カテゴリ:世界の庭とごはん( 54 )

イギリスの小さな庭

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「イギリスはガーデニングがさかん」と初めて聞いたときは「庭ってどこ?」って思ってビックリした。 イギリスは左右が隣とつながったテラスハウスが多くて、たいていのテラスハウスには、猫の額ていどの庭しかない。 私が当時住んでいた家も近所の学生用下宿(シェアハウスという方が近い)も 同じようなテラスハウスで、ゴミが放置された小さなスペースを誰も手入れしてなかった。

Vの実家もテラスハウスで庭と呼べるスペースはごくわずか。でもそのわずかなスペースに、夏は木が青々とし、ラベンダーやマーガレットなど色とりどりの花が咲き、鳥の巣箱がかわいらしく花畑の中に収まっている。

「誰が世話してるの?」と聞いたら、「うちの庭じゃないよ」だって。
「ここの庭のように見えるけど」と言ったら、隣の庭との境には塀も何もないので、木の葉も花も境界から脇へ顔を覗かせて、ごくわずかなスペースに堂々とはみ出しているためそう見えるのだそう。 隣の男性が、庭いじりが好きらしい。

Vのお姉さんのバーサのだんなさんのサムはVの親戚で唯一、ガーデニング愛好家。ちょっと郊外で、一軒を2世帯で住むタイプの家の庭は、びっくりするほど広いわけではないにしても、1人で世話してるならそれは大変だろうと想像つく。

よいガーデナーのことを、「緑の指を持っている」と英語で言うと日本の雑誌に書いてあって、バーサに「彼は緑の指を持ってる?」と聞いた。
「そうねえ!持ってるかもしれないわねえ!」

バーサは冬雪が珍しいほど積もると、クリスマスカードの絵のような写真を撮って送ってくる。サムは繁殖しすぎて庭を荒らすリスには罠を仕掛け、鳥には巣箱を設けそういうことがバーサや近所の人と自然に話題になっている。

春夏は色とりどりの花が咲くのをサムは、"Beautiful,are't they?"(きれいだろ?)の一言でいつも表現する。言葉の抑揚だけにその時々の気持ちを込めているみたいに。

サムは細長く傾斜する庭の一番低いところにある川岸にデッキとガラスのサマーハウスを設けて、天気の良い日はサマーハウスでバーサとお茶を飲みながら新聞を読む。天気が荒れるとメンテナンスを心配している。

もっと天気の良い日は、ガレージから椅子とテーブルを出してきて、庭で食事する。 彼が庭でハーブなど「スーパーで買うと高い」という食材を育てたのをバーサが料理し食べる。

「庭作りの何が好きなの?」と彼に聞いたら「自分の作品みたいなもんで、どうにでもいじれることかな」

ふーん。彼にとっての庭は、面倒でも楽しい、バーサにとっての料理みたいなものかも。
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by nanaoyoshino | 2010-09-23 01:55 | 世界の庭とごはん

ハリーはクールな猫

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ハリーは、トレーシー(Vの下のお姉さん)のかわいがってる猫。緑っぽい目に縞模様の毛の猫。

ハリーがお姉さんちに来たときは、すでに大人の猫だったらしい。前の持ち主が太らせたので今の2倍くらい太ってたと聞く。

今は結構大きな猫ではあるけど、中肉中背といったところ。トレーシーがもともと自分たちのダイニングルームに作ったコンサーバトリー(ガラスのサンルーム)が、ちょうど裏庭に通じていてドアもあるので、今ではハリーのベッドルーム兼ダイニングルームとなってしまった。

ハリーはこの裏口から朝、散歩に出かけて、夜日が暮れる頃、下のお姉さん夫婦が職場から帰ってくる時間に戻って来て家の中に入れてもらう。

夫婦がTVをみながらくつろいでいる居間にハリーもいっしょに、革張りのソファに自分の場所を確保してくつろいだり、お姉さんのだんなさんにじゃれて遊んでもらったりしている。

Vは猫の毛アレルギーがあるので、なるべくハリーに近寄らないようにしているのだけど、ハリーは遊んでもらいたいのか、Vが来るとVの後を追って足下をうろついている。

Vはしっ、しっとか「あっち行け!」とかいつも言ってるのに、まるで通じない。それでトレーシーやだんなさんがハリーと遊んであげたり、スナックをあげたりして気をそらせない限り、Vは家の中をハリーを避けてうろうろし、ハリーは遊んでもらってると勘違いしてるのか、しらっとした顔でVの後をついて行く。

お姉さん夫婦が職場に行き、ハリーが外に出された後も庭の大きなゴミ箱の上に寝そべって、窓の外からVと同じ目の高さでVを見ている。そのくせ、Vが見返すと目をそらすなどよそよそしい。Vは「クールな猫だなあ」などと変に感心している。

とはいえVはたとえガラスの向こうからであっても、猫が視界にあるだけで、精神的不安にかられるもよう。

朝、Vが私と居間のテーブルで、シリアルとトーストを食べているとき、視界をすーっと横切るものがあった。
「あれは、、、」と私が言いかけると、Vがうんざりしたような顔で私を見返す。
「ハリー!」
ハリーが正面の庭の、塀の上をゆったりと散歩していたのだ。

ハリーは塀のそばの木の下に置かれた陶器の犬にしなだれかかって、昼寝する。 (ハリーの写真)遠目には犬と猫が親しくしてるように見えるのだけど、ちょうど午後になると犬のところに日差しがあたって暖かくぽかぽかだからみたい。

私とVが庭のテーブルでお茶を飲んでいるときは、塀へのはしごの役割をしている木の枝から、私とVを大きな顔だけ出して見下ろす。

「不思議の国のアリス」に出てくるチュシャ猫そっくり、と言うとVは、
チュシャ猫の顔は、笑ってるんだよ、と反対する。
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by nanaoyoshino | 2010-09-04 01:41 | 世界の庭とごはん

リンゴの木

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デンマークやドイツのホテルでは、今朝カットしたばかりのフルーツをジュースに浸して出していた。ぶどうは粒にして、リンゴや桃はカットして。

きのう近所のコンビニで買った桃にカビを発見し、あわててそこを削って残りを食べた。*1 カビの箇所を削ったあと、ほかの箇所もカットして、余っていたクリームに浸して食べたけどあんまりおいしくなかった。

今Vの家には冷蔵庫がない。お父さんが老人ホームに入ってしまい、家を売ろうというところなので家の中はからっぽなのだ。

夕方、老人ホームから戻ったVがキッチンの桃に蠅がたかってるのを見て、「これもう食べた方がいいんじゃないの」と言う。

「カビがはえてるところがあるかもしれないから」と、私はVの桃の表面をナイフで剥いたんだけど、Vは「皮がついたままがいい」と言ってほかの桃の表面を拭いて食べ、私はむいたのを自分で食べた。

ヨーロッパの人は果物をむかないで食べる。リンゴなんか、ヨーロッパのは日本のよりずっと小さいし、ぶどうの皮も薄い。だから皮をむかないでも食べられるし、ぶどうの皮はさくっとしていても、けして固くはない、すこし酸味ある皮部分が甘い果肉とバランスがよく、皮のまま食べるほうがおいしい。

むいただけの桃は、果肉のぷりっとした固さがあってそのくせ口の中で果汁が甘く広がる。

すももをむこうとしたらやっぱり皮付きがいいとVが言うので、私も皮付きで食べたのだけど、かぶりつくと甘い果汁が口のまわりにしたたって、果汁を吸うようにして食べた。

このあいだVの下のお姉さんの家の庭で、彼女を待ちながら、Vと本や新聞を読みながら過ごしてたら、ゴトッとVの後ろで音がした。見るとリンゴが1個木から落ちていた。*2

お姉さんの猫も涼しくなった外から家の中に入れてもらおうと、のっそりと散歩から帰ってきた。なかなか暮れない長い夏の日が、ちょうど暮れた。




*1 最近はイギリスでもコンビニが普通になった。土日もやってるし夜11時頃まで開いていてとっても便利、田舎の日曜日のショッピングストリートは静まり返ってるけど。

*2 これを書いて子供の頃読んだ本 「リンゴ園のある土地」 を思い出した。鉄道線路やリンゴの木の前に住んでいる女の子の話だった気がする。当時は家の前にリンゴの木、っていうような土地に住んでなかったけどイギリスとかでは庭にリンゴの木、よく見かける、たぶん日本でも気候が涼しいところでは。

この本のことが書かれたブログを発見。「子供の本はいい」
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by nanaoyoshino | 2010-08-28 02:32 | 世界の庭とごはん

ドアから離れてお待ちください

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Vの家から歩く"walk"(散歩道)は、昔、川沿いに、街を通り港まで続く鉄道だった。

この地域は産業革命の時代に、炭坑や鉄鋼産業がさかんだった。鉄道で石炭や鉄を運んでたんだろうな。

昔の写真を見ると、Vのお父さんが働いていた鉄鋼工場には、たくさんの鉄道線路が工場内にひきこまれていて、工業用の鉄道がこのあたりにかなりはりめぐらされていたことが想像できる。

このあいだ書いた、深い谷にかかる橋も、Vのお父さんにたずねたらエンジン工場に鉄鋼を運ぶために作られたものらしい。Vによればエンジンという語は、列車も意味すると言う。いかにも産業革命が石炭エンジンによっておこったイギリスっぽい。

Vの家の前にも高台になっていて駅だったところが、今は住宅地になっている。エンジン工場と港までは50キロくらいあるかと想像するけれど、この大部分がおそらく「ウォーク」と呼ばれるハイキング用歩道になっている。

Vの上のお姉さんが住むところ、川沿いの小さな町まで歩いて約3時間ほどの道は林に囲まれ、丘陵地帯の峰に沿って作られているから、平坦で歩きやすい。

途中で林がとぎれる4カ所くらいは昔駅だったところ。今は芝生の公園のようになっていて、駅の建物は民家になっている。

一部にはまだプラットホームのかたちがそのまま残っていて、イギリスで電車がホームを出発するときよくアナウンスされる「どうぞ、ドアから離れてお待ちください」という放送が聞こえてきそう。

そんな田舎に工業用の駅など不要なはず。工業用線路ではあっても、Vのお父さんによると、ダイヤは少ないけれど客用列車もあった。林が開けたそこからの見晴らしはすばらしい。(つづく)
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by nanaoyoshino | 2010-08-21 09:09 | 世界の庭とごはん

ただまっすぐ行けば

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私とVはVの実家に行くたび、ほんの5分くらいの距離にある墓地に行く。そこにはVのお母さんやほかの親戚のお墓がある。

変な夢かもしれないけど、この墓地にVと一緒に葬られるのがいいな。
死んでしまったらどうなるかわからないので念を押すため何回かそう言ったら、Vはそういう陰気なことばっかり言うなって言う。
でも何回も言ってるからきっと覚えててくれるだろう。

イギリスで住んでいた家のそばにも墓地があった。ヴィクトリア時代ふうの、大きくて凝った門が遠くからでも目について、行ったことがある。ロンドンでは有名な作家とかのお墓がある墓地が観光地になってて、そこにも一度だけ行った。

あそれから、1000年前のお城の廃墟として観光地になってる海辺の場所の一部も墓地で、そこでは数世紀も前の墓石が、潮に吹かれて表面がケロイド状になっている。

イギリスで行ったことのある墓地って言ったらそのくらい。
どの墓地もひっそりとして人が少なく木や芝生やらがあって公園みたい。ケルト独特の繊細な幾何学模様のある十字架や、テーブルのような形のお墓や、日本のお墓とそっくりな小さな石のお墓。Vのお母さんのがそれ。

私がVの実家そばの墓地が好きな理由のひとつは、墓地は昔鉄道が通っていて今は散歩道にした道の脇にあって、その小道="walk"が大好きだからでもある。小道は私だけじゃなくVも大好きだ。

小道と言っても実際に鉄道だった頃は、Vの実家のある元炭鉱街から、そのルートで世界中に炭鉱や鉄鋼を輸出していた。だから距離としては何十キロもあって、今でもその道をただまっすぐ行けば海に出る。

今はところどころ、駅のプラットホームの面影を残しながらも、サイクリングや乗馬も楽しめる、林の中の散歩道になっている。(イギリスは今でも馬を飼っている人がたまにいる。厩まで持っている人は、お金持ちの印象)

Vの姉のバーサのだんなさんはサイクリングが趣味で、"walk"を半日くらいかけて海まで行き、いつもの海辺のレストランに車で行って待っている私たちに合流する。

海辺のレストランは、Vのもうひとりのお姉さんの家の近くにある。そしてバーサの家もこの"walk"をVの実家から7マイル(約10キロ)行った先にある。

以前私はレストランがある川の河口にある1000年前の廃墟の城から海を見ながら、日本は遠いなあ、ってよく思った。

Vの実家、お母さん、バーサの家、お城のそばに住むもうひとりのお姉さん、そして海から先の私。こじつければ、この"walk"沿いに全員がいる。

イギリスは平坦な場所も多いけど、丘も多い。その丘の尾根のようなところを通るこの"walk"はほとんど起伏がない。

だから何マイル歩いても、ずっと、とても見晴らしがいい。バスで丘の下の道を行けば20分。私とVは"walk"をいつも、約3時間歩いてバーサの家に行く。
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by nanaoyoshino | 2010-06-26 00:53 | 世界の庭とごはん

餃子の皮に包まれて

Vといっしょに台所で野菜と肉を餃子の皮につつんでいたら、思いは遠い中国へといざなわれた。

餃子の皮というのは、食べてるだけじゃわからないけど、ほぼ完璧な円の形をしてる。半透明にも見える薄さで、でも手のひらに載せるとしっとりとして心地よい重みがあり、ベビーパウダーを思わせるサラサラの粉が(小麦粉?)うっすらとまぶしてある。

こういうきれいなまん丸の形やら、粉のついた触感といった、手の込んだ感じが、餃子の発祥まで思いを馳せさせるのかもしれないな。

そういえば中国って、何でも「餅」って書くけど餃子の皮も「餅」って言うんだろうか。

9月に中国に行ったら、どこにでも月餅が売られていた。きっと中国の田舎の道端でも売られていた肉まん類も、餅だし、「中秋の名月」という風雅な習慣も、中国の発祥だろう。

中国人はどこでも道に品物を並べて青空市場にしてしまう。

物売りと、客の話し声、
通りを過ぎていく自動車のエンジンの音、警笛のブーブー言う音、
自転車のベルの音、
売りながら食べている(自分の昼食)食器の音、
物売りの女が歌うように同じ言葉を繰り返す透明な声などが、
小さな通りを満たす。

あるイギリス人が、日本のデパートの地下でモノを売る人がかけ声で声を嗄らしているのを
「日本人はバイタリティーにあふれている」と言うのを聞いたことがある。

中国へ行くと、売る側だけでなく買う側の交渉のバイタリティーもぜんぜん負けていない。
まるで全中国人が、生まれながらの商売人のよう。

あの光景を見た日本人たちは、たいてい、商売で中国を負かすのを、まずはバイタリティーの面であきらめてしまう。
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by nanaoyoshino | 2010-06-13 12:04 | 世界の庭とごはん

外だって、かんたんだって <中国の朝ごはん-3>

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中国はとてつもないスケールで大きいし古い。だから自分の国日本と似てるようでいながら、そのスケールのために、まったく似てないものにも出会う。自分のルーツと思えるものにも、どこにも見たことのないものにも、出会う。

中国へ旅するたびにいろんな中国人たちと食事をする。ひとり旅ならユースホステルに泊まってそこで会った人たちとか、バスで隣に座った人だったり、観光地でちょっとモノを尋ねた中国人の学生とか。

オープンなふんいきの若い中国人とふらっと朝ごはんや昼ごはんだけいっしょに食べて、あとはばらばらってことも多いし、1日~2日いっしょに旅することもある。

中国人はとても気楽に、食堂に入って麺類を食べる。日本でも食堂とレストランといえば、ぜんぜん違う雰囲気を想像するけれど、ここで食堂と表現した場所は、建物の1階にあって屋根はあっても、道路に面した側には壁がないというふうな中国のどこにでもある食堂だ。

中国人と食べた朝ごはんっていえば麺類ばかりで正直言ってうどんみたいなものに青野菜が少々のってた、というくらいで、ほかにはあんまり印象に残ってない。

一度生野菜を日本の鍋物みたいに脇へ置いて、お湯にさっと通して麺といっしょに食べたことがある。お湯が必ずしも沸騰しているように見えず、食あたりが心配だったのだけど、あっさりした熱いスープに、野菜はしゃっきり、サラダみたいな食感で朝ごはんにぴったりだった。(食あたりもなかった)

中国でもレストランと形容したくなるような、ホテルの中や鉄筋コンクリートの建物とか広々した中に厚い絨毯が敷いてあって、堂々としたふぜいのビジネスマンふうの客がいるようなところもあるし、「食堂」とこういう店との中間のような店もある。

高級そうなレストランに中国人と入ったことは少ない。店のたたづまいが高級になるほど、素材や味付けが他の国と比較できないほど豊富で複雑になってきて、凝った感じのごちそうがけっこうなボリュームで出てくるように思う。

でも私は中国人がぱっと入って麺類だけ食べてぱっと出るような、いかにも日常的な食堂のほうが、量も多すぎず時間も早いし味もシンプルで、自分に合う。人の出入りや街の空気が感じられるオープンエアーな場で、温野菜サラダ感覚の麺類は、ビックリするような味はないかわり、異様とかまずいこともない。

中国を旅すると食堂でも、こんな屋内だか屋外だか区別しにくいような簡易食堂や屋台みたいな店が、少し人が集まりそうな場所ならどこにでもあって、早朝から深夜まであいている。

ホンコンだか広州だったか郊外の場所だったと思うけど、朝バス停に向かって歩いていたら、バス停の前に屋台が(屋根もない、ただテーブルがあるだけの)いくつも並んでいた。

若いビジネスマンらしい人たちが朝ごはんを、おかゆとか麺類とか、食べていた。通勤の前の単独で来ているらしい人たちがいっぱいいて、かんたんなものばかりだったと思うけど湯気があちこちで立っていた。私もいっしょに食べたかったけどそのときはひとりで、どう注文するのか良くわからなくて、通り過ぎてバスに乗った。

中国で買い物していると店のレジカウンターのすぐ向こうに食卓が置いてあって、家族が食事していたり、川の近くを歩いていたら舟の上でまな板を置いて、野菜を切っている少女を見かけた。

中国ではどこへ行っても調理しているし、家族が食卓を囲んで食事をしている。いいかえれば中国人はどこだって台所にも、食堂にもしてしまう。世界中にある中華街だって、その延長のようにも思える。
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by nanaoyoshino | 2010-02-07 01:02 | 世界の庭とごはん

眠らない国の朝ごはんのこと <中国の朝ごはん-2>

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街のローカルバスだろうが、大陸横断のような超長距離バスだろうが、中国のバスはいつでも人でいっぱいだ。中国ではかなりの田舎に行っても、驚くほど人が多い。。眠らない人びとのこと <中国の朝ごはん-1>参照

長距離バスといえば広い中国では必ず夜行で、風のような速さでたくさんの集落を(乱暴運転で)通り過ぎる。どんな田舎でも、「賓館」などと書いた食堂が一晩中開いていて、真夜中過ぎの時間でも、男がイスにすわってボンヤリしている。

桂林へ行った時は、やはり夜行で「丑三つ時」というふうな時間帯に、人が乗るカゴのようなのを2人の男が運んで行くのとすれ違った。真夜中なのに、カゴのまわりで誰かが笛を吹いていたような記憶がある。すこし前の時代を舞台にした中国映画で、花嫁が遠い嫁ぎ先へそんなふうに運ばれるシーンがあったような気がするけれど、実際にあれがなんだったのか、いまだにわからないままでいる。


初めて夜行バスに乗ったとき、真夜中まで食堂に座っている男たちは何を考えてるのだろうと思っていた。

ある時屋台でそばの朝ごはんを食べていて、(夜行バスに乗る前だった)隣にいた英語が話せる中国人にまわりの人びとが何を話しているか聞いたら、お金勘定のことばかりだった。案外、夜中まで食堂で時間をつぶしている男たちの頭の中も、その日のお金のことかもしれない。

夜行バスは必ず途中、食事休憩のため決まった食堂(日本で言うとドライブインということになる)に1時間くらい立ち寄る。

やはり桂林へ向かう道の両側に大きな竹が風に揺れていた。
日本の竹とまったく違って、しなる幹が下から密集した重いたくさんの葉を持ち上げダイナミックに、踊るように揺れるのでしばらくは竹だと気づかないくらいだった。

そういう地域だからか、バスが休憩のため止まった食堂の家も、壁も天井もすべて細い竹でできていた。
人家もほとんどない山の上だ。電気もなかったが、蝋燭の火で照らされた、異様な竹の家は真夜中でも客がいっぱいだった。

店の若い男たちが声を張り上げ、動き回り、まわりの客が注文した皿が次々に運ばれた。真っ暗闇の山中に現れた、活気に満ちた空間は、まるで一流デザイナーに設計された都会のバーのように洗練された空間だった。

見知らぬ中国人にすすめられて食べたインゲンと豚肉の炒め物のおいしさは、素材の新鮮さと、中華なべでさっといためたようなものを即食べたことにあるように思う。その後これとまったくおなじものを以前書いた記事のFの家でFが作ってくれ、作り方を聞いて自分でも作るようになった。アメリカの朝食

翌朝目的地にバスが到着すると、バスターミナルは必ず食べ物を売る人びとに取り囲まれている。生の野菜や果物のほかにも、肉まんや餃子のような点心類、茹でた芋や卵があちこちで湯気をたてる。

駅の出入り口付近にも小さな、入り口を開け放した食堂が何軒も並んでいて、朝食のそばをすする人たちで、これまたいっぱいだ。

ところが私は乗り物ではほとんど眠れないので、くたくたになっていて、夜行バスの後、朝食を食べる気力が残っていたことがない。
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by nanaoyoshino | 2010-01-22 15:20 | 世界の庭とごはん

庭はやさしく、ごはんは快楽

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自然って、先進国の街の暮らしの中では、遠い。
そういう場所からいきなり数千メートル級の山や、
人家が何十キロもない場所に行って、街灯ひとつないまっくらやみや
一歩間違えると死という場所に行くと、
街の生活では感じない何かを、感じる。

それは未知というか、「死」の隣にある生というか、こわいような生だ。

でも庭は違う。庭は人間が好きな自然を再生したかたちとおもえる。自然を作り変えたものというか。

日本のお寺なら、山水画の再現のような庭だったり。

イギリスだったら、人間に益をもたらす花や果物や野菜を配置する。

だから、庭はやさしく、ここちよい。




ごはんって、食べるとき
「いただきます」と言う。

アジアでは西洋以上に、
人間も自然の一部だとはっきり意識されている、世界って、そういうもんだと。

だから、自分が食べるために命を失う運命にある
植物や動物など「自然」にたいし、「いただきます」と感謝をささげる。

植物や動物にとってもそうだけど、
人間にとっても、
食べなければ死ぬのだから、「食べること」は「死」の隣にある。

でも「ごはん」は、快楽。

ほんとうはそうだけじゃない、かもしれなくても。
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by nanaoyoshino | 2010-01-06 02:03 | 世界の庭とごはん

眠らない人びとのこと <中国の朝ごはん-1>

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いきなり関係ない話からだけど、近頃マイケル・ジャクソンの追悼CDが売れてるとかで、それの関連記事を目にしたりするたびに、違和感を感じる。

死んでからの論調が、あまりにそれ以前と変わった。自分の赤ん坊をベランダからつりさげるようにしてファンに見せたっていう程度の、まああぶなっかしいけど、結果的に事故がおこったわけでも、誰かに格別迷惑をかけたわけでもなさそうなことくらいで、狂人よばわりされたかとおもえば、突然こぞって偉人扱いするのも、私には不可解でならない。

藤原紀香っていうタレントがいるけど、数年前はなんだか、「(タレント生命が)もう終わり」みたいなことをしきりに書かれていたのが、なぜかお笑いタレントと結婚したとたんに論調が変わって好意的一辺倒になったもよう。

最近中国について、ネガティブな論調が多いけど、これも煽られて世間一般に中国が敵みたいにネガティブ一辺倒だ。

どうして、まわりがそう言うとまるでオウム(鳥)か猿真似みたいに、話題になってること以外の面はぜんぜん見ようとせず、その他大勢に同じく論を唱える人がこんなに多いのだろう?

いぜん、紛争国から来た人とポスターを作ってる話を書いたとき、彼らが紛争している国の「政府とその国の人はべつ」という冷静な態度をとってることを書いた。

中国についても、中国政府が人権侵害的な政策をとってるからといって、またごく一部の中国人が組織犯罪を国際的に行ってるからと言って、中国や中国人全般にネガティブな論調をあてはめようとするのは、無理がある。

あたりまえなことだけども政府の態度に賛成している中国人ばかりじゃないし、中国人と言ったって中国には何億人がいて、地域によってもルーツの異なる民族がみな「中国人」と呼ばれているのだ。

前置きが長くなった。
なぜこんな前置きかというと、中国とはとにかく広いし、中国だからどうだっていうことがむずかしいと思うから。

どの国でもその国の中に少なくとも何万くらいの人がいて、国による特徴よりも個人の特徴の差異が大きいのは当然なのですが、中国のような国はとくにそういう特徴づけが難しい。

前回書いたアメリカについて言えばアメリカ人というのは、民族と関係なく、そこに生まれたり一定程度住んでるからアメリカ人なのだ。

たとえば前回書いたFは中華民族であり「中国人」とも呼ばれている。でありながら国籍はアメリカ人だったりする。
「中国人」は、世界中に住んでいながら、彼らのルーツ(中国の何省、など)をたぶん、忘れていない。

だから、「眠らない国」と書いた中国大陸にも、眠る民族はいると同時に、たぶんアメリカや、ヨーロッパに住む中国人には眠らない人たちがたくさんいるに違いない。
(次回につづく)
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by nanaoyoshino | 2009-12-31 02:58 | 世界の庭とごはん