には火鉢があった。祖母はそこで縫い物をした。それから桐のたんすの中の小さい引き出しから、いろんな色や柄の千代紙を出して見せてくれた。祖母から届く手紙は、その千代紙で作った封筒に入ってた。祖母がくれたローズ色で、もち手が大きな竹でできた傘がどんなに美しいか、8歳の私には理解できなかった。他の子が持ってるようなマンガっぽい絵の傘なんかとあまりに違いすぎて年寄りの傘みたいで、恥ずかしかった。京都のおみやげの舞妓さんの絵の小箱も大キライだった。(つづく)
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by nanaoyoshino | 2008-12-14 01:12 | 世界の庭とごはん

アフリカの庭でごはん <番外編>

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一人ベンチでかぼちゃを食べ、食べ終わるとひっきりなしの笑い声が風にのって聞こえる。笑い声はずっととても長い時間をかけて近づいてくる。舗装されてない道を踏み込む友達のお母さんと妹の足音がすぐそばにやって来た。それが何なのか特に考えもしなかったけど、お母さんが笑う声が絶えず、相当な遠方から聞こえてたのだと気づいた。
「買い物のついでに手紙を小学校にとりに行った」

洗い桶でお母さんが手洗いした私のシャツやスカートは、まもなくすっかり乾いてた。ひとりで動物を見に国立公園に出かけた後この家に戻る途中、バスを乗り換えた場所で買った赤地にトロピカルフラワーのプリントのスカートも吊るされてる。アロハといってもいいような派手な柄だけど、友達お母さんはそれを私が着るととてもきれいに見えると言い妹が訳してくれた。

お母さんはそれにアイロンをかけるためアイロンの道具を家の中から出してきて、火で熱くした木炭を鉄の小さな箱につめた。ぶ厚く重い鉄の箱は熱くてとても清潔だった。お母さんは魔術師みたいに巧みにそれで私の服のしわを伸ばした。

私は日本に帰ったらお母さんに手紙を書きたい、それから夜お母さんの隣で一緒に寝てもいいかと控えめに申し出た。妹がお母さんに伝えて「母は自分の住所を知らない」と訳した。私は笑った。自分の住所を知らない人がいるなんて想像したことがなかった。
「じゃあ、お母さんに言いたいことがあったら、どうやって知らせるの」
「ここにくればいいの、うちの家族みんながするみたいに」と妹は言った。妹にはイギリスに住む兄以外に、都心部に住む兄がいる。

妹は私の質問にあきれたように「母は字が書けないし、知っていても意味がない」と断言した。
「ジンバブエ語の文字も書けないの?」
「ジンバブエ語の文字はない、文字は英語だけしかないよ」
英語はイギリス人の植民以来で、それ以前の昔のことはわからないままなのだそうだ。
「残ってるのは岩に描かれた絵だけなの。あんたはひとりで寝るほうが気が楽だろうって母は言ってる」
妹と一緒のお母さんは普段どおり笑ってる。
「お母さんはいつも笑ってるね、心配事とかないの」
妹は少し暗い顔で言った。
「父はずっと入院していて、働けない。何年間も母はひとりで全部の仕事をやってきたんだよ」

お母さんが笑いながら何か言った。
「人生に難しいことはたくさんあるよ。だけど、心配事は何もないよ!」
妹は、もう面倒くさくなったように少し事務的で早口に母が言ったことを訳した。

私はこの言葉をいつまでも覚えてて、きっと相変わらず、自分が少し弱く感じられた時、この言葉を思い出す。私が去ってから、ジンバブエの政情不安のニュースをたびたび見た。で、妹が教えてくれた近所の小学校の住所に、字が読める妹と友達の名で、手紙を何度か書いたけど、返事は今もない。私は会社をやめたら、お母さんにまた会いに行こうと思ってる。
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by nanaoyoshino | 2008-11-01 11:50 | 世界の庭とごはん

動いてても止まってるようにしか見えない

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「ある人が何年か前ローマに住んでた時、庭から古代の柱が出てきたんだって」*‘Someone who lived in Rome a few years ago found ancient pillars in the garden.’
「発見だな。それで?」‘That’s a discovery. Then?’
「役所から来た人たちによると、紀元前200年の柱だったんだって。」‘People from the government said they were from 200 years BC.’
「すごいな!」 ‘Amazing!’
「でも別に珍しくないからほっとけって言われて、犬小屋の支えにしたそうだよ。」’But they said there were a lot of such things so just leave it. The landlord used them to support their kennel.’

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普段着の英語

以前バーサの家を改装中、壁からヴィクトリア時代の暖炉が出てきたハナシを書いた。このとき階段の手すりを覆う壁を壊したら、やはり当時の彫りものがある木の手すりが出てきたんだって。それを夫婦でやすりで磨き上げ、美術館の階段みたいに仕上がった。このテの話はとくにイタリア人からよく聞く。家の天井を改装中に何百年か前の壁画が出てきた、というたぐいの話。

日本でも、京都の友達の世間話は、近所の家の庭から数世紀前の遺跡が出てきた、とかいう話だった。以前京都駅構内で高校生がブラスバンド演奏をしてて、「空海来日記念」みたいな垂れ幕がかかってて、単位が数世紀以上だった。やっぱり10年単位の地方都市や東京と、京都では歴史にたいする感覚が違うと思う。

中高生のころ、歴史と地理の授業が一番退屈だった。どちらも人気のある先生だったけど、人気の理由が「受験に役立つ授業」というものだった。今思い出しても当時教えられたのはその時代の出来事が「点」として語られるだけの歴史だった。

歴史はその出来事が起こるずっと前から背景があり、起こった後もたとえば戦争と殺戮の記憶なんか、何世紀たっても子孫に受けつがれ消えない。対テロ戦争だって、何百年単位で続くイスラム教とキリスト教の関係の結果でもあり、すべて特定の場所の地理的条件もからんで起こっているから、歴史は地理でもあるのだ。そういう立体的な歴史の姿を、どの先生がこれまで教えてくれただろう?

だいぶ前イギリスや、インド、中国で飲んだお茶のことを書いた。(「47 気違いの紅茶」参照)こういう国で「茶」を意味する語はいうまでもなく、たったひとつの語源から来てる。旅をすると旅先で出会う、今を生きてる人たちの生活が、遠くの場所、遠い歴史とあざやかにつながる。それはいつもただひとつに見える。

*犬養道子「ヨーロッパの心」

<写真について>
世界中見られる放牧のこんな風景は、たぶん千年以上も変わってない。動いてても止まってるようにしか見えない羊の動きがますます、止まった永遠の時を思わせる。
撮った場所:イギリス
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by nanaoyoshino | 2008-09-29 01:23 | SimpleLife/普段着の英語

44 アンデルセンの花鳥風月<ナイチンゲール-5->

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「これから冷房のない家に帰るなんて、信じたくない」 」“I don’t want to believe I’m going home whithout airconditioning.”
「冷房を買わずにどれだけお金を節約したか考えてごらん」“Think how much money we saved by not using air conditioning”
「冷房って今ちっとも高くないよ」“Air conditioning is not expensive lately.”
「じゃあどれだけ環境に貢献したか」 “Then how much we contributed to environments.”
「あら、いつからエコに興味もってたの」
“Well, when did you get interested in eco?”
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普段着の英語

そういえば、ウグイスが王様の病気を治した物語を読んだことがある。ウグイスの歌声の評判を聞いた中国の王様が、森に人を遣りウグイスを連れてこさせた。王様は歌声を愛したけれど、ある日宝石をちりばめた人工のウグイスがプレゼントされると本物のウグイスのことは忘れてしまい、ウグイスは森へ帰る。 

人工のウグイスは壊れて鳴かなくなり、その後王様は重い病気になった。ウグイスが病気の王様をなぐさめようと、戻って美しい声で鳴くと、王様の病気は治る。ウグイスはその後お城に閉じこめられることなく、好きなとき王様の元へやってきて歌ったという話。

ネットで調べたら作者はアンデルセンだった。アンデルセンは旅が大好きで、今みたいな交通機関がなかった19世紀に、29カ国も旅をしたらしい。私が中国へ旅したとき、午後の通りで優美な鳥かごを持った人たちが集まる光景を、何回か見た。紺色の古ぼけた人民服の、中高年から老人くらいの男の人たちが、細い繊細な竹でできた鳥かごを手にし、ベンチにすわってお互いの小鳥達の鳴き声を、夢みるように楽しんでた。

鳥を愛でる王様も、アンデルセンが旅をとおして知った中国の文化にもとづいてるのかもしれない。世界中どこでも、人は自然の豊かさ美しさを愛する反面、厳しさを嫌う。アフリカとか、原始的な社会では自然は愛されるよりも怖れられ、神格化されてたりするのだけれど、西洋では、自然は克服する対象のように考えられてる気がする。

自然を克服したり怖れたり神格化する以上に、調和と共存を大切にする世界観は、エコとかロハスとか最近いろんな名で呼ばれてるけど、もともと東洋的だと思う。私の家の近くの谷間の神社の由来もネットで調べたら、弥生時代からの湧き水にちなんだ由緒ある神社だとわかった。谷間の神社や家のたたずまいも、自然と共存してるよう。

<写真について>
グロテスクなまでに生命力あふれる花。
撮った場所:東京・高幡不動尊
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by nanaoyoshino | 2008-07-06 23:58 | SimpleLife/普段着の英語

42 「小さなカマクラ」<ナイチンゲール-3->

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「紳士のスピリットって何」 "What is the spirit of gentlemen?"
「さあ、感情的にならないとか、親切にするとか」 "I don't know. Not to be emotional or to be kind."
「ピート(ヴィンセントのお父さん)は紳士?L叔父さんは?」 "Is Pete a gentleman? What about uncle Joe?"
「紳士だよ」 "They are gentlemen."
「そういえばピートもジョー叔父さんも怒ったりしないし、いつも親切だね」 "That's right! They don't get angry and they are always kind."
「あなたを含め、あなたの親戚ってみんな紳士だわ!」 "Including you everyone in your family is gentleman!"
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普段着の英語

この週末は雨ばっかりだった。土曜日は近くの、私とヴィンセントが「小さなカマクラ」と呼ぶ寺へ行った。このお寺の歴史はとても古い。鎌倉より少し後の室町時代、でも何度も火災で焼失したので今の建物は200~400年前の江戸時代のもの。このお寺は小山のふもとにあるのだけど、今も小山一つ分がお寺の敷地。だからまるでお寺=小山で、ある地域の自然といくつかの建物が一帯となった小さな世界みたいに見える。

私たちの住むところからこの「小さなカマクラ」へ行くには、小山を上って下りることになるのだ。もう下りる前からお寺の敷地で、緑の林の脇の階段を下りるとき林からウグイスの声がした。私はウグイスの透明な声に惹かれけどヴィンセントはあまり興味ない。なんか別の理由を見つけて立ち止まってみた。

家を出たときすでに雨は降り初めてたのだけど気づかず、私とヴィンセントはごく小さな携帯用の折り畳み傘を持ってただけだった。そのときは小降りで、傘は結局ささずに小雨の中を歩いた。階段のすぐとなりにもある、お坊さんの住居だったと思われる建物は、ほとんど立て替えられたり、壊されたりし、古い門だけが他とつながりもなく、無惨に取り残されてる。室町時代にはもっと広いエリアにいくつもの寺の建物が建ってて大勢のお坊さんが住んでたらしい。それよりずっと小さくなったとは言っても、まだかなりの建物が配置されたままだ。

いつものようにお寺と大通りをつなぐ車の多い通りを避けて、墓地の脇の小道を通って正門じゃないところからお寺の本堂の囲みへとはいる。そこから山門へと続く何度も通ってる砂利道へ行こうとして、急に、その道じゃない、別の道に気づく。杉林をつっきるように斜めに山門へとつなぐ道に初めて足を踏み入れる。私たち以外誰もいない山門や本堂の方を見ると、高い杉の木の間から見えるお寺の風景はまた格別に美しい。私が感心して見てたりする間、今日はヴィンセントが疲れて(いつもは私の方が先にばてる)山門の下に座った。

私が山門の周りを一周して山門の端に座ると、小雨が大雨へと変わってる。あっと言う間に目の前へ小川のような流れができて、そこにも激しく降り注ぐ雨水がはねてる。雨と雨音に閉じこめられて山門に座ってると、音がすごい。音が圧倒的で山門の中だと、雨を逃れて安全地帯の中に2人でいる感じ。すべてをたたきのめすみたいな雨音の下で、雨が落ちる杉の木に縁取られた空を見る。ヴィンセントが行こうかと言うのと同時に少し小降りになった。

夕方お寺を後にして小山のてっぺんから振り返ると、わずかに空へ反り返るたくさんの瓦屋根の重なりが薄闇に浮かび上がって、遠くの古都まで思い出させる。その晩眠りにつく前、子供のとき読んだ本のことを思い出した。山高帽をかぶった紳士的な犬・フェルディナンドが何日も続く雨に、ホテルの部屋かなんかに(記憶はあいまいだけど、*)滞在しなくちゃならなかったところ。こんなふうに開いた2ページいっぱいに「雨」という字が並んでた。

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*「すばらしいフェルディナンド」 岩波書店。

6月のイメージ&雨の季節を素敵な一枚に♪

<写真について>
門の向こうは現代。
撮った場所:東京
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by nanaoyoshino | 2008-07-02 22:20 | SimpleLife/普段着の英語