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グッバイ・サラリーウーマン

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このタイトルを「グッバイ・サラリーウーマン」にしたのは、ワケがある。最初は「サラリーマン」にしてたのに、「サラリーウーマン」にしたのは、「マン」と「ウーマン」じゃぜんぜん違う、っていう気がしたから。個人的に違う、っていうよりも、社会の中で自分以外の女性も含めて考えると、女が働くのと男が働くのって、なんだかスゴク違う気がする。

友人でアメリカの大統領が結局ヒラリーじゃなくてオバマになったことを、「一昔前の日本の会社の出世の順番が、一番できない男性の後に、一番できる女性だと言われていたように。とにかく男性の順番待ちがあるから、女性は一番後ろの男性の後に並べみたいな」って表現してた。

私は結婚してても子供はいないし、しかも欧米の男性がパートナーで、それほど「女」だからどうのこうのと感じない。それでも客観的に見れば、会社でいちばん上の人たちのほとんどが男性だし。いろんな国に実際に旅行して普通の女の子や女のヒトと話した経験がある自分が、世界っていう視点で見たら、社会で働く意味とか、働く女の立場と男の立場って相当違いがある。

あ、だからってこれを読んでくれてる読者の男性には何の罪もない。誰が悪いとかじゃなく、とにかく立場が違う、ってそれだけのことなんだけど、なのに同じに「サラリーマン」ってくくるのは違和感を感じたのでタイトル変えました。

ブログを書いてると来て見てくれるヒトは友達と限らないのだけど、友達がメールなんかでいろんなコメントをくれる。それがスゴク刺激的。自分できづかなかった、抜けてたポイントとか浅かった読みも指摘してくれたりして、逆に考えかたが深まる。この「グッバイ・サラリーウーマン」にしても、引用してくれたヒトの文を読んで「あ、自分が書きたかったのは『働くことの意味』みたいなことだったんだ」、と気づいたり。

そんなワケで、「世界の庭とごはん」もまだまだ続きますが、「グッバイ・サラリーウーマン」も会社を辞めてからどんなことになるか、これからも書いていきます。「世界の庭とごはん」は過去の体験を書いてきたけど、会社をやめたらまた旅行にも行くつもりなので、こっちも同時進行的に、現地からの報告になるかもしれません。どうか、これからも応援してください。
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by nanaoyoshino | 2008-12-23 22:58 | hundreds of days off

35 Simple Life/English 英語版について

要望があり、今後日本語で書いたものを一部英訳することにしました。カテゴリーは
Simple Life/English になります。ご興味のある方は右ナビの、このカテゴリーをクリックしてください。

米語ではなくイギリス英語、教科書的ではなく口語的です。わかりやすい自然な英語を目指していますが、教科書として書くわけではありません。誤りなどお気づきの点がありましたらご指摘いただければ幸いです。そのまま訳すだけだと外国の方にわかりにくい記述は、限られた一部内容を変更または加えています。以上ご了承ください。


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by nanaoyoshino | 2008-12-21 02:01 | profile/プロフィール

会社辞めます。ご意見教えて!

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グッバイサラリーウーマン、復活です。近く会社を辞めることになりました。

大家さん稼業にいよいよ本格関与すべく
賃貸に出すつもりの家を借地権で購入しようかと思っています。
みなさん借地の家を購入することをどう思われますか?

借地が、「持たない&自由になる」という、このカテゴリーの目標へ近づくことなら
いいな。

来年収入がほぼなくなるので、収入がある08年に家を購入し支出を多くするほうが、
節税になるような気がします。そういうものでしょうか?
でもあと12日しかない、借地権の移転とか、できるのか?!

もしご存知の方がいらしたら教えてください。

行政の法律相談で弁護士に聞いたところ
国が所有者であるら地代更新料などの支払いはなく
想定外支出のリスクはないとのことだった。

税理士とも会って相談したいと思ってる。
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by nanaoyoshino | 2008-12-18 23:53 | hundreds of days off

祖父母の庭とごはん<2>

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祖父母の家というと、縁側のある座敷に刀がかかってたことを思い出す。母の祖先はサムライだと聞かされたけど、子供の頃は祖先というのはみんなサムライなんだと思ってた。お座敷は灯篭のある、苔むした木立に囲まれた庭に面してた。増設したらしいトイレは家の中というより庭の一部みたいだった。

トイレの外にバケツみたいな容器がぶらさげてあって、手を洗うとき、ガラスがない窓から手をさし出して、バケツの下の針みたいなのを押すと水が出てきた。この家はもうずっと前に誰かに売られて今はもうとり壊されてるだろう。

祖父母の家に行くと、祖母の料理は子供の私にはまったりした単調なしょうゆ味で、老人くさく思えた。祖母は和食だけしか食べなかった。陰気な食器に入った煮物や、骨がたくさんあって食べにくかった魚の食べ残しくらいしか、今は思い出せない。

私の母はめったに和食を作らなかった。ハンバーグやシチューやカレーを好んた。母は食器にはこだわりがなかったけれど、母の兄弟が小さな工房で作った食器のことだけ覚えてる。大胆で抽象的な、カリグラフィー(お習字)みたいな柄。祖母もだけど、できあいの惣菜などは使わなくて、母はそれを誇りにした。

私がよく作るのは中華で、外食もほとんど和食か中華。私も惣菜やレトルトなどは使わない。1人暮らししてたときは、もっぱら明るい花柄のアメリカ風なお皿が好きだった。でも今は古典的な柄の和食器だけを使う。洋食を作る時はヴィンセントが好きな卵料理を手伝ってもらって、ときにはまったくお任せして作ってもらう。洋食はあまり作らないながら作るとしたらワインやバター、にんにくを使っても全体としてはあっさり味付けた肉料理か、オリーブオイルとクレージーソルトとお酢だけかけたサラダくらい。

母の死後、母を忘れないため母の若い頃の日記をたまあに見る。日記には祖母とのケンカのことが、たくさん書いてある。母は自分の父、つまり私の祖父に憧れてたみたいだけど、祖母とはソリが合わなかったみたい。母のボーイフレンドのことも自分の母には一切話さなかったみたい。あの家で若い母と祖母が、私が生まれるずっと前にそんなふうにして一緒に暮らしてたのはなんだか想像しにくい。
(これは母方の祖父母のことで、遅い子供だった父の方の祖父母にはほとんど会った記憶がない)
関連項目「祖父の背中」
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by nanaoyoshino | 2008-12-17 00:21 | 世界の庭とごはん

My grandparents’ garden and their dining 1

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日本語訳はこちら→「祖父母の庭とごはん<1>」


My grandparents’ garden was surrounded by other 2-story houses and the ground was swollen dump with gown moss with an earthy smell. Through the old fashioned gate and wall made of woven bamboos, when my parents calling my mother’s grandparents, I would jump on the flat white stones positioned to walk in the garden. The garden had a big stone lantern among some trees, and the dark and narrow garden was usually silent.

Their ceiling was almost sunk because of too many books my grandfather kept in his attic rooms. The attic rooms were very dark with the low ceiling and small windows. Whenever I looked at him from the door of the attic, I could only see his back writing and buried in the highly layered books surrounding his back. Later his attic study was completely filled with books and he had to move to the small 3 tatami-mat room on the ground floor beside the entrance hall. At that time, the entrance hall was as big as a small room and the light of his study made the beautiful pattern woven traditionally by fine bamboo branches of the circular shaped window on the wall between the room and the hall.

Since my mother’s brother’s bride came to join the family, the traditionally made cold kitchen on the ground became a modern kitchen and foods were prepared by two women. The dining room was next to the kitchen and my grandmother was grating the hard dried fish (like grating cheese) to make fish soup. I was asked to help her at times. My mother and my grandmother were not quarreling in those days. They used to talk about this and that endlessly with their feet in a warm kotatsu table (*).

My grandmother’s parent was a landlord in the countryside. She met my grandfather when she stayed with his family in town to go to high school. My grandmother loved elegant and exquisite things. Her photos had the scenes of her parents’ garden with the musicians playing the violin quartette or a summer house and its German architect leaning on his work. Taking the western culture at home like this was rather unusual at that time in Japan.

There was a traditional Hibachi fire place with coals in the living room. My grandmother used to do her sewing work there. She occasionally took pieces of Chiyogami paper in various colours and the Kimono like patterns from a chest of drawers made of paulownia wood. She made envelops from the paper and sent us letters in them. I could not accept an elegant umbrella in plain rose with the bamboo stick she sent to me as a present because for an 8 year old girl, I felt as though it was too different from other children’s umbrellas with manga like patterns and it looked for an older woman. I could not either understand the prettiness of a jewelry box with Geisha pictures from Kyoto.
(to be continued to the last half)

*a traditionally used winter table to warm feet, before by coals now electrically with a futon
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by nanaoyoshino | 2008-12-14 21:35 | Simple Life/English

祖父母の庭とごはん<1>

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祖父母の庭は、隣の同じような2階建の家に囲まれて、いつも苔のにおいがする土はじっとり湿って乾くことがなかった。古風な垣根と玄関を通って入って行くと、父母が玄関で祖母とあいさつしてたりする間、子供の私は飛び石の上をぴょんぴょん歩いてた。石と灯篭と少しの木立に囲まれた暗く狭い庭は、たいてい静まり返ってた。

家の2階は本で落ちそうだった。2階の部屋は屋根裏部屋で、天井が低く窓が小さく室内は真っ暗だった。祖父はいつも入り口からは背を向けて、本の中に埋もれて書き物をしてた。書斎は本で埋まってしまいその後、1階の台所の隣でもある玄関脇の3畳になった。昔の玄関は3畳くらいもあって、玄関と書斎の間には円形の枠の窓がついてて、夜祖父の書斎に明かりが灯ると、竹の細い格子が風情のある模様を作った。

母の兄弟のお嫁さんが来てからは、寒い土間が近代的な台所に変わり、ごはんはお嫁さんと祖母が作った。台所の隣の茶の間で祖母はよくかつおぶしを削ってて、小さい私はときどき手伝わされた。その頃母と祖母はけんかをしなかった。2人でいろんなことをコタツに入ってとりとめもなく話してた。

祖母の両親は田舎の地主だったと聞いた。祖母が街の学校に通うため、遠い親戚だった祖父の家の下宿して、祖父母は恋愛結婚したのだと聞いた気がする。祖母はきれいなものが大好きだった。祖母のアルバムには、実家の庭でバイオリン四重奏を演奏する音楽家や、庭に建てた八角形の茶室や、自分が設計したその建物によりかかるドイツ人の建築家といったような、私には想像できない日常の写真が貼ってあった。

座敷には火鉢があった。祖母はそこで縫い物をした。それから桐のたんすの中の小さい引き出しから、いろんな色や柄の千代紙を出して見せてくれた。祖母から届く手紙は、その千代紙で作った封筒に入ってた。祖母がくれたローズ色で、もち手が大きな竹でできた傘がどんなに美しいか、8歳の私には理解できなかった。他の子が持ってるようなマンガっぽい絵の傘なんかとあまりに違いすぎて年寄りの傘みたいで、恥ずかしかった。京都のおみやげの舞妓さんの絵の小箱も大キライだった。(つづく)
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by nanaoyoshino | 2008-12-14 01:12 | 世界の庭とごはん

冬の韓国の庭とごはん<2>

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いびつな形の韓国海苔がおいしくて作り方を聞いたんだけど、奥さんのことばは私にはよくわからなかった。キムチも、聞いたら自家製だった。キムチがその家の自慢みたいだった。みんなで一緒に静かにごはんを食べた。おじいちゃんは私に一度も話しかけなかった。奥さんはにこにこしてきさくで、親切だった。他にも作り置きのお総菜がいくつか小さいお皿で並んだ。

妹が一番英語が話せたので私といろんなことを話した。妹は町で仕事をしてて、旅行関係の資格を持ってると言ってた。目の前の妹はすごい美人で、韓国風のくっきりしたメイクをした写真を見せてくれたとき「きれいだね」と言ったら、すでに自分で知ってたようだった。

きのうの夜は暗くてなんにも見えなかったけど、朝起きると庭は見渡す限りの段々畑に囲まれてた。庭には柵なんかはなく、というのも他に家は見当たらず、段々畑は丸い小山の数だけ、いくつもいくつもきちんとした弧が重なってた。

犬はまだ湯気のたってる残飯を、おいしそうに食べた。トイレは庭先の犬のいる囲いの隣で、くみ取り式だった。屋根があるだけで窓はガラスがなかった。子供の頃、夜行くのが怖かった、亡くなった自分のおじいちゃんの家のトイレを思い出した。

朝ごはんの後会社へ行く妹と、一緒にその家を後にすることになった。ずっと一言も私に話さなかったおじいちゃんが、完璧な日本語で礼儀正しくお別れの挨拶をした。外に出ると空気は凍るように冷たくて、空は枯れ木の影が濃く、暗く見えるほど晴れ渡ってた。オンドルのぬくもりだけ足裏にいつまでも残った。
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by nanaoyoshino | 2008-12-09 00:19 | 世界の庭とごはん

冬の韓国の庭とごはん<1>

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ずっと前、下関から船で釜山へ行くのが夢で、あるときその夢が実現した。船の中で寝る前にハングルを一夜漬けで覚えた。ガイドブックで、日本の占領時を知ってる人は日本人によい感覚を持ってないと書いてあった。朝の釜山は小さな通りも人がいっぱいで、屋台で食べたまあるくて柔らかいおもちの入ったアツアツのお汁粉が嬉しかった。

釜山を出て何日か前に電話で予約したホテルに、バスに乗る前確認の電話を入れると予約は入ってなくしかも満室だと言われた。とりあえずバスに乗ってその場所へ向かった。バスもいっぱいで補助席になった。隣の小さな男の子と遊んでるうち、長距離で時間があったからその子のお母さんとも話すようになった。

その家族の家は町でさらにバスを乗り換えて山をいくつか越えたところにあった。きりりと寒い冬空の下、犬が吠えてた。家の中はオンドル(床暖房)でぽかぽかだった。聞いたら炭を下で燃やしてるとかで、危なくないのかなあって思った。

おじいちゃんと若夫婦と男の子、夫の妹と、3世代がいっしょに住んでた。奥さんがみんなのために食事の準備とかやって立ち働き、男はゆったりと床の上に座って食べてた。私はおじいちゃんを初めて見たときから緊張した。ガイドブックのことを思い出したから。(つづく)
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by nanaoyoshino | 2008-12-07 23:51 | 世界の庭とごはん

辺見庸の庭とごはん

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食べるエッセイを読んでみようと思った。辺見庸という作家の「もの喰う人々」という本が目に入って買った。このエッセイはいわゆる日本のバブル時代に「飽食」との対比で発展途上国の「食べる」シーンを見てみようということからスタートしたみたい。時代背景というのがやっぱりあるのだ。この本の描く「食べる」シーンは、戦争とか汚染とか、貧困とかで社会経済が「飽食」と反対の人たちのものだ。

「もの喰う人々」というタイトルの「喰う」というのが、どこか動物的だ。「喰らう」という言い方もよくされてる。食べることにはいろんな意味があって、まずは生きるために食べる。この本のタイトルが「食べる」じゃなく「喰う」なのは、そういう目的で食べてる人を描いてるから、ってことも関係あるんだろうな。

生と死と食べることとエロチシズムはつながってる。なぜかというとエロスがあって生まれ、食べて生き、食べなきゃつまり死ぬということ。食もエロスも、生きるか死ぬかという境にある。食べることは動物っぽい、根源的な行為。自分がものを食べてる口とか、みっともない気がして見たくない。他人が必死でガツガツ食べてるのもあんまり上品じゃないし。まあだから一緒に根源的な恥ずかしさを共有すると、あけっぴろげになれるって言う人もいる。

イギリス料理っていうとおいしくない、っていう評価がふつう。それと関係してると思うけどイギリス人は食べること自体には関心があるのに、やたらと関心がないふりをする。大人数が集まるイギリスでのパーティーで、すごいごちそうが並んでるのにずっと誰も手をつけなかった目にあったことがある。私はお腹がすいてたのでたまらず、まわりの人に「これ食べていいの?」「なんで誰も知らんぷりなの」と聞きまくっちゃった。

「まずあんたが食べればみんな食べるよ」と言われて思い切って1人でつまんでみたら案の定というか、その後どっと人がおしよせてあっという間に山盛りの料理がなくなった。イギリス人にとっては食べることは恥ずかしいことだったのだ!

以前お茶漬けを食べる人をひたすら音もそのまま、ナレーションとかなるべくはぶいて見せてる日本のCMがあった。ヴィンセントはあのCMがかなり不快でぜんぜん理解できないみたいだった。日本人は食べることへの関心を隠さない。

食べることはただの消化と排泄のプロセスに過ぎない、と言うイギリス人にも多く会った。でも考えたらイギリス人だけじゃない。たとえば少しづつ、美しく盛った会席料理も、食べることの恥ずかしさを優雅さでたくみにカバーしてるようにも見える。

日本人に限らずたいていの国では(イギリス以外の?)貧しい国であっても食べることすなわち人と交わることで楽しむことだよね。そもそもイギリスではプロテスタンティズムとかいって、働け働けと奨励する産業革命のころ、「食欲も性欲も恥ずかしい」って罪悪のように言われたんだろうなあ。食べることが生きるためだけじゃない、ほかの意味を持つ社会では、単純に食べることはときどき恥ずかしくなるのかも。

ところでジャーナリストでもある辺見庸にとっては世界は庭みたい。わりとかるがる自分の庭のように好奇心のまま、戦争で食べるものがなく死にそうな人たちのところへでかけて行ってるように見える。でも取材される相手にとっては、ただの野次馬根性でやってきた部外者みたいなもん。とはいえ、本にすることでこれまで知られてなかったことを、広く知らせることができたら、いいじゃんって思う。
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by nanaoyoshino | 2008-12-02 00:56 | 世界の庭とごはん