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リンゴの木

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デンマークやドイツのホテルでは、今朝カットしたばかりのフルーツをジュースに浸して出していた。ぶどうは粒にして、リンゴや桃はカットして。

きのう近所のコンビニで買った桃にカビを発見し、あわててそこを削って残りを食べた。*1 カビの箇所を削ったあと、ほかの箇所もカットして、余っていたクリームに浸して食べたけどあんまりおいしくなかった。

今Vの家には冷蔵庫がない。お父さんが老人ホームに入ってしまい、家を売ろうというところなので家の中はからっぽなのだ。

夕方、老人ホームから戻ったVがキッチンの桃に蠅がたかってるのを見て、「これもう食べた方がいいんじゃないの」と言う。

「カビがはえてるところがあるかもしれないから」と、私はVの桃の表面をナイフで剥いたんだけど、Vは「皮がついたままがいい」と言ってほかの桃の表面を拭いて食べ、私はむいたのを自分で食べた。

ヨーロッパの人は果物をむかないで食べる。リンゴなんか、ヨーロッパのは日本のよりずっと小さいし、ぶどうの皮も薄い。だから皮をむかないでも食べられるし、ぶどうの皮はさくっとしていても、けして固くはない、すこし酸味ある皮部分が甘い果肉とバランスがよく、皮のまま食べるほうがおいしい。

むいただけの桃は、果肉のぷりっとした固さがあってそのくせ口の中で果汁が甘く広がる。

すももをむこうとしたらやっぱり皮付きがいいとVが言うので、私も皮付きで食べたのだけど、かぶりつくと甘い果汁が口のまわりにしたたって、果汁を吸うようにして食べた。

このあいだVの下のお姉さんの家の庭で、彼女を待ちながら、Vと本や新聞を読みながら過ごしてたら、ゴトッとVの後ろで音がした。見るとリンゴが1個木から落ちていた。*2

お姉さんの猫も涼しくなった外から家の中に入れてもらおうと、のっそりと散歩から帰ってきた。なかなか暮れない長い夏の日が、ちょうど暮れた。




*1 最近はイギリスでもコンビニが普通になった。土日もやってるし夜11時頃まで開いていてとっても便利、田舎の日曜日のショッピングストリートは静まり返ってるけど。

*2 これを書いて子供の頃読んだ本 「リンゴ園のある土地」 を思い出した。鉄道線路やリンゴの木の前に住んでいる女の子の話だった気がする。当時は家の前にリンゴの木、っていうような土地に住んでなかったけどイギリスとかでは庭にリンゴの木、よく見かける、たぶん日本でも気候が涼しいところでは。

この本のことが書かれたブログを発見。「子供の本はいい」
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by nanaoyoshino | 2010-08-28 02:32 | 世界の庭とごはん

橋の写真

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前回「美しい橋」と書いたVの田舎のイギリスの橋は、Vのお姉さんは行ったことがないそうだし、お父さんやLおじさんに聞いてもまるで関心なさそう。
橋の写真は、Vのお父さんのいる老人ホームの廊下に飾ってあった。橋のかかる谷はかなり深く、橋を支える柱の1本1本が、そのせいでどれだけ高いかはわからない。

Vのお父さんにどこか聞いたら、この近辺だけど遠くてとても行けないよ、とあいまいさの残る説明。インターネットで橋の名前を検索したら1枚だけ地図サイトに投稿された写真がみつかった。まったく何の説明もないものの、半野生の丘陵地帯が広がる風景の中で橋の姿は偉容を感じさせた。

地図サイトなので緯度と経度が記されていた。グーグルの航空写真でそのあたりを拡大しても真上から撮影されているので道路と橋の区別がつかず、行きかたはわからない。

ヒントは橋の影にあった。夕方撮影されたらしく秋なのか色とりどりの葉の色におおわれた森に、数百mにひきのばされた橋の影が映っていた。でもそれだけしかわからず、前回春に渡英したときは探すのはあきらめた。

今回Vといつもの散歩道を歩いているとき、きっとこの先なので、行ってみようということになった。

橋には意外にもすぐ行き着いた。Vが言うには子供のとき友達と来たときと違って、道がととのえられていて、ハイキングコースとスムーズにつながっているそうだけど、まず橋に着いて、自殺志願者を思いとどまらせる会の札があちこちにはってあるね、と言った。確かにLおじさんもこの橋の話をしたときああ、あの自殺で有名な、と言ってたっけ。

橋の下は川かと思ったら、もしかすると昔は川だったかもしれないけれど今はただ深い谷になっているだけ。橋の上を歩くとほとんど360度の景観が遠くまで見晴らせる。天気のよい日で、犬を連れた婦人や小さな子供連れの家族、サイクリストなどが行き来する。ただし橋の形は歩いてもわからないので、Vが洞穴に連れてってくれたとき側面から見た。

その後もう一度ネットで検索したら地元の人のブログで、とにかくこの橋というと即座に結びつくくらい自殺で有名で、そのため陰惨なイメージらしい。自殺以前に、この橋を造ったときも、死者が出るほど大変な作業だったという話は、Vのお父さんがぼそっと言ってた。

お父さんは最近ではもうどんなことを聞いても「その話はしたくない」というふうなとりつくしまもないことを言うけれど、洞穴の話をしたとき人口か天然かと聞いたら、谷の崖を崩して橋の土台を作ったので穴になったのだと説明してくれた。洞穴はまるで教会のドームのようにくりぬかれていて高い天井と相当な深さがあり、柱として残した部分が何本も並んで、そのすきまから陽がこぼれ落ちる様は荘厳さすらあった。

橋の形はローマ人が2000年くらい前に作った水道橋(水を通す橋aqueduct)がもとになっている。イギリスもローマ帝国の支配があったので、古い橋(人のための橋はviaductというらしい)のほとんどがローマの水道橋にならったアーチを描いた形をしている。べつに珍しいわけでもない。
(東京でこの形を連想させるのは、お茶の水の聖橋だと思う。イギリスの橋は聖橋よりアーチ型が細く積み重ねた石の文様が、歴史を語っているけれど。)

まったく知らない外国人が見れば、高い橋からの景観が見事なだけでなく橋そのものもローマの水道橋のように非常に高くて柱が細く優雅な曲線を描いて、それはもう美しい。

その後Vのお姉さんのだんなさんにこの橋の話をしたら、「その橋なら自転車で何度も通ったことあるよ!サイクリストの有名なルートだよ!」と言う。彼は地元とは言えないので自殺の話はまったく知らなかった。

たったひとつの橋でも、渡ったときの環境や気持ちというのはそれぞれ違う。Vと私も橋をいっしょに渡っても、もしかするとぜんぜん違うことを考えていたのかもしれない。
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by nanaoyoshino | 2010-08-26 09:26 | hundreds of days off

ドアから離れてお待ちください

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Vの家から歩く"walk"(散歩道)は、昔、川沿いに、街を通り港まで続く鉄道だった。

この地域は産業革命の時代に、炭坑や鉄鋼産業がさかんだった。鉄道で石炭や鉄を運んでたんだろうな。

昔の写真を見ると、Vのお父さんが働いていた鉄鋼工場には、たくさんの鉄道線路が工場内にひきこまれていて、工業用の鉄道がこのあたりにかなりはりめぐらされていたことが想像できる。

このあいだ書いた、深い谷にかかる橋も、Vのお父さんにたずねたらエンジン工場に鉄鋼を運ぶために作られたものらしい。Vによればエンジンという語は、列車も意味すると言う。いかにも産業革命が石炭エンジンによっておこったイギリスっぽい。

Vの家の前にも高台になっていて駅だったところが、今は住宅地になっている。エンジン工場と港までは50キロくらいあるかと想像するけれど、この大部分がおそらく「ウォーク」と呼ばれるハイキング用歩道になっている。

Vの上のお姉さんが住むところ、川沿いの小さな町まで歩いて約3時間ほどの道は林に囲まれ、丘陵地帯の峰に沿って作られているから、平坦で歩きやすい。

途中で林がとぎれる4カ所くらいは昔駅だったところ。今は芝生の公園のようになっていて、駅の建物は民家になっている。

一部にはまだプラットホームのかたちがそのまま残っていて、イギリスで電車がホームを出発するときよくアナウンスされる「どうぞ、ドアから離れてお待ちください」という放送が聞こえてきそう。

そんな田舎に工業用の駅など不要なはず。工業用線路ではあっても、Vのお父さんによると、ダイヤは少ないけれど客用列車もあった。林が開けたそこからの見晴らしはすばらしい。(つづく)
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by nanaoyoshino | 2010-08-21 09:09 | 世界の庭とごはん

ひとりになって、つながって

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Vの家に滞在するのもこれが最後になるのかも。私たちが日本に帰国して、この家の買い手がついたら。

半年に一度のこの数週間こうしてイギリスでただたいしてやることもなく過ごすと、いろいろ振り返りができる。この家が売られたら、それもできなくなるのかな。

2週間ほどVと二人でヨーロッパを電車で旅して、あまりにも好みが違う二人なので、正直疲れることもお互い多かったけれど、旅をしておんなじものを見て喜んだり、いっしょに達成感を味わったり。

ロンドンではボランティアとして広報のお手伝いをする団体の本部オフィスで、これまでメールだけでやりとりしてたスタッフとも会えた。仕事が楽しくてしかたがないって感じの、びっくりするくらいフレンドリーな担当者の美女と、その上司。

会社やめたからこそこんなこともできたと言える一方、なんだかもの足りない。たぶん、そのボランティアにしても、広告の仕事でも、こうしてブログを書くことや、女性としてもっと充実して生きること、すべてひとりではできない気がするし、もっとつながっていきたいな。
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by nanaoyoshino | 2010-08-21 00:05 | hundreds of days off

永遠に変わらぬ愛なんてもの

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Vの実家で今書いている。実家には「売り家」の看板が出ていて、すれ違った近所の人が「家を売ることにしたのかい」って話しかけてきたり。

こちらでは「売り家」の看板をつけたまま、住んでいる家をふつうに見かける。

家の中は思ったほどがらんとしていない。大きな家具や電化製品はそのまま。
ただ家具の中はすっかり空になっていて、あまった段ボールが隅に折り畳んだ状態でたてかけてある。

160年前から先祖が使用してきたらしい聖書が、居間に置きざりにされている。こちらでは父が息子に、同じファーストネームをつけることも多いのでVのお父さんとまったく同じ姓名の使用者の名が並んでいる。

Vのお父さんが老人ホームに入る少し前、Vのお父さんの弟 (Lおじさんのこと)が、Vのお父さん一家が、生まれたころから住んでいて最後は自分一人で住んでいた家を売った。

これでVは帰省しても行く家が、なくなってしまった。

Vは帰省するときいつも空港で、実家の向かいに住んでいる老夫婦のために、タバコを1ダース分くらい買っていく。この老夫婦はタバコが大好きなのに、イギリスではタバコに高い税金がかかるので1箱千円くらいするのだそうだ。

一度この家でいきなり見知らぬ男がぬっと入って来てビックリしていたら、彼がVに「僕を泥棒かなんかみたいに見ていたよ」と言っていた、それがVの実家の合鍵を持っている隣人だった。

去年あたりから彼はタバコをやめ、Vは彼の奥さんのためにだけタバコを買っていて、今回も私が知らない間に買っていた。

でも空港に迎えに来てくれたVのお姉さんによると、奥さんは亡くなったのだそうだ。3月に帰省したときはタバコのお礼に彼からVは紅茶をたくさんもらった。玄関でのやりとりだったので彼女には会わなかった。では彼女はその後亡くなったのだろうか。

きのうはVのお姉さん夫婦と、レストランで食事した。以前はVのお父さんが一家の長たる貫禄で必ず来ていたのに、老人ホームに入ったころから外出したがらなくなり、会食にも来ない。

Vと私が行ったプラハの労働者博物館の話をしていたらお姉さんのだんなさんが、Vの実家の地域にも同じような博物館があると教えてくれた。その博物館では彼が子供の頃父親が行っていたパブが、展示されているらしい。彼のお父さんは炭坑労働者で、仕事の後にその炭坑でビールを飲むため、まだ5歳くらいだった息子をパブの外で待たせたのだと言う。彼は博物館で、父親が通っていたパブの中を初めて見たんだって。

Vは故郷の近辺を一緒に歩いていると、急に不機嫌になることがある。以前は空港から故郷にバスで近づくだけで顔がだんだん不機嫌になった。

今日は以前鉄道が走っていた深い谷間にかかる、美しい橋を見に行ったとき、不機嫌になった。Vが子供の頃以来行ったことがなく行き方を覚えてないというのだけど、地図で探したら近所だった。谷間の洞窟も思い出して連れてってくれた。

いったいどういう過去が、彼をここまで急激に不機嫌にさせるのか、わからない。でも過去のことを聞きたいとも思わないので、不機嫌の理由はとくに聞かないで、勝手に不機嫌になる彼にこちらも不機嫌になる。

どんなことも永遠に変わらずにいることなどない。たとえばVのお父さんとお母さんの愛が永遠に見えたとして、それはお母さんが早く亡くなったという変化のためかもしれない。

私はVの家族が永遠に何も変わらないようないかのように考えていたけれど、いろんなことが、急激に変わっている。
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by nanaoyoshino | 2010-08-15 20:31 | hundreds of days off

ヨーロッパじゅうがバカンスシーズン!

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今ロンドンから書いています。(写真はプラハです)Vが予約してくれたホテルはロンドンの中心地にあるにもかかわらずこの部屋は小さな手入れされてない庭に面している。庭に大きな2本の木があり、窓の前の木の葉が揺れるたびに木漏れ日が部屋の中でも揺れる。隣は普通の民家で、コンサーバトリー(ガラスのサンルーム)が葉の陰からかいま見える。

すぐ近くのハイドバークに散歩に行き、なんだかものすごく混んでるパブに「フィッシュアンドチップス」の看板があるのを見つけて注文。これまで食べた中で一番おいしいフィッシュアンドチップス!


私は一人旅のときは、とにかく前日に行くところを決める、というタイプ。ほとんど事前に宿を予約したりすらしない。

Vは何もかも予約したがる。そのくせ、前日どころかぎりぎりまで何も決めないのだから始末に困る。

私はかなり前に旅行会社に電話してユーロパスの規則や価格をVに伝えて、どうする?と投げていたのだけど何も決めず、結局出発前日、まさにぎりぎりになって買うことにし、わざわざ専門旅行会社まで買いに行き緊急手配料金まで払った。

デンマークから2週間ほど北欧中欧を列車で旅し、初めは個人の大人の落ち着いた旅人がほとんどだったのに、ここ数日で急に電車はバカンスの旅人でほぼ満員状態になり、ユーロパスは予約ではないので、私たちも大荷物をかかえて席を探すはめになった。

自転車と一緒に電車に乗る人やバックパッカーも多く、電車の中は荷物と人でごったがえしている上、古い車両だとコンパートメント仕様で、極端に狭い廊下は歩きづらい上、個室の席は見ずらい。

私はいつものナイロンショルダーバック、Vはスーツケースで、大きな荷物持って、ヨーロッパは、予約と自由席が混在しているので席を一つ一つ確認して歩かなくちゃいけなかった。

ベルリンからコペンハーゲンに電車で移動したとき隣の席にいた女性たちは一人旅、二人旅の全員が40〜50代のバックパッカーで、どこの国の人なのかわからないけど、だぶだぶのモンペ風パンツや長いスカート、髪はラフに束ねたり、ベリーショート、カーリーをもじゃもじゃにしアップしたりと、自由でリラックスした雰囲気。

「ここは予約されている席ですか?」と私たちが尋ねても、「そうかもしれないしそうじゃないかもしれないけど、まあとにかく座ってみたら?」との返答。何回か前の記事で書いたように、旅というのはほんとに何が起こるか、じっさい何が起こってるのか知ることは難しい。

「予約」と書いてある席に着いて車掌に聞いても、「だいじょうぶ!」と言って、「自由」と書いてある席に座ってもつぎつぎに人が乗ってきて予約者が来ると、近くの空いている席へとそのたびに移動しなくちゃいけない。

それでも中年のバックパッカーはぜんぜん気にかけるようすもない。

もちろん気持ちよい人ばかりじゃないのは世の常で、大人数の高校生くらいのバックパッカーは、地元の乗客を、大人数の傲慢さで、自分たちで席を独占するために追い出したり、旅人のマナーのほうが見苦しいことも多い。

自由のおおらかさと自由のために感じられる荒廃した秩序のなさ。それがヨーロッパらしさでもある気がする、とVに言ってもぜんぜん理解が得られない。彼らにとっては、その自由が、あたりまえなのだから。
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by nanaoyoshino | 2010-08-10 08:35 | hundreds of days off

チェコと軽さ

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じっさいにチェコに来てみたら、ミラン・クンデラの小説「存在の耐えられない軽さ」のほうが思い出される。

今泊まっているホテルはプラハの中でもペトシーンという丘のふもとにあるのだけれど、この丘の名は聞き覚えがある。

長いこと読んでないので正確なことは思い出せないけれど、主人公のテレサという若い女がこの丘を夫のトマーシュや犬のカレーニンと歩いたのか、またはトマーシュや彼の浮気相手のサビナが、誰か別の異性と待ち合わせした場所だったのか。

じっさいのペトシーンの丘では、家族連れや若い恋人たちや、読書する若い人など、どの都市の一番大きい公園とも同じような光景が見られる。

その前に泊まってたホテルは13世紀からあるとかで、アーチ型の天井下のプールがあって、そのプールは映画版の初めの方にあったシーンでジュリエット・ビノシュ演じる主人公のテレサが泳いでいた温泉プール(ホテルのよりはるかに大きいけど)に似ている。

このシーンで一人で中世風の作りのプールを平泳ぎで上手に泳ぐこの女優のからだのなめらかな動きが印象的だった。

さっき前を通ったバーは、テレサが夫の浮気に悩んで、自分もバーで働いてたとき試しにお客と寝てみたら相手は諜報部員だったのではないかと後々考え始めるというその場面にぴったりな感じ。つまり基本地元客なんだけどよそ者がふっと混じってもおかしくない、って感じのバー。


きのうチェコ郊外にある元ナチによってユダヤ人やら思想犯やらが拘禁されていた収容所跡に行った。ナチの話は、子供の時分から「アンネの日記」とか映画や本、テレビなどで見た。でも行ってみたらぜんぜん予想していたのと違った。

たとえば「Albeit macht Frei (働け、そしたら自由になれる)」と、英語と似ている語彙で(アルバイトはドイツ語で働くという意味らしい)書かれた門の標語。

処刑場、1部屋に百人近くが収容されていた部屋の、棚のようなベッドやテーブル。モノのように扱われた多くの人が、骸骨のように軽くなって餓死した。

ほかにもそこで見たことはこれまで他のメディアで伝えられて見たのと大きくは変わらない。

なのに、じっさいに死体が燃やされたりおかれたりした場所、拷問が行われた独房拷問や処刑、ナチや支配政党に異を唱えた人、彼らの友人や家族、反対のニュアンスを表現したと考えられた芸術家たち、同じく支配政党にくみしなかった教授など亡くなった人々のプロフィール、逃亡や拷問、死の記録、家族のリストなどがえんえんと展示されているのを半日見ていたら、その凄惨さが肉体的に感じられる。そういうことは想像してなかった。

もう1945年に終わったことだから、65年も前のことで、跡を見るだけだから映画で見るのと大差ない体験のはずだったのだけど、やっぱり現場に行ってその場の空気や臭い、湿度、壁の質感、明るさ暗さ、広さ狭さを感じるのは、自分の部屋で気楽に写真や映像を見るのとは違う。

ナチが事務をとりおこなっていた建物には、当時のことについて、いろいろ文章で書かれていた。現在は虐殺としてネガティブに書かれているわけだけど、読み手にはそれを正義として書こうが虐殺として書こうが、じっさいにキャンプとして使われていた収容所の現場を見た体験の後ではたいしてインパクトはなかった。

もちろんこのようなことが行われていた当時は、すべて正義とかよいこととして国際的に報道されていたのだと思う。現在だってグアンタナモや南米やアジアで虐殺や暗殺、拷問が正義の名のもとに行われているのと同じで。

チェコに来て、この国は日本やイギリスとまったく違って、ソ連とかドイツとかの侵略につねにさらされてきた国だとわかる。そこでは人間1人の尊厳などはない。目が覚めたら何者かに逮捕されていたり虫になっていたりする物語を書いたカフカ、人間1人の存在を限りなく軽い生としていきようとしたが、うまくいかなかったトマーシュが主人公の物語を書いたクンデラがチェコの作家なのも、国の歴史と無関係ではないんだろう。

そういえば、以前ブログにも書いたけど、泳いでいるときの体はとても軽い。まるで空を飛んでいるみたいに。
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by nanaoyoshino | 2010-08-05 10:00 | hundreds of days off