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「無」という漢字

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ほら!お風呂にテントウムシがいた。Look at this! I found a ladybird in the bathroom.
(テントウムシ)生きてるの? Is it alive?
- 窓を開けて飛び立たせて Letting it out from the window - 
よい日を!Have a nice day!
○.・.。.・・・‥……━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「普段着の英語」ピックアップ

ずっと前、アイルランドの女性が、「無」という漢字を見て、意味を聞いてきた。

仏教では(その語が使われている文脈に関連して、私はとくに仏教徒というのではないですが、うろおぼえで)「無」というのは必ずしも悪いことではなく、むしろ到達すべき境地は頭の中を無にすることだったと思いますよ、と言ったら相当ショックを受けていた。

ヨーロッパでは、無ということは、それほど好ましくない状態なの?!

私が前回書いた「考えない練習」の話をVにしたら、この本のタイトル言っただけで「なんだそれ!」っぽい反応だった。

で、Vが思い出した。
「人生の目的と意味を考えるて生きれば、人はしあわせに生きることができる、って
最近、このようにイギリスの哲学者が唱えている番組があった」

ヨーロッパって、ほら、「我思うゆえに我あり」とか「考える葦?」ですか?
そういうこと言ったの、デカルト?あれはフランス人?
自我・理性・考えることなどが、動物と人間を分ける境目、とされているからか、
「考えない練習」という発想がもう、ありえないみたい。

理性は英語でreason で reasonは理由という意味でもあるから、論理を、感性より重んじているのかな。

いえね、考えることが悪いわけじゃなくって、
考えてばっかりいることが、人生を厳しいものにしていると、、、

それに人間だって動物の一種でしょう。もちろんこのことは、ヨーロッパの人だっていやいやながらも認める。
キリスト教と仏教の世界観の違いとも関係あるのかも。

などといろいろ言ってもVは、なんだか宇宙人と話してるみたいな、またはいかにも重要じゃない話を聞いてる、っていうような顔つき。

で、Vの不眠はどうやって解決するのかな?
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by nanaoyoshino | 2010-04-26 02:47 | SimpleLife/普段着の英語

仏教の若いお坊さんによると・・・

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今日は4月なのに寒くて、雨が降ってひどい日だったね。でも携帯の設定音楽で踊ったりして。 Today was cold and rainy. It was terrible and also now is April. On the other hand we danced to the mobile music.
結局は、楽しかったね。I enjoyed today after all.
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「普段着の英語」ピックアップ

最近いろんな本を読んだ。つまり、ヒマだったんだと思う。

私のまわりは、実用書しか読まない、という人と、
小説しか読まない、という2タイプに分かれる。
私はどちらも読む、ちょうど1/2ずつくらいに。

最近読んだ本、「考えない練習」というタイトル。

若いお坊さんが仏教の話を、「データ」とか「メモリ」とか、情報処理のワードや、
「がーん」「うっそー」のようなマンガのフキダシみたいな語彙を使って、説明している。
そんな本。

私もVもときどき何か考えごとを始めてしまって、眠れなくなることがある。
それで雑誌の記事を読んで「今日あったよかったこと」を考えながら眠る、ということをしたら、眠れるようになったものの今度はひどい悪夢を見た。(「無意識はだませない」参照)

そんな日常の必要性というか、私とVの「どうも考えすぎるようだね」と言っていた会話から、本屋さんで見たこのタイトルが目に留まった。

じつは、まだぜんぶ読んだわけではないけれど、このごろ自然にこの本に書かれていることが頭の中にインプットされて、なんだか快適なのだ。

たとえば、考えないために何をするのか?
ということだけど、5感をもちいて積極的に感受せよ、とのお説。

だからと言って、まったく考えないことをすすめているわけではなくて、
正しく考えること、というのも必要だけれども
考えることは、たくさんあるたいせつなことのひとつに過ぎない。

私がこの本を正確に理解しているのかどうか、正直言ってよくわからない。

ただ、夜眠るときは、今でも「今日よかったこと」を考えることもあるけれど、
5感をもちいて積極的に感受しようとすると、明日の予定を考えながら眠るよりもよく眠れるようになった。

たとえば、
からだとフトンの間の体温、
隣のVの体温や呼吸、
室内の空気やにおい、
窓の外の音や気配、

こういうものを、積極的にひろう。
その感覚に集中する。

すると空気の湿気や、それと関連して部屋にあるもののにおい、
天気によって外の音の響き方なんかも違って、
隣のVの眠り具合も毎日違う。
感じようとしなければ、感じない、ビミョウな差異だけど。

最近プレゼンで相手に批判的なことを言われても、ぜんぜん上がらなかった。
べつにこの本のことを四六時中考えているわけじゃないのだけど。

現在自分がやるべきことに集中し、相手の目を見、まわりにいて私の声を聞いている人たちから発せられる空気を感じようとしていた。

すると自分が伝えたかったことを素直に話すことができた。

「このプレゼン企画が通らなかったら」「この人に気に入られてなかったら」という雑念がなかった。

最近ヒマだったせいか、神経症みたいに自分が失う根拠がないものについてまで、失うことを予定してうろたえたりしていた。

計画を実行するときも、あれこれ迷わなくなった。
「考えない練習」は、「月を疑う孤独」 で書いたことにも関係あるような気がした。

今現在のこの瞬間を、5感で、ただ感じて生きることに集中する。
そんなシンプルなことがときどき、とてつもなくむずかしい。

*「考えない練習」小池龍之介著 
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by nanaoyoshino | 2010-04-17 01:45 | SimpleLife/普段着の英語