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フェイスブック。日本と欧米の使われ方

フェイスブック初心者なので推測ですが。

メールが導入された18年くらい前、(その前はメールなんてなかった)アメリカ人の友達から、気に入った冗談を集めたURLがbccでしょっちゅう転送されてきた。

英語で冗談なんて、いまだにわかるわけない。(笑いのツボって、相当ローカルなんだな)

こんなん、しょっちゅう送ってくるなよー、って思った。

近頃はイギリス人の友達は、笑えるYou Tube動画のリンクだけ貼って「見てー」と、一言二言だけ添えてときどきメールしてくる。

動画なら、動作のこっけいさとかなら世界共通に笑える。

メールに変わってそういう情報が、欧米ではフェイスブックでひんぱんに転送されている気がする。

いっぽう日本では食べものの紹介とか、ミクシィやブログでやってた情報伝達が今、フェイスブックでされている。

ミクシィとフェイスブックの違いとは関係なくて、日本人にとって食べ物と欧米人にとっての食べ物は、なんか意識のうえでしめる部分が違う、と言ったらいいか。


たとえば、あっちの大学で論文を書くとき、引用は必須。

引用というのはただの引用ではなくて参照でもある。

自分が考えることと似たようなことは、絶対に過去に、誰かがすでに考えている。(千年前に書かれたものかもしれなくても。そのために文字がある)

過去の人が考えたのと同じことを自分が考えたことのように言うのは間違いなので、過去の人がこう考えたけど自分はこう考えるということまで述べるのが正しいとされている。

誰かの言ったことを引用する、(ネットの世界では「転送」にあたる)ということが、日本人にとってと欧米人にとって、やっぱりなんか意識のうえでしめる部分が違う、と言ったらいいか。それは冗談というユーモアのセンスについても同じなんだけど。

だから気に入った情報をただただ「転送」するということが、今はフェイスブックでされている、もしかしたら最初からそういうことが主な使われ方だったのかもしれない。(ような気がする)



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by nanaoyoshino | 2012-06-27 11:17 | チェック!

ミクシィとフェイスブックはどう違う?

フェイスブック。
「ヒマなうちに使い始めよう」と思った。

次から次へと友達から友達へブラウズ。
「みんなどう使ってるのかなー」って。


フェイスブックの世界では、日本人もミクシィより国際的!!

ガイジンの友達がいる日本人の友達のフェイスブックをブラウズすれば、そのガイジンの友達は名前がガイジンで苗字が日本人の友達(ハーフ?海外に移住した日本人?)。

中国語やハングルは読めないので、日本人の友達の友達のアメリカ人からクリックしたらいつしかヨーロッパ人のページになっていた。

あれでも、フェイスブックでも案外、それ以上に情報公開してない人が多い。

30分くらいの間に30人弱ほどしか見ていないけれど、ミクシィよりもフェイスブックのほうがオープンかと思いきや、そうでもない。情報公開を友人に限って友人間のコミュニケーションに使用しているようす。

なんだ、実名原則以外、ミクシィと変わらない使い方なんじゃん。

日本人の友達のほうが情報公開をしてオープンな人が多い印象も。

フェイスブックの用語は、
「ニュースフィード」「ウォール」「タイムライン」とみんな、カタカナにしただけの英語なのに、「いいね!」だけ「ライク!」にしなかった。

でもミクシィとの大きな違いも、この「いいね!ボタンのような気がする。

押すだけで共感を伝えるツール。

とはいえミクシィが「タイムライン」だとか「いいね!」とか、最近はフェイスブックの用語を取り入れていてた。

同じにしたら存在価値がなくならないか?





両者のくわしい違いについては、以下の説明がわかりやすいと思いました。
Facebookとmixiの違いは? もう一度おさらいしてみる
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by nanaoyoshino | 2012-06-25 01:32 | チェック!

ラブドール

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息していないな、って
7番目の写真*(この写真)で思う。

*ウェブギャラリー写真集
(もし飛ばなかったらURLコピーで。http://wired.jp/2012/06/13/laurie-simmons-lena-dunham-girls/)

であ、そういや、自分は生きている、
息してるってあらためて思い出す。

なのにこの写真の娘の何も見ていない瞳は、
生きている人の言葉以上にじょうぜつで悲しげ。



私も子供の頃から人形が好きで、
人形に人格を見て話しかけてしまう。

こういう性癖を「ネクロフィリア」*と言って、
死体愛好者と同じ呼び方をされることを、子どもじぶんに知ったときは
ショックだった。

人形と死体は自分にとって、まったく別個のものだったから。


死体と人形に関する記事。
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2839589/8047957

*(性的嗜好に限らない広義で)人形や死体に話しかけるといった倒錯的行為
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by nanaoyoshino | 2012-06-19 19:56 | チェック!

イギリスの暮らしぶりとデンマーク

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イギリスに留学で来た15年前、
歩いている人たちのみなりがみずぼらしかった。

週末は若い夫婦連れが大勢街に買い物に来ており
20代と思われる母親は髪はボサボサ、
擦り切れたブラウス、
乳飲み子がいるのにタバコでだみ声と
荒れた感じ。

ところが大学に一歩はいると
男女ともモデルか?というくらい
カジュアルなのにかっこいい雰囲気の、
美男美女が隣にいて。

ああ、容貌ではなくて一定の資産があって、
ファッションにお金と時間をかけられるかどうか
の違いなのね!と思ったのを思い出した。
(当時は大学に入る人は一握りだった)

イギリスの労働者階級の暮らしぶりについては、
Vのおじさんから聞く昔は
公害で汚れた街と空気、長時間労働で
生活はきりつめてもぎりぎりだった。

たとえば私がホームステイしたことのある2つの家はどちらも、
とても小さく家具は悲しいほど安物で、
かつて訪れる前イメージした豊かなヨーロッパとは対照的だった。
もっとも驚いたのは、私は彼らにとって
たんに都合のいい収入源でしかないとわかったこと。

ただもちろん経済だから景気に左右されて、
いつでも同じ印象というわけではない。
たとえば数年前の金融ミニバブルのときは一瞬、豊かだったけど、
その前後の不況時は当時の日本より豊かではない。

数年前、北欧に行った時、北欧=モダンデザインということばかり雑誌で紹介されて、なにやらすごいかっこいい人や家ばかりかと思っていた。

日本にいると税金は高いけどゆりかごから墓場までの「福祉国家」
みたいなことだけ聞くけれど、行って見た印象はかなり違った。
(確かにモダンでハイレベルなインテリアデザインがあちこちにあったけど)

北欧って言えば金髪で背の高い美男美女という偏見も持っていた。
けれど、最初コペンハーゲンに着いて目抜き通りらしいところをぶらぶら歩いて、誰もそういう人を見かけなかった。

金髪で背が高い人は多いけど、半数以上じゃないし美人でもない。

そういう偏見は、以前南欧を旅行して電車で同じコンパートメントだった旅びとが、北欧から来たグループで長い金髪で背が高かったことから来た。

でもその後コペンハーゲンの空港で乗り継ぎで長時間ぶらぶらしていたら、空港のデンマーク人らしき人々がそろって美男美女だったので、これは容貌ではなくてやっぱり資産の違いでは?という気がしてきた。背だとか髪の色はさまざまだったけど、美醜の差も装いにかけたお金や関心の違いが大きいのだと思う。

デンマークは発展途上国ではないが、一般的に発展途上国では飛行機に乗ってるのはお金持ちだ。

そういえばコペンハーゲンでワーカーズ・ミュジアムというところに行った。

労働組合本部の建物を利用して、デンマークの労働者階級の生活や仕事、歴史を再現した博物館。

Vが言うには、イギリスの労働者階級の家や暮らしぶりと寸分違わない感じ、だそう。
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by nanaoyoshino | 2012-06-15 20:26 | hundreds of days off

イギリスの小さな古い街

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プレミアリーグ(イギリスのサッカーの試合)に行ったと書いた、スタジアムのある街のあたりを、私はとても気に入ってる。

小さな街なので、歩いて数分で街のすべてがある。
しかも共存なんてしそうにないものが。


スタジアムはゆるやかな丘の中腹にあって、
丘の上がバンド用スタンドの再生建築と
大きな池もある200年くらい前からの公園。

公園と反対側は、中世以前の石の城壁に沿って、
極彩色のネオンサインが並ぶチャイナタウン。

ここの風景が特に私にはシュールに思える。

チャイナタウンの隣はやっぱり古くからあると言ってもたぶん数十年前からの長距離バスのターミナルで、あんまりお金のない旅行者と大型バスが出入りする。

バスターミナルから丘を下ると街の中心部の広場があり、広場から坂をさらに下れば、大きな川のquay(埠頭)に出る。

このあたりにはたくさんの橋と、中世からあるパブもいくつかある。

新しい跳ね橋がある。

橋を渡っただけで、川の向こうは違う町になる。
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by nanaoyoshino | 2012-06-15 01:32 | hundreds of days off

お年寄りに席をゆずるのは、東洋の専売特許?


お年寄りに席をゆずるのは、東洋の専売特許だと思っていた。
日本とか韓国とか中国は年配者をうやまう儒教的な伝統があるからと。

そうでもないらしいことに、ロンドンで気づいた。

前回ロンドンの地下鉄で私の目の前に立った、お年よりと言っても60代後半くらいの女性1人に、なんと同時に3人もの若者が席を立ってゆずろうとした。

ロンドンのど真ん中、たしかナイツブリッジのあたりで。女性は感謝して一番近くの席に座った。

ロンドンにいた数日間×複数回、ほぼ毎日、若者が年配者に席をゆずるのを目撃した。

日本では、こんなに頻繁に見ない。たんなる偶然?

もちろん、ロンドンは人種が多様でゆずられる人もゆずる人もいろんな人種かもしれないが、たまたま目にした人たちは見かけからは、どこにでもいるイギリス人だった。

ほかの都市では以前グラスゴウのクリスマスの前、プレゼント商戦で混んだとき以外そんなに満員電車に出会わないからわからない。

私も席をゆずることが、なかなかできないダメ人間。とくにサラリーマンやってたときは、ダメだった。

言い訳であるが、朝も夜も毎日くたくたでしかも長距離通勤だったので、
席を確保できたら、もう心の中は叫びだしたいくらいうれしかった。

これでやっとぎゅうぎゅうまわりから押されなくて済む。
駅で人が入ってくるたびに、自分の居場所を確保しなくて済む。
押されるたび、自分のかばんがひっぱられないよう抱えなくて済む。
何よりゆっくり本を読んだりうたた寝ができる、と。

そんなとき、年配者が目の前に押し出されてくると、
自分の疲労感と目の前の人のを比較し、
自分のほうが疲れていると判断したらゆずらなかった。
たとえお年寄りであっても。

または、次の駅に着いたらゆずろう、と思っているうちに数駅過ぎてしまい、相手が先に下りてしまった。

サラリーマンやめてからは、通勤で立ちっぱなし、電車でくたくたということがまずないので席をゆずることができると、まわりで席ゆずりが連鎖することがある。

向かいに座ってた人が別の老人に席をゆずったり、隣の人が私のゆずった老婦人の夫と思われる人にゆずったり。

親切というのは伝染するらしい。

相手が誰であろうと、自分のゆずれる何かを差しだす。

そんな社会なら、みんな少しは生きやすい。

こんな単純なことが、これほど難しい。
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by nanaoyoshino | 2012-06-11 03:26 | hundreds of days off

イギリス女性の微笑

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切符を買おうとして列に並んで、同じように並んでいる人とふと目があったときや、
図書館で本を手にとっている際なんとはなしに顔を上げたとき。

そばをとおりがかった女性が、自分に微笑みかけているのに出会う。

微笑むといっても口を開かず口角をちょっとあげる程度。

最初の頃は、この微笑にすごく戸惑った。

なぜ微笑まれているのかさっぱり見当がつかなかった。

たくさんの「why?」が並んだ。

わからないから、微笑み返せないという罪悪感。

見知らぬ者どうしの微笑は、男性にたいていも交わされることがある。
ただし店でお金を払った男性店員に微笑むとか、女性どうしよりも具体的なやりとりがあったときだけ。

あらゆる女性が常にそうだというより、身なりの悪くない人、
どっちか言えば教養がありそうな人、貧乏でも楽しそうな人など、
普通だけど気持ちに余裕がありそうな人が微笑む。(ような気がする)

、、、まったく見知らぬ者どうしなのに。

でも、やりとりもなくたんにとおりがかった女性から男性へ微笑んだり、
男性同士で微笑んだりはしない。

基本は異性間ではなく、女性どうしだけ。
という暗黙のルールが存在する。

もし男性へ、買い物など明らかに共有するシチュエーションがないとき微笑むは、
別の意味を持つ、とはイギリス女性から聞いた。

天気がよく気分がいいときに、外でやはり気持ちよさそうに
散歩している女性とすれちがい目が合うと微笑む。

かわいい犬だなと街でふりかえったら
飼い主と目が合ったときその人が女性なら微笑む。

ちょうど、日本で女性が見知らぬ人の子供に微笑みかけ、
それから子供の母親にたいしても微笑むように。


たぶん微笑みは警戒なしのメッセージで、子供はどこの世界でも警戒する必要がないから。

イギリスの女性同士が微笑むのは、その感じに似ている。

でも、子供のかわりに犬や天気や同じ店、もしかするとただ同じ駅で同じ電車を待っているなど、何かものすごくささいなことがきっかけで微笑む。

ほかの国では、魅力的な女性に男性が微笑みかけてきたりすることはあるだろうが、
見知らぬ女性どうしがたいした意味もなく微笑むのは見たことがない。

日々の生活にせいいっぱいの途上国なら、同じ村の家族みんなとこんな微笑を交わすのかも。

でも街ですれちがっただけの見知らぬ女には微笑みかけはしないだろう。

こんな習慣はやや特権的で貴族的な感じがする。大英帝国の時代から数百年の経済的恩恵に恵まれた人々だからだろうか?

それでも、いつしか自分がされているうちに、自分からなんとなく女性に微笑みかけている。

もちろんいやだなという気持ちを持った相手には微笑したりはしない。

見知らぬどうしでも同じシチュエーションで親近感を抱いているとかに
互いにたまたま目が合うと微笑む。特別なメッセージはなくても。

相手から微笑を返されれば、ふんわりやさしい気持ちになる。






ちょっと脱線
笑うのは人間だけじゃなかったんですね。 
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by nanaoyoshino | 2012-06-06 02:27 | hundreds of days off

傘の修理屋のおじさんはどこに

このブログでもっともアクセスの多い記事、それは「傘の修理屋のおじさん」
という4年ほども前の記事。「傘の修理屋」と検索して訪れる人が何年たってもコンスタントにいる。自分がたいせつにしている傘が壊れて、修理しようとしている人が思いのほか多いらしい。

それでこの傘の修理屋がどこにあるか、書いておこうと思う。中央線西八王子駅の南口に出てすぐ東方面=左手に線路沿いに進むとつきあたり。駅からほんの1分程度。「傘修理します」と書いてあったように思うし、傘が並べてあるからわかると思う。ただ私は八王子から1年以上前に神奈川県に引っ越してしまったので、今も店が存続してるかどうか定かではない。

以前具体的な店を書かなかったのはいきなり壊れた傘を持ち込む顧客が増えて、この傘の修理屋が喜ぶと考えることが難しかったことがある。あんまりお金儲けのためにやってるとは思えないから、むしろ困るんじゃないかと思う。

ほかにはこのブログで物を売ったり宣伝したりする気がなかったから。それから東京のまんなかにあるならとにかく、相当な郊外なので、行きたくても便利に行けるところじゃないから。

でもこれだけ傘の修理屋を捜している人がいて役に立つなら、いちおうこの傘の修理屋がどこにあるか書いておこうと思う。多いって言っても、月に数人(とはいえ毎月だから累計すれば相当数になるが)だし、郊外でかんたんに行けないから、逆に大勢が殺到して困るようなこともないだろう。

それから他人のブログを読むと、その商品や店のリンクがあるほうが役に立ってよいと感じることがとても多いので、これからはこのブログでもいいと思った店や物は積極的にリンクを貼っていこうと思っている。

ちなみに、4年前に書いた記事でこの傘の修理屋のおじさんに直してもらった傘、今でもじょうぶで使っている。
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by nanaoyoshino | 2012-06-02 01:49 | SimpleLife/普段着の英語