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ただまっすぐ行けば

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私とVはVの実家に行くたび、ほんの5分くらいの距離にある墓地に行く。そこにはVのお母さんやほかの親戚のお墓がある。

変な夢かもしれないけど、この墓地にVと一緒に葬られるのがいいな。
死んでしまったらどうなるかわからないので念を押すため何回かそう言ったら、Vはそういう陰気なことばっかり言うなって言う。
でも何回も言ってるからきっと覚えててくれるだろう。

イギリスで住んでいた家のそばにも墓地があった。ヴィクトリア時代ふうの、大きくて凝った門が遠くからでも目について、行ったことがある。ロンドンでは有名な作家とかのお墓がある墓地が観光地になってて、そこにも一度だけ行った。

あそれから、1000年前のお城の廃墟として観光地になってる海辺の場所の一部も墓地で、そこでは数世紀も前の墓石が、潮に吹かれて表面がケロイド状になっている。

イギリスで行ったことのある墓地って言ったらそのくらい。
どの墓地もひっそりとして人が少なく木や芝生やらがあって公園みたい。ケルト独特の繊細な幾何学模様のある十字架や、テーブルのような形のお墓や、日本のお墓とそっくりな小さな石のお墓。Vのお母さんのがそれ。

私がVの実家そばの墓地が好きな理由のひとつは、墓地は昔鉄道が通っていて今は散歩道にした道の脇にあって、その小道="walk"が大好きだからでもある。小道は私だけじゃなくVも大好きだ。

小道と言っても実際に鉄道だった頃は、Vの実家のある元炭鉱街から、そのルートで世界中に炭鉱や鉄鋼を輸出していた。だから距離としては何十キロもあって、今でもその道をただまっすぐ行けば海に出る。

今はところどころ、駅のプラットホームの面影を残しながらも、サイクリングや乗馬も楽しめる、林の中の散歩道になっている。(イギリスは今でも馬を飼っている人がたまにいる。厩まで持っている人は、お金持ちの印象)

Vの姉のバーサのだんなさんはサイクリングが趣味で、"walk"を半日くらいかけて海まで行き、いつもの海辺のレストランに車で行って待っている私たちに合流する。

海辺のレストランは、Vのもうひとりのお姉さんの家の近くにある。そしてバーサの家もこの"walk"をVの実家から7マイル(約10キロ)行った先にある。

以前私はレストランがある川の河口にある1000年前の廃墟の城から海を見ながら、日本は遠いなあ、ってよく思った。

Vの実家、お母さん、バーサの家、お城のそばに住むもうひとりのお姉さん、そして海から先の私。こじつければ、この"walk"沿いに全員がいる。

イギリスは平坦な場所も多いけど、丘も多い。その丘の尾根のようなところを通るこの"walk"はほとんど起伏がない。

だから何マイル歩いても、ずっと、とても見晴らしがいい。バスで丘の下の道を行けば20分。私とVは"walk"をいつも、約3時間歩いてバーサの家に行く。
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by nanaoyoshino | 2010-06-26 00:53 | 世界の庭とごはん

魔法のクッション

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紫陽花は雨のほうがきれいだな。Hydrangeas look more beautiful in rain.
今日はまさに紫陽花を見るのにぴったりな日だよ。Today is just an ideal day to go to look at hydrangeas.
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「普段着の英語」ピックアップ


格別貧乏でない時も気軽に買えるので行ったけど、
貧乏になると行く店、それは、100円ショップ。

そういえば留学しお金を使い果たして帰国したころもよく行ったな!

前から携帯クッションというのが気になってて、100円だし、ついに買ったのが半年ほど前。

4つにおりたためてセットの袋に入っているヤツ。(*1)
ちょうど折りたたみ傘くらいのサイズで、ちょっとかさばるけど、重さがほとんどない。大き目のバッグに入れてればぜんぜん気にならない。

春にイギリス行ったとき持ってって、イギリスは通り雨が多いので、いくらベンチがあちこちに
あっても座れないことが多いのだけど、携帯クッションはナイロン製でスポンジが入っているので
べつにぬれていてもヘーキ。
片面は濡れてしまっても、いつのまにかすぐ乾いてる。
泥だってすぐ乾くのではたけば落ちる。
お尻がちょうど乗るギリギリの大きさなので、あの「ブルーシート」なんかと違って、
座ったらほとんど見えない。
存在自体忘れるほど、視覚的な邪魔にもならない。

林の、倒れた木の上とかにも座りやすい。
Vと散歩に行った見晴らしのいいイギリスの丘の上(本当のイギリスの。ここは)
あー疲れた!と私だけ座ったら、Vはうらやましそうだった!

だから近頃Vの分も買って、2人ともどこへ行く時も持って行く。

昨日も毎年恒例の高幡不動(*2)の紫陽花を見に行って、雨が上がっても誰も濡れたベンチに座れない
ところ、私たちだけが座ってひと休み!

でもこのクッションが「魔法」なのは、どこでも座れちゃうってことだけじゃない。
どこでも座れることで、これまで見慣れた場所が、初めての場所のように見えるってこと。

たとえば私たちがよく行く、勝手に「イギリスの丘」と呼ぶ、近くの都市緑化区域。
ここは公園ではなく、緑化区域として都市化されていないだけなので、
ベンチやトイレといった施設はいっさいない。

ただの、時々木が生えた草っぱら。
(この頃はでも畑化される箇所がどんどん増えて、「イギリスの丘」は消滅しつつある・・・)

でかなり広いので、ひとまわりするとかなり疲れる。
最近は「魔法のクッション」を持ってくので、草の上にクッションを置いて座っちゃう。

地面が近いから、草がすぐ目の前。
じっと座ってれば虫や花も立って通り過ぎるより
近い距離で親しみを感じるし、初夏の草のにおいや地面のにおい、むっとする感じでむせかえるよう。

空が高く、近くの木の葉の風にそよぐ音や鳥の声も聞こえる。
この緑化区域はバードサンクチュアリにもなっている公園の隣にあるので
キジとか、ワシとか、いろんな鳥を見かける。

目の高さが変わっただけで、なんだか別の場所みたい。


*1 Daiso にはなぜかなく、Candoに売ってました。
*2 高幡不動についてはこちらの記事もご覧ください。
6月の花と5重の塔とエレベーターのこと
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by nanaoyoshino | 2010-06-25 02:28 | SimpleLife/普段着の英語

餃子の皮に包まれて

Vといっしょに台所で野菜と肉を餃子の皮につつんでいたら、思いは遠い中国へといざなわれた。

餃子の皮というのは、食べてるだけじゃわからないけど、ほぼ完璧な円の形をしてる。半透明にも見える薄さで、でも手のひらに載せるとしっとりとして心地よい重みがあり、ベビーパウダーを思わせるサラサラの粉が(小麦粉?)うっすらとまぶしてある。

こういうきれいなまん丸の形やら、粉のついた触感といった、手の込んだ感じが、餃子の発祥まで思いを馳せさせるのかもしれないな。

そういえば中国って、何でも「餅」って書くけど餃子の皮も「餅」って言うんだろうか。

9月に中国に行ったら、どこにでも月餅が売られていた。きっと中国の田舎の道端でも売られていた肉まん類も、餅だし、「中秋の名月」という風雅な習慣も、中国の発祥だろう。

中国人はどこでも道に品物を並べて青空市場にしてしまう。

物売りと、客の話し声、
通りを過ぎていく自動車のエンジンの音、警笛のブーブー言う音、
自転車のベルの音、
売りながら食べている(自分の昼食)食器の音、
物売りの女が歌うように同じ言葉を繰り返す透明な声などが、
小さな通りを満たす。

あるイギリス人が、日本のデパートの地下でモノを売る人がかけ声で声を嗄らしているのを
「日本人はバイタリティーにあふれている」と言うのを聞いたことがある。

中国へ行くと、売る側だけでなく買う側の交渉のバイタリティーもぜんぜん負けていない。
まるで全中国人が、生まれながらの商売人のよう。

あの光景を見た日本人たちは、たいてい、商売で中国を負かすのを、まずはバイタリティーの面であきらめてしまう。
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by nanaoyoshino | 2010-06-13 12:04 | 世界の庭とごはん

料理はいっしょに

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なんで餃子作るの好きなの? Why do you like cooking gyoza?
いっしょにやるからさ。 Because we do it together.
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「普段着の英語」ピックアップ

餃子って、会社員だった頃は作ったことなかった。餃子だけじゃなく、ハンバーグとかお好み焼きとか混ぜたりこねたりするのは外食って決めてた。なんか手が汚れそうでめんどくさそうだったから。

でも最近はお金がなくて時間があるので、外食は以前よりうんと減らして、まぜものも実は楽しそうだし、Vも動員して2人協力して作る。実はVもヒマ人だし。

餃子はあの皮に、切って混ぜた野菜や肉をつめる過程が一番好き。単純作業だけど、少しずつ詰めなくちゃいけなくって。

薄くて粉のついた半透明の皮に、折り紙みたいに最後真ん中できっちり半分に折って、プリーツをつける。私は、野菜から出た汁を内側の端っこに伸ばして、封筒の口を糊付けする感じでぴたりとくっつける。

プリーツをつけるのは、Vが冬にやる”tuck”みたい。初め”tuck”するって何を言ってるのかと思ったけど日本語だと家庭科の授業で立体にする部分(女性用ブラウスの脇とか)に「タックをつける」っていう、アレ。タックって折り込むことだったんだね。

冬の寒い時期、イギリス人って、ふとんや毛布を自分の体の下にまでたくし込んで、熱が逃げないようにして寝るんだろうな。Vは冬、それを自分でして、私にして、それから寝る。あんまりきっちり折り込むからミイラにされたみたいで、動けなくなるほど。

餃子の皮のプリーツはその”tuck”をつけるのを似ている。

折り紙、封筒、”tuck”=プリーツづけ。

その手作業のひとつひとつの、大切なものを丁寧に包む感じがいい。
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by nanaoyoshino | 2010-06-11 02:21 | SimpleLife/普段着の英語

会社ってみんな、こんなもん・・


今、名前だけならたいていの人が聞いたことのある会社。

ご多分に漏れず初め従業員は3、4人だったらしい。売り上げもおそらく、100万円単位だったんじゃないかな。

ある日社長としてやってきた彼は、親会社の大企業からこの小さな会社にやって来た。(「上司のミスの責任を転嫁された、って噂よ」)

バブルの影響もあったし、大胆なサービスシステムを構築したり、親会社の得意とするしくみも適宜活用し、吹けば飛ぶような会社が、売り上げ百億円以上の規模になっていた、わずか10年ちょっとで。

推測だけど、彼の頑張りには、自分をそんな経緯で左遷した会社へのリベンジもあったのかも。

こうして彼は、売り上げが下がる一方だった親会社に錦をきて郷に帰るように、取締役として迎え入れられたわけ。

けれど親会社に戻ってからわずかの間で、要職を解任されてしまった。

戻って1年ももたなかったんじゃないかな、確か。

数年後には死亡。もとの会社の社員の誰とも連絡を絶ったまま、認知症のいっしゅと言われる神経だかの病気だったらしい。

ある人は、もともと親会社から生意気だと思われていたと言い、ある人はすでに認知症が始まっていて行動がおかしかったから解任されたのだと言う。

この小さな会社ってのが、私の以前つとめていた会社で、私が入社したときはまだ従業員も十数人という規模だったので、彼は自分の直属の上司みたいなものだった。

彼が親会社を退職してから、会ったことはないけれど、退職後数年は年賀状をいただいていたし、人づてに様子を聞いたりし、認知症については都合上の中傷かもしれないなと思った。

会社を辞めたらまず挨拶に行きたいとずっと思っていたのに、辞める少し前に亡くなってしまった。

会社での従業員一般の扱われ方が、彼の扱われ方とそう乖離している印象がなかったから、彼のケースが特殊だという気がしなかった。

つまり「会社に貢献した人ほど、報いられる」はずのしくみが、ほとんど機能してない組織では、そういう人ほど、ストレスに耐えられなくなっておかしくなってしまう。

そんな組織に自分の人生を捧げる気になどまるでなれなかったのに、実質それくらいのことを常に要求されていたのが、私が辞めた理由のひとつ。

私が以前つとめていた会社で声の大きい人は、この元社長は「おかしかったからしかたがない」と言い、そうでない人はひっそりと口をつぐむ。

「しかたがない」という人にとっては彼の死はもう終わってるんだ。私にはまだ終わってない。だって、仕事に邁進し、大成功したはずの彼の人生。その彼の人生にどんな意味があったというの?その疑問がまだ解けてない。

会社全体の雰囲気は、まるで彼など、初めから存在していなかったかのよう。

私が彼と過ごした年月というのは彼にとってはたぶん会社がどんどん彼の描くかたちで発展していて、とても幸せだったんだろう。

私が思い出す、会社のビジョンを語る彼は、熱くでも感情的にはけっしてならずやわらかい笑顔をしている。
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by nanaoyoshino | 2010-06-05 22:25 | hundreds of days off

あらためて泣くなんておかしい

前々々回、読んでたら「つらくて仕方がない」と書いた文のこと。
後で考えたらここに書かれていることは、私がこれまで5年くらい翻訳してきた内容と変わりがないことに気づいた。(5年前から変わらず毎月世界のどこかで起こっている、軍事または独裁政権下の一般市民への非合法の逮捕、拷問、レイプ、強制失踪、殺人。)

だからあらためて泣くなんておかしい。

なのになぜ泣くほど動揺したのかと言うと、文体が違うからだと思う。

「つらくて」と書いた文章は、この団体(私が手伝っている)がもっとも大きな社会的反響を得たという昔の広告(本部のイギリスで制作され発表された)にあった。

シリーズ広告なので読むのに半日かかったけど、読んでいるうちに、大声で泣きたくなって困った。

私が定期的に翻訳しているのは、事実をたんたんと述べる文体。
世界中におそらくプレスリリース的に配信されている文章。

文体でここまで読み手の感情を煽られるのは、文章技術でもあり、プロパガンダとして利用されたりすると怖い結果にもなるわけ。

だからニュースとして事実を伝えるのなら、冷静に伝えるのが正しい。ショッキングな事実であるほど、そこから導かれる判断は読者に委ねられるべき。

実際は、選挙など決定的なタイミングが絡むとニュースとしての情報さえ、発信元が読者の反応をコントロールするような表現の技術を駆使して発信されることもある。

感情を煽る文のパワーは(是非は別にして)確かに大きい。法律の文章みたいな文体では、フツウの人は動かないということもわかる。それが商品なら、思想より即物的だけど、公共広告だと発信元の思想のおしつけになりかねない。

フリーとしての広告の仕事は、自分にとって趣味みたいなものでありたいし、公共広告は中でも趣味的であるほうがいいのかも?
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by nanaoyoshino | 2010-06-02 22:27 | hundreds of days off