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いっぱい汚れた背中

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女どおしってビミョウ。わたしはときどきそう思う。

先日リノベで「素敵なヒトたちと出会えた」って書いた。
素敵な女のヒトといっしょの仕事って、オトコがからむと、ちょっと嫉妬するときとかもないですか。

嫉妬なんて、不幸な感情。嫉妬は自分を愛してあげてないことから来る感情だと思う。
これが男女だと、おたがいに「張り合う」みたいな感情から逃れられる気がする。だからか、私は仕事で会うオトコのヒトとのほうが、最初からうちとけてバカ話もできる。

ところで、その素敵なヒトのひとりである、建築家のこと。彼女はなんだか体型や顔立ちが私の姉に似てた。で、彼女はブログを書いてる。ブログを読むと、ものの感じ方が自分に似てるなと思う。

偶然かもしれないけど、これまで会った建築家ってことごとく、独特のプライドを持って、世俗と隔たった世界に生きてるヒトばかりだった。建築の学校って、アーティストみたいな感じの教育をするのかな。

逆に言えば他人の話をあんまり聞かないヒトが多かった。

彼女も、細かいことは結構忘れるほうだった。つまり実際的なことって住まいなんだからそれなりに重要なんだけど、わりと馬耳東風というか。

私も教育のせいってことより、たぶん以前ブログにも書いた、貧乏なモノ書きのような一生を送った祖父やその祖父にまるで恋でもしたような母なんかのせいで、実際的なこと以外のもっとべつのこと世俗と隔たったぽいことのほうが、楽しいとおもうようだ。

そんなわけで、建築家のヒトはまだ20代という年齢だし、みかけは自分の親戚のようだし中身は自分自身みたいってわけで、即「妹だわ」っていうような、感覚に陥ってしまったのだった。

ところが彼女はいつまでたってもちっともうちとけないし、なんだかこっちがクライアントなのに、(ってこの言い方すごいヤなヤツですけど)いかにも対等か自分のほうが上よ、っていう態度で見事に一貫性があったのだった。

工事現場で、刺青した大勢の大工さんとかがウロウロするなかで、若い女性である彼女が現場チェックしてるのを見たとき、友人が不動産業界はオトコが多いから、女だとバカにされるの、って言ったのを思い出した。「セクハラとか、受けたりしませんか?」って聞いたら、
「私強いから、怖くてセクハラなんてできませんよ、私それに、オトコが多いからって、ぜんぜん被害妄想っぽいとらえ方しないです」
彼女は明るく言った。

工事現場で彼女に会うと、めったに街じゃみかけないほど汚れまくってるスーツの上着がわりといつも目についた。でもこっちはこっちで短いうちあわせで全部確認しようと必死だったので、終わったときにはいつも注意してあげるのを忘れていた。

最後から2回めに会った帰り、「背中が汚れてますよ」、って初めて指摘した。
「いつものことなんです」って彼女は笑った。
「現場なのに、会社員ふうな格好できちんとしてますね」って言ったら、
「年齢上に見せるかっこうしないとバカにされるんです、だからなるべくふけた格好してるんです」

私はオンナどおしても彼女のお母さんでもおかしくないほど年上だし。なんでいつまでもうちとけてくれないのかなとか思ったら、そういう無理してたのか。黒いスーツにいっぱいついた汚れが、急にいとおしくなった。
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by nanaoyoshino | 2009-07-17 01:31 | hundreds of days off

なんかヘン

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私がボランティアに興味を持ったきっかけは、自分の後悔だと思う。
負い目があって、誰のためでもいいから、その代償行為となるようなことがしたい、という気持ちだった。

初めてボランティアっぽいことをしたのはエマウスという廃品回収活動(収益金を施設や貧困国に送る)なんだけど、べつに多くはなかったけど、この人も何か自分と似たような動機でボランティア活動始めたのかなっていう人は他にもいた。


私の場合、近頃はそれだけってことでもなく、旅先で、「なんかヘン」
って単純に思っちゃうような状況の人と、トモダチになったりしたから。

たとえばモロッコでいかにもふつうの庶民って感じの老若男女が、大きな陰気なコンクリートの建物前で長蛇の列を作ってるのを見た。友達になったモロッコ人に「あれはなに?」と聞いた。
「家族と面会する人たちだよ」
「えーなんで?家族って?」
「投獄されたの」
「なんで?」
「政府を批判したの」

こう平然と言われたとき、「ヘン」は通り越してコワイって思った。

そういえばアフリカやアジアのレストランで旅先の国の政府のことを聞いたら何回か注意されたっけ。
「公の場で批判しているあなたといっしょにいるところを警察に見られたら危ないので、やめてほしい」って。

アウンサン・スー・チーさんばかりが注目されるけど、チカラにたいしてイエスマンじゃない人、ジャーナリストとか市民運動家、アーティストが投獄されたり、いやがらせを受けたり殺される。

ジンバブエで女友達から、もし自分がレイプされたら自殺すると聞いた。はっレイプが、した側よりされた側の恥になるって、それってヘンって感覚、今は日本にもある。でもまあ私が小さいときも母とか年配の女性が彼女みたいなことを言ってた。日本でも少し前はそういう恥の常識だったのだ。


一番「なんかヘン」って思うのは何しろ戦争だ。

戦争なんて、したくない人がほとんどでしょ?

なのに、一部のチカラを持った人たちが戦争をしたがると、殺されるのはしたくない人たちなんだから、
こんなにアンフェアなことってないんじゃないでしょうか?

戦争は一定の利益(昔から天然資源とか、権力保持のために関心を外交に向けるとか、覇権拡大とか)がある一定のひとのためであって、みんなのためのワケがない。

でも聞こえてくる大義名分が「世界平和のための戦争」「正義のため」「互いの繁栄のため」なのは?

大義名分なしに、誰がわざわざ戦場へ死にに行く?

きがついてみれば世界大戦前後のイギリスもそう言ったし、ナチもそう言ったし、
ひとごとばかりじゃありません、ダイニッポンテイコクも、
あ~つい最近までアメリカのブッシュもそう言ってなかったっけ? 
情報操作というのはチカラの行使にとってはとても有効な戦略だと思う。

それでも、巧妙な技術なのだと、じゅうぶん認識されてない。これって、いったい・・・。


どれが誰にとって有利な情報なのか?は、情報が流れてすぐ客観的に判断することは難しい。

だから「なんかヘン」て思ったから即なにかしたいわけじゃない。

ただ情報の判断が難しい、ということを知ってるのと知らないのでは違う。
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by nanaoyoshino | 2009-07-16 01:32 | hundreds of days off

忘れてしまったの?

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(昨日の続きを書きます)

なかでもイラクの女性が英語で書いてるブログが本になり、日本語に訳されてた。私はイラクには行ったことない。でもここに書かれた筆者の毎日の瑣末なことがらの積み重ねが、なんと自分の毎日と共通する輪郭を持ちながらも激しくブレていて、しかも重いことだろう。

この本“Bagdad Burning”には、今まで私、人権団体のレポートを翻訳してたり、イラク人としゃべって、いったいなにを知ってきたの?っていうくらい、衝撃を受けたので、とりあえず、わかりやすいほんの一部のみ、引用しますね。


「私は憶えている。黒焦げになって人間とも思えなくなった死体が引きずり出されるのを見たことを。

私は憶えている。人びとが気が狂ったように遺体から遺体へ走り回り、愛する人を探していたことを。

私は憶えている。イラク人の救援部隊がシェルターを片付けていて内部のあまりにすさまじい光景に気を失った者もいたことを。

私は憶えている。何週間も何週間も、人肉の焼けた臭いがあたり一体に立ち込めていたことを。

私は憶えている。何年か経って真夜中過ぎに恐ろしい死に方をした400人あまりの人たちを弔おうと避難壕を訪れた日のことを。そして壁に天井に張り付いた亡霊のような人間の輪郭を見たことを。

私は憶えている。2月13日、妻と5歳の息子を亡くした友人の気が狂ってしまったことを。

私は憶えている。いろいろ言い訳をした挙句、ペンタゴンがあれは“間違い“だったと主張した日のことを。

私は憶えている。誰も見つけていない大量破壊兵器の大儀のもとに、米英によって堅持された13年の経済制裁を。制裁は非常に厳しく、私たちは薬のような必需品でさえも何ヶ月も待機リストに名を連ねて待たねばならず、その揚げ句拒絶されたことを。

私は憶えている。水の消毒に使う塩素などの化学薬品が検査に手間取って届くのが遅れそのために何百万人もの人が犠牲になったことを。

私は憶えている。「本を持ってきて」と救援活動をする人たちやイラクに来る活動家たちに頼まなければならなかったことを。

私は憶えている。大きな病院ベッドで、飢えと病気で死にかけている小さな体を。”禁止“とされた薬品さえあれば簡単に治ったのに。打ちひしがれた両親が、奇跡が起こらないかと期待して医者の目を必死にのぞきこんでいたことを。

私は憶えている。劣化ウランのことを。どれだけの人びとが劣化ウランのことを知っている?イラクの人とびとにとっては日常語。1991年の湾岸戦争で(そして今回もおそらく)使われた劣化ウランは環境を破壊し、イラクのガン発症率は天文学的数字で増加した。

私は憶えている。目がひとつしかない赤ん坊3本足の赤ん坊、顔のない赤ん坊が生まれるのを見たことを。全て劣化ウランの毒性がもたらしたものだ。

私は憶えている。イラク南部と北部を守るためという名目で米英の飛行機に爆撃された何十人ものイラク人が“飛行禁止区域”で死んだことを。

私は憶えている。モスル郊外に住む母親が、夫と5人の子供を亡くしたことを。羊たちがおとなしく草をはむ牧場の真ん中で、アメリカの戦闘機が父親と息子たちを爆撃したのだった。


そして私たちはこれらがすべてほかならぬイラク国民のために行われたと信じなくてはならないのだ。


“忘れてしまったの、その日の気持ち。
戦渦の中のあなたの国を見たときの。
国人が吹き飛ばされるのを見たときの“*

いいえ、私たちは忘れていない。」


「バグダッド・バーニング」 
リバーベンド著 アートン 
ブログ  http://riverbendblog.blogspot.com/2007_10_01_riverbendblog_archive.html
*(アメリカのカントリーソングらしい)
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by nanaoyoshino | 2009-07-11 01:51 | hundreds of days off

最大の不条理

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やりたいって思ってたことのひとつ、世界の紛争予防を目的とする平和広告プロジェクトがあって、そんなことにも関ってる。

家のリノベもいいけど、ほんとはリノベよりはるかにこういうことがやりたかった!

自分のココロがなぜか震えるのは、こういうことやってるときだから。(なぜ震えるかは次回説明しようと思う)

今回このプロジェクトはボランティアで、ふつうの広告目的は「商品を売る」という課題を達成するところ、今回の課題は「世界から戦争をなくす」。

戦争は悲惨だと誰でも知ってるのに、外では北朝鮮にミサイルを!と叫ぶ、しかもマジメでやさしそうな女性が!今の今、いるという不条理。

プロジェクトの広告ですが、あくまでも理想ですから、なんでも言えます。

で今たっくさんの本を借りてきて読んでるけど、借りた本のもとになってるのがブログだったりする例も複数あり、国際的にそういう時代なんだな。

借りた本のいくつかの描く戦争のイメージが、いかにふだんマスコミで伝えられているのと違うか、それから複数の本がいかに違うコトバや立場から書かれてるかに、私は絶句した。

よい広告をつくるための条件のひとつ、それは広告する対象について熟知してることだ。これまでは対象が商品や会社だったのが、これが国とか平和とか、歴史とかになるとどこまで勉強しても追いつかない。

途方に暮れる。

数十歳しか生きない、ひとりの人を理解することすら、一生かけてもできないと思ってるのに、課題の国の歴史は6000年だよ。

いろいろとえらそうなこと書いたけど、この壮大なテーマの広告づくりは、けっきょくのところたいしてできそうにないか。
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by nanaoyoshino | 2009-07-10 02:15 | hundreds of days off

いよいよです。

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だいぶ前に古い家を買ったこと、それをもしかして人に貸すかもってことも書いた。リノベ費用借りれなかったってことも。なんと!プレゼン資料っぽい書類をこれまでの仕事の要領で作ってもちこんだら、リノベの費用も奇跡のごとく、同じ銀行で、あっさりと借りれました!でとうとう横浜の家のリノベが完成します!今日は最後のチェック日だったの。

依頼した若くて愛らしい建築家の女性、ハンサムな工務店の社長さん、現場でつきっきりで私の家をリノベしてくれた大工さん、彼らはみんないっしょにプロジェクトをやってくれた仲間。こころからどうもありがとう!と言いたいです。

仕事の仲間って学生時代の仲間とはつながりかたがビミョウに違っても、一緒に戦い走った戦友ならでは。だけどこうして会社という枠組みから離れても、ステキな人たちと出会えた。

リノベの成果は100%彼らのおかげだ。建築ってこんなに感性をゆさぶるものだった?昔から絵とか好きで、美術専門学校に行ってたことがあって、そこのデッサンの先生が現代美術作家で、金属や木とつかって抽象的なオブジェを作ってた。彼の展覧会に行ったとき、具体的なカタチとして何も表さない素材だけのオブジェがこれほど雄弁とは、と感心したことを覚えてる。

今回建築家にリノベを依頼できて、ほんとにラッキーだった。彼女はすばらしいアーティストで、あったかいハートと前向きな気持ちをもった女性で、建築がただ住むという目的の実際的な場所というだけじゃなく、空間の表現であり、そこから何か感じる場所だってこと、私にその作品(しかも私の家!)で体感させてくれた。

伝統的な日本の家の骨組み、梁を、隠れてた天井から全部表に出し、新たな壁や床をもうけてできあがった空間のスケールは、想像以上だった。いえいえ、そんなのは建築雑誌で死ぬほど見てた。でも、実際にそれを目にするのと、写真で見るのはまったく別の体験なのだって、思い知った。

しかも建築は、数週間のあいだ、都会の画廊で行われる美術の先生の個展と違って、そこに住んで毎日体感できるのだ。あんなリノベされた家に住んだら、人生観変わるよ!そんな家になったって、手前味噌じゃなく・・・いや手前味噌かな?天井の高さ約5m。なので家の中にブランコ、ぶらさげるつもり!ねっ楽しげでしょっ?
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by nanaoyoshino | 2009-07-08 22:44 | hundreds of days off

マイケルの夢

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大人になってから、マイケル・ジャクソンに夢中になったことがある。そう、あの「スリラー」のころ。その後何年かたってマイケルと夢で会った。ニューヨークのトランプタワー(今でもあるのかな)の金ぴかのエレベーターの中でマイケルと会った。マイケルはマイケルだと名乗らずやっぱり変装してたけど、私にはマイケルだとわかった。

夢の中で私はなんてラッキーなのと思いながら、私とマイケルは出会う運命だったのであたりまえだと思ってた。マイケルは前からの友達みたいでもあり、でも何もその後会う約束なんかはしなかったけど、夢だからすべて自分にとってあたりまえで、ただ私とマイケルが出会ったのはふたりが特別な運命によって結びついてたから、なにか時間を超越した出会いという感覚だった。

初めてマイケルを見たのは、どっかのレコード店の店先の画面だった。マイケルのしぐさ、ダンス、容貌、ビデオの息もつかせない演出にくぎつけになった。これほどまで自分をひきつける、たとえ会ったことがない人でもそれはもう運命の人以外の何者でもなかった。

それからしばらくして整形手術のことが話題になったけど、あの美貌がそんな人工的なものだなんて、これもやはりエラク納得がいくような気もしたし、人間のワザであれほどの美貌が作られうることがウソみたいでもあった。あんまり圧倒的だから、その背景がどうであれなにやら納得したというか、どうでもよかったのだ。

恋ってなんなのか、40代の今でもわたしには不明。べつにマイケルに恋したのかどうか、わからない。ただショックだったのだ。それいらいこんなふうに自分で自分に問いかけたり書いたりしたことはないけど、あのときはマイケルが作った音楽世界がマイケルというキャラクターに同化してたんだと、ずっとわかってた。私にとって音楽はいつだっていちばん気持ちを動かされる表現だった。

あのとき彼は、自分の好きなことをしただけ?名声のため?お金?他にやることがなかった?人からすすめられて?そんなことは個人的にはどうでもいい。ただ、ショックを受けたのは、音楽のおまけじゃなく、音楽と動画がひとつになって独立したエンタメになった彼の作品。それまであんなものを見たことなかった人は私だけじゃないんじゃないかな。

「スリラー」以前、音楽ってコンサート以外では、見るものじゃなかった。レコードはマスプロダクトでもそれは聞くものだった。ポップミュージックを、「動画」として量産することになった、ポップミュージックの領域そのものを変えたのはマイケルだったような。(その後20年たって、You-Tubeでもっと、音楽は動画として再生されてるけど)音楽なんだけど、古典的エンターテイメントの要素を集めたミュージカルのようなコンテンツとか、技術の高さや、その中でパフォーマンスする彼の中性的で完璧な美貌とダンス、そういったすべての組み合わせやらがすごく効果的で、初めて出会った何かだった。
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by nanaoyoshino | 2009-07-04 02:14 | hundreds of days off