<   2008年 09月 ( 8 )   > この月の画像一覧

動いてても止まってるようにしか見えない

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「ある人が何年か前ローマに住んでた時、庭から古代の柱が出てきたんだって」*‘Someone who lived in Rome a few years ago found ancient pillars in the garden.’
「発見だな。それで?」‘That’s a discovery. Then?’
「役所から来た人たちによると、紀元前200年の柱だったんだって。」‘People from the government said they were from 200 years BC.’
「すごいな!」 ‘Amazing!’
「でも別に珍しくないからほっとけって言われて、犬小屋の支えにしたそうだよ。」’But they said there were a lot of such things so just leave it. The landlord used them to support their kennel.’

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普段着の英語

以前バーサの家を改装中、壁からヴィクトリア時代の暖炉が出てきたハナシを書いた。このとき階段の手すりを覆う壁を壊したら、やはり当時の彫りものがある木の手すりが出てきたんだって。それを夫婦でやすりで磨き上げ、美術館の階段みたいに仕上がった。このテの話はとくにイタリア人からよく聞く。家の天井を改装中に何百年か前の壁画が出てきた、というたぐいの話。

日本でも、京都の友達の世間話は、近所の家の庭から数世紀前の遺跡が出てきた、とかいう話だった。以前京都駅構内で高校生がブラスバンド演奏をしてて、「空海来日記念」みたいな垂れ幕がかかってて、単位が数世紀以上だった。やっぱり10年単位の地方都市や東京と、京都では歴史にたいする感覚が違うと思う。

中高生のころ、歴史と地理の授業が一番退屈だった。どちらも人気のある先生だったけど、人気の理由が「受験に役立つ授業」というものだった。今思い出しても当時教えられたのはその時代の出来事が「点」として語られるだけの歴史だった。

歴史はその出来事が起こるずっと前から背景があり、起こった後もたとえば戦争と殺戮の記憶なんか、何世紀たっても子孫に受けつがれ消えない。対テロ戦争だって、何百年単位で続くイスラム教とキリスト教の関係の結果でもあり、すべて特定の場所の地理的条件もからんで起こっているから、歴史は地理でもあるのだ。そういう立体的な歴史の姿を、どの先生がこれまで教えてくれただろう?

だいぶ前イギリスや、インド、中国で飲んだお茶のことを書いた。(「47 気違いの紅茶」参照)こういう国で「茶」を意味する語はいうまでもなく、たったひとつの語源から来てる。旅をすると旅先で出会う、今を生きてる人たちの生活が、遠くの場所、遠い歴史とあざやかにつながる。それはいつもただひとつに見える。

*犬養道子「ヨーロッパの心」

<写真について>
世界中見られる放牧のこんな風景は、たぶん千年以上も変わってない。動いてても止まってるようにしか見えない羊の動きがますます、止まった永遠の時を思わせる。
撮った場所:イギリス
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by nanaoyoshino | 2008-09-29 01:23 | SimpleLife/普段着の英語

結局アンタはどっちなの?

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前回ブログに、持つ自由と、持たない自由について書いて、結局アンタはどっちなの?と思った人もいるかもしれない。自分でもそう思い、またこのお題について書かなきゃって思った。サラリーマンをやめたら私はたぶん「持つ自由と、持たない自由」を少しずつ、得たいという気がする。

持たない自由を得るってことは、世の中で認知される会社に、集団に属さず、つまり制度に属さず(結婚も社会的制度だよねえ)徹底して孤独に1人になるってことのような気がする。制度に属する人は属さない人を自然に、「異端」としてヨソモノとして扱う。悟り開くみたいにあっけらかんと生きないと、相当強いストレスにまいっちゃうはず。たぶん私には、そこまで徹底して制度に属さない生き方は、ムリ。

持つ自由について。まず、自分が生きてるこの日本のお金(資本主義)のしくみを、わかりたい。それから家を、「持つ」ことになればいい、と思う。もしここであまり極端に貪欲に、ガツガツしなくちゃならなかったら、ちょっと立ち止まって冷静になるとか、ある程度自分で制約をもうけるとかしないと、ほんらいの目的と違う方向にいってしまいそうで、注意が必要だ。

会社には属さず1人で、大家さんとして、小さな資本を持って、小さなビジネスを始める。仕事でなくボランティアとしての社会貢献はやりながら、フリーランスとして、社会貢献と関連があるできればこれまでの経験を生かした、広告とも関連がある仕事をする。(たとえば企業の社会的責任に関する広告の仕事)まだあまりまとまってないのを恐れずに言えば、持つ自由とは、資本主義に利用されないこと。持たない自由とは、所有や制度を含む「しがらみ」を軽くすること。

最近気づいたことは、やったことのない領域でチャレンジするのは手探り状態で、ほんとに大変だってこと。もうひとつ、サラリーマンでいることのありがたさ。いろんな人の手助けがいるから、友人に助けを求めるのは、会社で別の階に行ったり内線をかけたりして、同じ企業で目的をひとつにしてる同僚の仲間に助けを求めるより、心理的につらい。なんだかんだ言いつつ頼りになった上司もいない。

さらには自分はやっぱり、「アリトキリギリス」のキリギリス。将来と今とを天秤にかけたら。今が大切。だから、努力もガツガツではなく「ぼちぼち」やる。でうまくいかなかったらまた考えりゃいい。自分でもまだどうしていいかわからないことがたくさんあるからこそ、ブログに書いてみんなの意見も聞きたいです。これからもよろしく。

<写真について>
駅の床に貼ってあった巨大な広告は、写真のようにデニムジーンズの生地感まで再現した絵。今見た長距離電車の中の光景そのままのよう。旅に行く人も終えた人も、この絵を踏みしめて通り過ぎる。
撮った場所:イギリス
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by nanaoyoshino | 2008-09-28 13:41 | hundreds of days off

パーマネント・トラベラー。持つ自由と、持たない自由。

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何年も前アフリカで旅行中に出会った20代のオーストラリア人の夫婦は、奥さんが建築家、だんなさんが大工で、二人で家を建てて人に貸し、自分たちはときどき戻ってメンテナンスしながらも、1年以上も世界中を旅してた。私は旅行が好きで、まだ何一つ不動産を所有してないけれど、いろんな人の話を聞いて会社に縛られず旅行を自由にする手段として、大家さん願望を持ってる。

発展途上国への旅が好きだ。発展途上国への旅は、日本語はもちろん英語も通じないし、その大変さは修行のようでもあり悪夢のようでもある。なのになぜ好きなのかというと、たぶん好奇心を満たしてくれるから。余談だけどある意味、好奇心は悪魔のようにも思える。

発展途上国への旅は、行く先々で出会う、親切で自分を助けてくれる人たちに支えられてる。オープンに心をすぐ開いてくれ友達になれるのはたいてい、ごく普通の庶民だ。中でも長距離電車の中で大学生とか、ちょっとインテリで好奇心旺盛な人が隣だと、英語が喋れてコミュニケーションがしやすいから、本や音楽や映画の話とか、まるで長年の友人みたいに話がはずむ。

一番話がはずまないのが、飛行機で隣になるようないかにもお金持ちっていう人たち。こういう人だど、忙しいこともあるだろうけどまず警戒心が強く、なかなか心を割って話すこともない。たいていが私のような初対面の外国人にさえ、(貧乏旅行者だからかもしれないが)狙われるのではないかと、多少用心してるようにも見える。

以前「夏のお茶室」の話でも「ハワーズ・エンド」のことを書いたその同じ作家、E・M・フォスターの短編で「岩」というのがある。海でおぼれそうになったところを助けられた人の話で、この人は海で助けられて以来、ある信念を抱くようになり、自分の資産を全部、自分より貧しい人へ差し出し処分するのだ。助けてくれた地元の人に金品のお礼するどころか施しを求める。そのことで地元民から大変な非難を浴びる。

よく駅で立って「喜捨」を待ってるお坊さんなんかがいる。私はこの本を読む前からだったか読んでからだったか、物を持たずに生きることは崇高な生き方のように、ばくぜんとそんなふうに感じてる。物を持たず、人から恵んでもらい、お返しをしない。とてもつらい生き方だけど、持たないこと、ただ他人の好意にだけ頼って生きること、人に貸しをつくらないことは、究極のシンプルライフであり、自由のあり方のひとつじゃないかと思う。

パーマネント・トラベラー(P・Tとも言うらしい。意味は「永遠の旅人」)という本を今読んでる。ものすごいお金持ちが税金を最小限にするためタックスヘブンに賃貸で住み、どの国にも居住者として認められないよう、一定の期間、一定の頻度で外国へ滞在する生き方についての本。いわば、持ちすぎたがために国家を捨てた人たち。物は持っても国家というものからは自由な生き方、とも言える。自由というのはいろいろだ。物もお金も国家も持たないのが、究極の旅人であり自由であり、もっとも困難な生き方なのかもしれない。

でも大家さん計画を考え始めて以来、お金の勉強をするようになって、これまでまったく知らなかった、働くようになって以来何十年も払ってた税金のことを少し知ることになった。これまでの生活を、これまでと違う視点で見ている。それはある意味旅行に行くのと似てる。旅から帰ってくると、これまでと同じ自分の生活がぜんぜん違って見えたこと、誰にでもあるんじゃないかな。

<写真について>
この線路はどこへ続くんだろう。手すりのこちら側にいる自分は、線路の向こうの世界へいつ旅立てるのか。
<撮った場所>イギリス
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by nanaoyoshino | 2008-09-25 00:07 | hundreds of days off

ぼちぼちでいいよ

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大家さんを目指して家を探してたんだけど、サラリーマンもやりながらだとほんとに疲れてしまう。だから続ける自信がだんだんなくなってきた。そもそも欲とかないほうだと思う。ただお金のことを知ることは世界を知ることだと思う。だから大切だし、時間的に自由になって旅をしたいし、ってことで始めたものの・・・。

いったんコレという物件を目にすると、調べることがとても多くなる。お金や建築の勉強だけは、電車の中でもできるからそれほど苦にはならないんだけど、物件見に行ったり、業者と会ったりすると、忙しすぎ。それでまわりの人にムカッ腹がたって、あたったりする。

で仕事もこんなはずじゃなかった、っていうくらい忙しくなってきて、残業がないほうがマレ、ってい状態に戻っちゃった。でも自分が関心ある仕事をやらせてもらってるからあんまり手も抜きたくない。でいよいよ追い詰められてる気がしてくる。

最近になって週末、近所の病気のご老人の介助を少しやってたけど、行ってもあんまりやることがないことも多いので、しばらくお断りしようかと思ってる。国際NGOのほうも、イベントの手伝いやろうと思ってたけどあきらめざるをえない。こちらも「人手がいるような、そうでもないような」という状態だったから。

でも翻訳は電車の中でできるから、続けたいなあと思う。世界中で弁護士やジャーナリストが、ただ信念を曲げずに仕事をするだけで反政府的だとされ、逮捕されてる。マスコミの問題そのものとも関係あるだけに、逆にエコなんかと違ってマスコミにとりあげられにくい。だからこそ、その事実を世の中に報告する翻訳の仕事は重要だと思うし、そういう世界の現実との接点を失いたくない。まあ、エラそうですね、こんなこと書くと。スミマセン。

あ、そうだ、いつかほとんど無料で行ったセミナー。「成功する人は行動が早い」って。「成功」って難しい。苦手なジャンル。努力が少しは実ってほしいとは思う。物件探し長年ぼちぼちやってるのに何の成果もないことにあせって、生きいそいでたかな。でももっと大切なものを犠牲にしたらもともこもない。

Take it easy.ってフレーズ、が大好き。スワヒリ語のポレポレだっけ?韓国語のケンチャナヨーだっけ?そんなんと似てる気が、でも標準語の日本語に訳しにくい。ぼちぼちでいいよ、って感じか。関西弁にはありそう。ある?関西人の方。

<写真について>
公園にあった、まあるいシルエットの椅子。めいっぱいに、伸びやかでカラフルな絵が描かれてる。誰がどういうイベントで描いたのかな。椅子は誰かが座るのを楽しげに待ってるよう。
撮った場所:東京
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by nanaoyoshino | 2008-09-22 01:44 | hundreds of days off

傘の修理屋のおじさん

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あなたの傘大きいね。”Your umbrella is big!”
まるで3LDKの傘だろ。”It’s like our 3LDK.”
2人用にちょうどいいよね。”It’s good for us two.”

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普段着の英語

駅のそばに傘の修理屋がある。たった700円くらいで壊れた傘が直る。傘の修理屋って、子供の頃からあんまり見た記憶もなく、下町にありそうだけど実際に利用したのはこの店が初めてだったような。皆さんは傘を修理してもらったことがありますか?

この店では新品の傘もたくさん売ってるんだけど、あんまり売れてるようには見えない。でも行くといつも、修理済みの傘がいくつかカウンターの中に置いてある。いろんなお客の名前が書かれてる小さい紙がついてる中から、店の主人であるおじさんが、私の名前の傘を取り出してくれる。

実際は壊れ方によって修理代には400円~1000円くらいと幅がある。どっちにしても、修理の技術と比較すれば、なんだか申し訳ないような金額。だけど、きっとあんまり高くすると、今じゃ500円の傘なんかコンビニとか駅とかに売られてるから、わざわざ傘を直す人がいないからやむをえず、っていう事情なのかもしれない。

もうけようとかそういう感じはあんまりしないね。建物の上の階を人に貸すとかして別の収入源があるのかもね。そんな話を傘を直してもらうたびヴィンセントとする。この修理屋がいつからやってるのか一度おじさんに聞いてみたいけど、わりあい無愛想な人なので、なんとなく聞けないでいる。ヴィンセントもこれまで自国でも、傘の修理屋には見たことがなかったようだ。

一度近所の公園に散歩に行ったら、すごい嵐になってしまった。ヴィンセントの傘はひどい壊れようで、公園を去るときには全然傘の用を足してなかった。おじさんは傘を渡すといちおう見て、直せるかどうか判断する。その店で傘を修理してもらったら、ヴィンセントは「わあ、まるで新品の傘みたいだ!」って心から感動してた。

これまで一度だけ気に入ってた傘を持っていったら「たぶん無理だけどいちおう預かる」と言われたことがあって、翌日「輸入の部品だから、替えがなくて直せなかった」と言われた。その傘はたぶん、ここ5年くらいで唯一捨てた傘だ。
<写真について>
雨が短く集中的に降った後は、光が濡れた道を輝かせる。こんなときイギリスでは、地平線や水平線に虹がかかってるのをよく見かける。
Woman excite ウーマンエキサイト 旅とお散歩 : 旅とお散歩情報 投稿
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by nanaoyoshino | 2008-09-14 23:43 | SimpleLife/普段着の英語

hundreds of days off

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hundreds of days off って、「たくさんのオフの日」くらいな意味。「オフ」は通常の場から外れちゃってる状態を言い days off はふつう、休日とか、働かない日のことを言う。

働かない日というのは、旅やいわゆる「ボランティア」、それらを実現するため不労所得を得る毎日のこと。
そんなことについて、書いていくカテゴリーにしたいと思います。

(「グッバイ・サラリーウーマン」から  「hundreds of days off」 へ変更)

「a hundred days off」 (100日の休日?)って、アンダーワールド ってバンドのCDがあったと思うけどとくに関係ないけれど、このバンドはきらいではない。

でもオフのはずが私は頑張りすぎる傾向があるので要ちゅういだわ。

会社やめるとき一緒に働いてきた複数の人に、「なぜやめるんですか?」と聞かれ、たまたま目に入った雑誌に、ある漫画家のコメントがあって理由に近いと思ったのでメールした。

人生をルーレットにたとえると、複数の選択枝がくるくると回っている。しかも選択肢がどんどん増えていく上に、魅力的に見えていた場所がすぐにそう見えなくなる。そんな目まぐるしく変化するルーレットに対して賭け金を貼らなければいけないわけです。その掛け金そのものは、僕らは持っていると思うんです。それは文字通りお金だったり、時間だったり、あるいは愛とか勇気も、おそらくそれです。それなのに「大きな物語」と相対できずに、「小さな物語」だけが泡のように生まれては消えていく。そういう状況では、なかなか人が「幸せ」にはならない。

後で何人かからこの引用についてのコメントを聞いたり、メールしていただいたりした。

もしかすると誰かまたは何かの大きな物語の中にいるっていう気はしても、自分の物語が見えてない気がしてる人、けっこういるのかな。でその大きな誰かの物語からスピンオフしてはじまったのが、私の hundreds of days off なのかもしれない。

「広告20812号」の「人生の『一回性』をどう肯定して生きていくか?」
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by nanaoyoshino | 2008-09-07 01:49 | profile/プロフィール

Pepole from English speaking countries love poetry.


日本語訳はこちら→「英語圏の人は詩がお好き」

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When I lived in England I saw a sheet of paper on the boad in the libray lounge. I did'nt know what "the poetry reading" meant. I went there because the poetry reading was held in the town center where I used to browse often.

It was a simple gathering by approxmately 10 people and they read out their own poems to others. It was like a post-graduate class meeting in a way, with somone not a teacher who gives a lecture. Instead a man only occasionally gave his short comments to the poems. The biggest difference for me from the post-graduate literature class was that the site was a huge and freezing gateroom of a mideval castle fort probably much the same as a 1000 years ago.

A few years ago I heard that there was a poetry reading in Tokyo. Latelly I went to an English pub in Tokyo instead of a castle gateroom. It was much like the poetry reading in England. Most things happened just in the same way as in England except that some people played the instrunments or had their own or other writer's essays insetead of poems.

I heard this gathering has been continuing for more than 30 years in Tokyo by mostly English-speaking people such as British, American and Australians. The language was mostly in English and sometimes Japanese. Perhaps the events like poetry reading are not unusual in the UK and they could be compared with the Japanese Kukai aslo held traditionally by Haiku lovers since hundreds years ago. My hudsband sometimes reads some poems by T.S Eliot and W.E.Blake to his memory.

Literature sometimes reminds us of the social codes and pressure that we were not necessarily cooncious in everydaylife, other times the mystery of life and the wonder of love.

about the photo
The monitor at the satation shows the tired looking faces going back home from work after the day.
Tips ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━○.・.。.・・・‥……
I’m moved!  かんどう!
How nice! すてき! 
I’m angry!  はらたつ!  
How bad!  やば!
Amazing!  すごい!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━○.・.。.・・・‥……
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by nanaoyoshino | 2008-09-03 23:43 | Simple Life/English

ブログの写真とメディア

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ブログにのせる写真について書いておきますね。写真は、書かれてる文章を補う目的じゃなく、文章とどこかでクロスする(接点がある)ものを載せてます。メディア広告の仕事をしているせいもあり、広告や雑誌、ときには鏡や、鏡の役割をするものなど、さまざまなメディア(情報の送り手と受け手の間を介在するもの)をおもに撮っています。

今私たちが受けとめる情報はほとんど何かのメディアを通して表される。メディアによってもともとの内容はいつも少し変化してしまう。たとえばイギリスのオリンピック報道は、日本とイギリスそれぞれの得意な競技に共通のものがほとんどないから、日本でまったく見たことがない競技種目ばかりが報道される。こんな種目があったのか!とたぶん別の国へ移動するたびに驚くんだろう。

メディアを報じる側の価値観も当然入る。たとえば新聞で、いっぽうで重大ニュース扱いなのに、別の新聞では掲載すらされてないことが珍しくない。そういうことを意識しながら情報を受け取ること、メディアをうのみにしないでメディアとつきあうという姿勢が、正しく判断するうえでとてもたいせつだと思ってます。

メディアは意図してもしなくても、結果として表現になります。セキュリティーのためのモニターに映る人々の姿はなぜかうつろに見えます。こんなふうに表現目的でないメディアに切り取られたイメージが、偶然映された人たちの内面を暴露しているかのように見えることもあります。

過去のすぐれたメディアを入れて撮影した写真など、写真は必ずしも記事の内容そのままの場所を写してはいません。風景写真の場合は、わかりやすいきれいさを条件として選んでますが、きりとられた小さな四角い世界以上の、時間的空間的、つまりストーリーや人生、宇宙など、イメージがふくらんでくるような、または驚き、不思議さなどの「余韻」がある写真が好きです。
皆さんはどんな写真が好きですか?

<写真について>
目をつぶった顔って、(たとえば親しい人の寝顔、電車の中で寝てるサラリーマン、乳母車の中の赤ちゃん)起きてる顔と違って見えませんか?
はしたなかったり、無防備だったり、無垢だったり、死んでるようだったり、怒ってるようだったり、可愛らしかったり、赤ちゃんなのに意外と大人っぽかったり。
撮った場所:東京
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by nanaoyoshino | 2008-09-01 23:48 | profile/プロフィール