祖父母の庭とごはん<2>トイレの外にバケツみたいな容器がぶらさげてあって、手を洗うとき、ガラスがない窓から手をさし出して、バケツの下の針みたいなのを押すと水が出てきた。この家はもうずっと前に誰かに売られて今はもうとり壊されてるだろう。 祖父母の家に行くと、祖母の料理は子供の私にはまったりした単調なしょうゆ味で、老人くさく思えた。祖母は和食だけしか食べなかった。陰気な食器に入った煮物や、骨がたくさんあって食べにくかった魚の食べ残しくらいしか、今は思い出せない。 私の母はめったに和食を作らなかった。ハンバーグやシチューやカレーを好んた。母は食器にはこだわりがなかったけれど、母の兄弟が小さな工房で作った食器のことだけ覚えてる。大胆で抽象的な、カリグラフィー(お習字)みたいな柄。祖母もだけど、できあいの惣菜などは使わなくて、母はそれを誇りにした。 私がよく作るのは中華で、外食もほとんど和食か中華。私も惣菜やレトルトなどは使わない。1人暮らししてたときは、もっぱら明るい花柄のアメリカ風なお皿が好きだった。でも今は古典的な柄の和食器だけを使う。洋食を作る時はヴィンセントが好きな卵料理を手伝ってもらって、ときにはまったくお任せして作ってもらう。洋食はあまり作らないながら作るとしたらワインやバター、にんにくを使っても全体としてはあっさり味付けた肉料理か、オリーブオイルとクレージーソルトとお酢だけかけたサラダくらい。 母の死後、母を忘れないため母の若い頃の日記をたまあに見る。日記には祖母とのケンカのことが、たくさん書いてある。母は自分の父、つまり私の祖父に憧れてたみたいだけど、祖母とはソリが合わなかったみたい。母のボーイフレンドのことも自分の母には一切話さなかったみたい。あの家で若い母と祖母が、私が生まれるずっと前にそんなふうにして一緒に暮らしてたのはなんだか想像しにくい。 (これは母方の祖父母のことで、遅い子供だった父の方の祖父母にはほとんど会った記憶がない) (関連項目「祖父の背中」)
by nanaoyoshino
| 2008-12-17 00:21
| 世界の庭とごはん
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