![]() What were you praying for? 何を祈ってたの? For peace in this world. 世界の平和。 Really? I was praying only for myself! えっ、私は自分のことしか、祈らなかった! ○.・.。.・・・‥……━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ↑ 「普段着の英語」ピックアップ Vのお父さんは先週ついに老人ホームに入った。 入って数日後、ホームのお父さんを訪ねたお姉さんから電話がかかってきて、最初Vはお姉さんと話していてその後お父さんと話した。 私もVの後お父さんと話した。とくに大きな問題なさそうなようすだったけど、どんな部屋?とか設備のことをいくつか聞いたら、「おお、わからんよ、混乱してて、答えられんよ」と突然うろたえる。 電話の後Vが言うには 「親父、自宅からホームに引っ越すときは相当感情的になってたらしい、この世の終わりって感じで」 先日ずっと昔からの友達と晴海ふ頭公園に行った。 彼女は高齢者に関係する仕事をしてる。Vのお父さんのことで意見を聞いてみる。 仕事の経験から、とても説得力がある、確信を持った答えがいちいち返ってくる。 晴海ふ頭公園は彼女が好きな場所だ。 銀座歌舞伎座前あたりから、バス1本で、ほんの20分くらい。 バスはいくつもの橋を渡って大きな「晴海ふ頭ターミナル」に着く。 バスを下りてもほとんど人もいない。 彼女は以前ここで、船乗りの人に大型船の中を案内してもらったこともあるって。 私は海を見るとやっぱり旅したくなるなあ。 ちょうど夕日が海の向こうに沈む時間、海沿いの公園をのんびりと散歩した。 「フランスでは、夕日が沈む直前にお祈りすると希望がかなうっていう迷信があるらしい」って彼女に言ったけど、おしゃべりに夢中で、お祈りする前に日は沈んじゃった。 イギリスにいた時は、お父さんを無理やりのようにホームに入れようとするお姉さんたちに、私は少々失望していた。 高齢者の心境や、周囲の対応などを客観的に指摘してくれる彼女の話を聞いてたら、お父さんのホーム行きも、選択肢のひとつだと思えるようになった。 私はお姉さんたちのようにお父さんの世話も何もしてないから、エラそうなことなんて言う資格ない。 ただイギリスでお父さんといるときに、「自分がどこに住みたいかは、自分で決めれば?」とだけ言った。 今回の引越しに関しては、お父さんが自分で決めたのだ。 たとえ娘たちに強く勧められたからだとしても。 友人とは、20年くらいのつきあいがある。何年も会わなかったり、ときどき批判されたり、きまづくなったり。 長年つきあって知った仲なのでおたがいよいところも悪いところも知ってる。 でも彼女は、私がもっとも困ってるときに助けてくれた人の1人でそういうことは、一生忘れない。 ずっと以前、よく仕事をやめたい、と言っていた。あまりに切実だったのでもう本当にやめるのだと思ってたけど、結局やめなかった。ずっと長いことその職場でたぶん主要なスタッフの1人として働いてて、私の知ってる誰よりも、高齢者の問題に精通していて頼もしい。 開放的な海や夜景が美しい公園です。行きかたはこちら→「晴海ふ頭公園」 ▲
by nanaoyoshino
| 2009-10-29 01:23
| SimpleLife/普段着の英語
![]() Vのお姉さんは引っ越すとき、次に入る人のために、カードとワインボトルを置いていったそう。 イギリスのテレビ番組でも引越しのときそういうくシーンがあった。 あ、いいな、って、自分の家に入居する方にそうするつもりだったのだけど、あまりに急な引越しだったし、火災警報器を条例で5個もつけないといけないと入居前日に気づいたので、それをつけるのに必死でワインのことは忘れてた。 今度、不動産やさんを通して渡しておこっと。 火災警報器、初めは配線の仕方がわからず、鳴らないままとりつけるわ、配線がわかったら、ものすごい感度がいい機械なので、ちょっと触るとビービー鳴りっぱなしで、近所のかたがたにはいい迷惑をかけてしまった。 契約に行った日、不動産屋さんから初めて聞いたんだけど、入居した方は私がつけた部屋の中のブランコとか、ガラスのメッセージボードをとても気に入ってたそうだ。 昔、「Garnet Hill」っていうアメリカのインテリアの通販カタログが好きで、そのアートディレクターとかすごいなあ、って思ってたのだけど、そのカタログに部屋の中でネグリジェ着た女の子が、ブランコに乗ってるページがあった。 それが、たぶん合成写真だろうけど女の子が、妖精のようにティンカーベルほどじゃなく、でも小人のようなサイズ、リアリティのないサイズ。 仕事柄知ってるのは、リアリティが命みたいなのが日本の通販カタログの表現なので、結構新鮮だった。 家の中って基本は実際の生活をするのに、そういう、ブランコとか、生活と関係ないものがあるのって、いいなって思う。 北欧インテリアとかでも、モビールって生活と関係なくって、揺れてる感じがいい。(denmark mobile ) 「Garnet Hill」のカタログは主にベッドとかシーツとか、扱ってたんだけど、ダブルベッドが置いてある壁に無数の古い紙(黄ばんだ本のページ)が貼ってあるとか、ベッド関連中心だからか、夢を誘うような、幻想的で斬新なアートディレクション。 そういえば写真に載せちゃったランプシェードは手作りなんだけど(自慢)「Garnet Hill」のカタログにあったランプをモデルに、近所で買った世界地図を貼ったもの。 ![]() ガラスのメッセージボードは家族で暮らす人が、伝言板として使ってくれればな、って思って買って、Vが一生懸命つけてくれて、そこに「ようこそ」の意味のフレーズを英語で、マジックで書いた。 そのメッセージに反応してくれて、住みに来てくれたってこと。 やあ、前回書いたとおり、まさにコミュニケーションですな。 ▲
by nanaoyoshino
| 2009-10-26 22:01
| hundreds of days off
![]() しかも、今週に入居したいとの要望。 あのお、引っ越せるんでしょうか? どんな人なのか、不動産会社の人の話で申込者のプロフィールを聞いてたら、理由は書けないけれど、昔親友だった人を思い出した。 彼女とは趣味が合って、小さいプレゼントをよく交換したりした。お母さんと私の趣味が似てるとかで、お母さんが飾り付けした家を見せてくれた。でも彼女本人もその部屋を気に入ってたと思う。 不思議、 広告コピー書いてると、(私がコピー書いてるって知らない)法事で会った親戚も私が書いたコピーの商品着てたりして、あれ、なんだか、「コミュニケーション」してるわ、(英語で広告の職種はコミュニケーションと呼ばれる)って思ったものだ。 投資も、投資した物件を通して、借り手と貸し手がコミュニケーションしてるような。 ま、でも申し込みについて今確認しているところなので、まだ決まったわけじゃない。 ところで、今日以前長いこと一緒に仕事をしていたカメラマンに家の写真撮影してもらった。 さすが~プロ。おんぼろ家屋が家賃100万円くらいの豪邸に見える。 もし申し込んだ方が入居されたらば、この写真はしばらくはお蔵入りになっちゃうのだけど、ほんとうにすばらしい写真なので、いずれはどこかに掲載すると思う。 まあ、旅にたとえれば、この投資のステージ(段階)は、そろそろ、Landing(着陸)っていうところであってほしいと思う。飛行機が低空飛行し始めて、陸が見えてきたところ。 まるで初めての1人旅を終えるときみたいな気分。 (そういえば、初めての1人旅は上に書いた彼女が、当時米国に住んでたのを、訪ねたときだったな。) 大変な旅だったなあ。(でもホントに終わるのかしら?) ▲
by nanaoyoshino
| 2009-10-22 00:19
| hundreds of days off
![]() で悩んで手に取った本「しがみつかない生き方」*を読むと、まるで現状で満足しろ、って言われてるみたい。 でも、これじゃ進歩しなさすぎじゃない? 精神科に通うまで脅迫的に上昇志向な人に、毎日会ってる医者が書いてるんだから、しかたないか。 著者のメッセージは、もう少し厳密には「自分に寛容に」でも、「他人には不寛容に」。 そういえば人全般を、上昇志向で几帳面で、「かなりマジメな人」と、みている。(=どっちかいうと日本人に多そうなタイプ) きっとそういう人はそうとう思いつめてしまうことがあるんだ。 で、もう少し「自分に寛容に」でも、「他人には不寛容に」なったらどうでしょう、と。 もちろん自分に寛容なのに他人に不寛容っていう、調子がいいタイプとか、(だから思いつめるなんて、考えられないような、まわりからみたらムカツク人)しがみつかない人は対象外。そういう図太いタイプには逆のメッセージが必要だろう。 この本に出てくるカツマっていう人の本をちらと本屋で立ち読みすれば、今風に言えば「ブレない」目的意識のかたまり。 で、このカツマさんって、本立ち読みした限りでは、必ずしも日本人っぽくない。たとえばいい/悪いって二項対立とか論理で考えてることが多そうだし、そのわりに矛盾したこと、おざっぱなことも平気で言う。 そもそも、この香山さんのほうは、精神病になりそうな人に、ならないような生き方を進め、カツマさんのほうは、技術としての成功法を説く。ぜんぜんクロスしない、接点なし。 私はどっちか言えば真面目な、典型的日本人。でもきっとまわりに言ったら笑い転げるだろう。つまり、香山さんの患者ほどには真面目じゃないので、現状よりはもちょっと進歩したいけど、でも真面目になりすぎると落ち込みそう。 そういう自分としては8割できたらそれでよしとする、あの80:20の法則とか言われてるのが好き。(いろんな説があるけど、20%の努力で、残りの80%の結果を生み出すとか) ある目標が達成できなかったとしても、それはそれでいいと思う。1人で釈迦力になってまわりを疲れさせるより、努力8割(って、どこまでが8割なんだかわかんないし)じゃなくって、努力2割、結果8割でよし!としたい。 あでも、結果8割もどこまでがそうかわかんないし、努力8割結果2割だったりして? じゃ、何かなんでも良い点をみっければ、または今後に使える教訓を引き出せれば、それで良しとしたい。(もう無理やり) *「しがみつかない生き方」 香山リカ 幻冬社新書 ▲
by nanaoyoshino
| 2009-10-21 01:08
| hundreds of days off
![]() 「あまり気にしないほうが」と言われたのは、ある意味正しい。 もちろん、この業者に言われたくはないが。 やることはやっても、こだわりすぎないのがいい。 まそう言っても、マジメに考えちゃうほうなので、「しがみつかない生き方」というタイトルの本を、本屋の店頭で見かけてすぐ買ってしまった。 あとで気づいたらこの本、ベストセラーなんだって? 「しがみついちゃう」人って、多いのか? 「しがみつく」は、「こだわる」と言ってもいい。 広告の仕事してると、よく「この商品のこだわりは、、、、です」と言われる。 いまさら「こだわり」とか言うフレーズ、使い古されてますよ、って言っても、 「こだわりだから、こだわりと書いてください」としつこく言われる。 「こだわり」。 英語だとstick とか、obsessとか。 (例I stick to this idea. この考えに固執する I’m obsessed by her. 彼女に執着する) でも商品のこだわりに感情的で個人的な執着を表すstick とか、obsessは、英語ではヘン。 「商品のこだわり」という表現が存在しない、っていうか。 なんにでも「こだわり」があるのは、几帳面で律儀な日本人らしいかも? ▲
by nanaoyoshino
| 2009-10-19 22:35
| hundreds of days off
![]() クララは自分自身、持病をかかえていて、長時間働くことができない。 クララの話を聞いてると、悪いことばかり彼女や彼女の家族に起こり、たいていはそういう話が多いので、不平のように聞こえてしまう。 弟が知人にお金を騙しとられたことから、彼女もまきこまれて実家の家を売るなどしている。 彼女の携帯には、売買に関する電話がしょっちゅうかかってくる。 そういう電話にてきぱきとまるで会社の上司みたいに、次々指示を出している。 まるでビジネスマンみたい。 そんな能力があるなんて知らなかった。でも以前から、論理的な話し方で、明確で、仕事ができそうなタイプだったかもしれない。 そういえば、以前私がオプスデイの寮に住んでた時、アップルパイの作り方を教えてもらった。誰もいない日曜日の午後、静かだけどよく通る声で、私のやるべきことを的確に指示してくれた。 クララは、どんなに面倒にまきこまれても困っても、パニックになることなんかない、と言う。オプスデイに長いこと住むといろんな人が出入りし、いろんな仕事をするから、人とやりとりするうちにそう思えるようになったのだそうだ。 聞くと、問題を解決する方法を見つけて実行したり、自分が家族の中で重要な役割を演じたこが嬉しくて、それが彼女の自信になっているよう。 7年ぶりに会ったクララは落ち着いた、たくましい女性に変貌していた。 雪のように色白な儚げな少女は、すっかり姿を消していた。 ▲
by nanaoyoshino
| 2009-10-14 13:11
| hundreds of days off
![]() 当時クララのほかにもう1人、美術館に勤めながらオプスデイを手伝うイギリス人の女性キャスがいた。 「あなたはナマイキ(cheeky)ね」 ある夜キャスに言われた。私はやや頬骨が張った顔かたちなのだけど、ナマイキ、と言うとき、頬骨(cheek)の上に細い指をそっと滑らせた。 でも彼女も、イギリス人にしては率直だったかもしれない。 イギリスとの接点が少ない中、スペイン人にはやはりイギリスの生活習慣のことは聞けない。 キャスは意地悪っぽいが、たぶんそうではなく皮肉っぽいだけだった。でも「ナマイキ」と頬をなでながら言われて以来、キャスにはものを聞きずらかった。 だから、英語の勉強も含めわからないことは、クララに聞いた。 クララとは、一定の期間ふれあいを持った、最初のイギリス女性だったことになる。 でも当時の私の英語能力では、あまり深い話や細かい話はありえなかった。 先日ロンドンでたずねた友達は、そのクララだ。 クララとは最近になってやっと、いろいろ話ができる。今ではオプスデイのことが前よりわかってなぞがとけたようだ。 オプスデイの寮には、なにか魔術的なほどの美しさの印象があった。 室内を、すみずみまでケアした芸術的なまでのデコレーション、テーブル、食卓の、きゅうくつの一歩手前の、完璧な習慣。 でも今では、そのような習慣を日常生活の美として伝えて行くのは、この団体の意識的な伝統というか方針なのだとわかった。それに家より何より、スペイン人やクララのような人がいたからこそ、そういう習慣も楽しめたのだと思う。 <つづく> ▲
by nanaoyoshino
| 2009-10-12 20:33
| hundreds of days off
![]() これまでオプスデイを紹介した学生は、みんな問題なく寮生活を送った、と事務の女性は明るく言った。 もしあなたがうまくやれたら、これから日本人学生が来たらまたオプスデイを紹介する、とも。 クラスメイトに聞いたところオプスデイは必ずしも安いほうでもないと言う。どうやら私が前いたステイ先の料金のほうが、高すぎたようだ。 もっと安いホームステイ先すら、たくさんある、でもそういうところは家がぜんぜんきれいじゃないけど気にしないで住んでると聞いた。 オプスデイの寮長の女性や、家事や執務担当の女性(女中頭ふうの大柄な女性)などは威厳たっぷりのスペイン女性で、少し怖い印象だったのだけど、意地悪は一度もされなかった。 長期滞在の女学生たちはみなスペイン人で、スペイン人たちはいつも一緒に行動した。 クララは物静かで、体が弱く外出もあまりしないので、私はスペイン人たちの賑やかなおしゃべりにいつも囲まれて行動していた。 スペイン人は、いっしょにいても勝手にスペイン語をしゃべっていた。私は控えめで物静かな人、と思われているようだった。 私もたいして気にせず、笑ったり怒ったり困ったり、表情や会話の調子が激しく変わる、チャーミングな彼女たちのようすを眺めて楽しんでいた。ほとんどがそれぞれ個性的なのだけど、みんな純真で、おそろしく美人だった。 クララには「英語よりスペイン語のほうが身につくわね」とちょっと残念そうな、皮肉まじりのユーモラスな調子で言われた。 <つづく> ▲
by nanaoyoshino
| 2009-10-12 01:41
| hundreds of days off
![]() 案内してくれる部屋は、すぐには覚えきれないほどあって、食堂、キッチン、洗濯室、図書室などのほかに、大きな居間が4つある。 広々とした階段が4階建ての家の中央を貫いて、踊り場には、いちいち猫足のベンチが置いてあって、本を読んだりおしゃべりしたりできそうだ。 どの部屋もそれぞれ異なるテーマカラーやインテリアのテイストがあって、私の部屋になる屋根裏部屋はサーモンピンクの小花柄、案内してくれる女性が見せてくれた自分の部屋は、もっと落ち着いたモスグリーンのトーンで統一されている。どの部屋も、手抜きなく家具が選ばれ、それぞれ違うカーテンがかかっていて、掃除がゆとどいていた。 寮には、女子学生5人と、オプスデイで働くイギリス人2人、スペイン人2人10人ちょっとが住んでいる。 女子学生のほとんどは、スペイン人で、たった2人のイギリス人のうちの1人がクララだった。 辺鄙な場所のホストファミリーのところと違って学校に徒歩で行け、地下鉄駅に近く街にもアクセスしやすかった。 ドアを開けてくれた女性はマリアと言って女中頭のような立場らしい。食事ももちろん彼女が作った。 食事は必ず定刻に始まり、朝食や、毎晩フルコースのディナーや、サパーと呼ばれる紅茶とお菓子の軽食、週末のランチ、と食事のたびに、洗い立ての糊のついたテーブルナプキン、フォークやナイフ、スープ皿が、まるでレストランのようにテーブルに並べられた。 寮に住む全員が、ひとつの大きなテーブルを囲む。必ずスープから始まって、デザートで終わる食事は、大きなスープ入れやお皿から、それぞれが自分のボウルや皿にとって、隣の人にまわす。 テーブルセッティングや片付けは、マリアを中心に、クララともう1人のイギリス人女性がやる。寮生のうち手伝いたい人がきままに手伝う。 そのすべてが、イギリスというよりはスペイン的な印象を持ったけど、いまでは当時よりイギリスについて知ってるから、その印象はそれほど間違ってなかったように思える。 ホストファミリーのところの半額くらいの賃料で、交通至便な一等地という環境、豪華な家と食事、しかも掃除洗濯アイロンつき。話しが旨すぎるようなので、逆に不安になった。どこか怪しいんじゃないか、と思った。 ハウジングオフィスの女性と、学校の廊下でたまにすれ違った。 「どう?うまくやってる?」 声をかけてくれるので、これまで他に誰か紹介したか聞いてみる。 彼女はオプスデイに、ヨーロッパ人の学生なら何人か、紹介したことがあると言う。 <つづく> ▲
by nanaoyoshino
| 2009-10-11 00:56
| hundreds of days off
![]() 当時一番意外だったのは、その家がどちらかというと貧しそうだったこと。 家も小さく、家具などすべて安っぽかった。 駅へも学校へも遠く、ステイ先を紹介した語学のクラスの責任者が毎朝、私を学校まで送ってくれた。 日曜日は一切の電車もバスもない(サービスがない)からどこにも出かけられない。町らしい町も徒歩で行ける場所にはない。 私のクラスにはほかに日本人もいないし(それが理由でその語学学校を選んだ)女の子も最初いなかったが、後からきたスペイン人の少女と仲良くなった。 その少女と食堂などで話すうち、他の国から来た学生は、学校から非常に近いところでずっと安く、ホストファミリーを紹介されていることに気づいた。 1ヶ月ほどたって、なにかのきっかけで、玄関の鍵が一晩中開けっ放しであることにきづいた。私の隣の部屋には、毎晩ペンションかホテルのように、違う男性が出入りしていることにも気づいた。 本来学生の住む場所を紹介するオフィスは別にある。 オフィスに行って話すと、その語学クラスに過去に来た日本人は、すべて私のいるホストファミリーの家を紹介されていたことがわかった。 カレッジのハウジングオフィスの女性が、私の語学クラスの責任者をあまり信頼していない様子もうかがえた。 そこでハウジングオフィスで紹介してもらったのが、オプスデイの女子寮だった。 ホストファミリーのところには、1ヶ月強しかいなかった。40歳くらいの夫婦だったのだけど、だんなさんが語学クラスの責任者と知り合いだったようだった。 だんなさんに滞在先を移ると話したとき、険しい態度をされた。 奥さんにそのことを話すと、「気難しい人なのよ」と私に同情してくれた。 女子寮と聞いたとき、イジワルな寮長とか、面倒な規則、まずい食事など、知らない世界だけに不安で、あれこれと想像した。 その後じっさいにオプスデイを訪れたときのことは、忘れないと思う。 ▲
by nanaoyoshino
| 2009-10-08 23:21
| hundreds of days off
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