人気ブログランキング | 話題のタグを見る

餃子の皮に包まれて

Vといっしょに台所で野菜と肉を餃子の皮につつんでいたら、思いは遠い中国へといざなわれた。

餃子の皮というのは、食べてるだけじゃわからないけど、ほぼ完璧な円の形をしてる。半透明にも見える薄さで、でも手のひらに載せるとしっとりとして心地よい重みがあり、ベビーパウダーを思わせるサラサラの粉が(小麦粉?)うっすらとまぶしてある。

こういうきれいなまん丸の形やら、粉のついた触感といった、手の込んだ感じが、餃子の発祥まで思いを馳せさせるのかもしれないな。

そういえば中国って、何でも「餅」って書くけど餃子の皮も「餅」って言うんだろうか。

9月に中国に行ったら、どこにでも月餅が売られていた。きっと中国の田舎の道端でも売られていた肉まん類も、餅だし、「中秋の名月」という風雅な習慣も、中国の発祥だろう。

中国人はどこでも道に品物を並べて青空市場にしてしまう。

物売りと、客の話し声、
通りを過ぎていく自動車のエンジンの音、警笛のブーブー言う音、
自転車のベルの音、
売りながら食べている(自分の昼食)食器の音、
物売りの女が歌うように同じ言葉を繰り返す透明な声などが、
小さな通りを満たす。

あるイギリス人が、日本のデパートの地下でモノを売る人がかけ声で声を嗄らしているのを
「日本人はバイタリティーにあふれている」と言うのを聞いたことがある。

中国へ行くと、売る側だけでなく買う側の交渉のバイタリティーもぜんぜん負けていない。
まるで全中国人が、生まれながらの商売人のよう。

あの光景を見た日本人たちは、たいてい、商売で中国を負かすのを、まずはバイタリティーの面であきらめてしまう。
by nanaoyoshino | 2010-06-13 12:04 | 世界の庭とごはん
<< 魔法のクッション 料理はいっしょに >>