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辺見庸の庭とごはん

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食べるエッセイを読んでみようと思った。辺見庸という作家の「もの喰う人々」という本が目に入って買った。このエッセイはいわゆる日本のバブル時代に「飽食」との対比で発展途上国の「食べる」シーンを見てみようということからスタートしたみたい。時代背景というのがやっぱりあるのだ。この本の描く「食べる」シーンは、戦争とか汚染とか、貧困とかで社会経済が「飽食」と反対の人たちのものだ。

「もの喰う人々」というタイトルの「喰う」というのが、どこか動物的だ。「喰らう」という言い方もよくされてる。食べることにはいろんな意味があって、まずは生きるために食べる。この本のタイトルが「食べる」じゃなく「喰う」なのは、そういう目的で食べてる人を描いてるから、ってことも関係あるんだろうな。

生と死と食べることとエロチシズムはつながってる。なぜかというとエロスがあって生まれ、食べて生き、食べなきゃつまり死ぬということ。食もエロスも、生きるか死ぬかという境にある。食べることは動物っぽい、根源的な行為。自分がものを食べてる口とか、みっともない気がして見たくない。他人が必死でガツガツ食べてるのもあんまり上品じゃないし。まあだから一緒に根源的な恥ずかしさを共有すると、あけっぴろげになれるって言う人もいる。

イギリス料理っていうとおいしくない、っていう評価がふつう。それと関係してると思うけどイギリス人は食べること自体には関心があるのに、やたらと関心がないふりをする。大人数が集まるイギリスでのパーティーで、すごいごちそうが並んでるのにずっと誰も手をつけなかった目にあったことがある。私はお腹がすいてたのでたまらず、まわりの人に「これ食べていいの?」「なんで誰も知らんぷりなの」と聞きまくっちゃった。

「まずあんたが食べればみんな食べるよ」と言われて思い切って1人でつまんでみたら案の定というか、その後どっと人がおしよせてあっという間に山盛りの料理がなくなった。イギリス人にとっては食べることは恥ずかしいことだったのだ!

以前お茶漬けを食べる人をひたすら音もそのまま、ナレーションとかなるべくはぶいて見せてる日本のCMがあった。ヴィンセントはあのCMがかなり不快でぜんぜん理解できないみたいだった。日本人は食べることへの関心を隠さない。

食べることはただの消化と排泄のプロセスに過ぎない、と言うイギリス人にも多く会った。でも考えたらイギリス人だけじゃない。たとえば少しづつ、美しく盛った会席料理も、食べることの恥ずかしさを優雅さでたくみにカバーしてるようにも見える。

日本人に限らずたいていの国では(イギリス以外の?)貧しい国であっても食べることすなわち人と交わることで楽しむことだよね。そもそもイギリスではプロテスタンティズムとかいって、働け働けと奨励する産業革命のころ、「食欲も性欲も恥ずかしい」って罪悪のように言われたんだろうなあ。食べることが生きるためだけじゃない、ほかの意味を持つ社会では、単純に食べることはときどき恥ずかしくなるのかも。

ところでジャーナリストでもある辺見庸にとっては世界は庭みたい。わりとかるがる自分の庭のように好奇心のまま、戦争で食べるものがなく死にそうな人たちのところへでかけて行ってるように見える。でも取材される相手にとっては、ただの野次馬根性でやってきた部外者みたいなもん。とはいえ、本にすることでこれまで知られてなかったことを、広く知らせることができたら、いいじゃんって思う。
by nanaoyoshino | 2008-12-02 00:56 | 世界の庭とごはん
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