月を疑う孤独

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新年にあたって、FLLLPAの意味などあらためて書いたりしていましたが、FLLLPAという頭文字最後のL=Laugh=笑い=ユーモアに戻ってFLLLPAのふりかえりはこれでおしまいにします。FLLLPAは、私じゃない

イギリス人の女の子に「タイプの男性は?」と聞かれてこっちも聞き返すと、ほぼ10人中9人が「ユーモアのセンスがある人」と言っていた。イギリスで言うSense of Humorは日本の「お笑い」のような、ただオカシイ、笑えるというものとは部分的に重なるものの、かなり違う。

たとえば、何かイヤなできごととか他人とか、真剣に思いつめると悩みそうなことってありますよね?

そういうとき、むやみに真剣になってしまいそうなジブンに距離を置いたり、視点をちょっとズラして「あ、こんなに真剣になっちゃって、あたしったら、バカと違う?」と思う、あの軽さというか。

人生や社会の現象すべてについて、固定された判断から距離を置く。「もしかして、これバカじゃん?」というゆるさ、もうひとつの見方を持つことといいうか。(*1)

以前私はそんならそれは、たんなる人生の技術かと思ってた。でもたとえば日ごろから「Sense of Humor」を持っていれば、前回書いた 月がふたつ といった、現実と見えているものが、もしかすると無数にありえる見え方のひとつでしかないと考えることができる。

となると「Sense of Humor」は最近、リッパな知性ではと思えてきた。

ひとつの原因や現在という時点や感じ方考え方にむやみと固執せず、
Yes/No Good/Badと論理的に決め付けるかわりに、あるがままに流れに身をまかせるような、(ジブンを失わないまま)ゆるさ、水のような生き方とも不思議と(同じではないが)似ている。(*2)

「1984年」のような社会で、みんなが疑わない「月はひとつ」に象徴されるような、自明の「事実」に反対するのはすでに犯罪だ。そこではたとえ毎日書き換えられていても、歴史は「事実」とみなされる。

「1984年」は異様な世界に思える。けれどふりかえってじゃあ私たちのいるこの世界で、みんなが事実だと思ってる歴史は、書き換えられたことがないのだろうか?「事実」と反対のことを主張することは、彼らの世界と比べそれほど簡単なのか。



*1イギリスではSense of Humorとひと口に言っても、いろんな種類や歴史まで語られることがありとてもフクザツ。たぶんこれはアイロニーとも言われる。

*2几帳面に真面目にしがみつくのも、あるがまま感謝するのも、一種の繊細さの裏表のように思えます。ナイーブであるがゆえに一定のイメージに固執するか、世界を何事にもとらわれず理解するかの違いのようにも思えます。そういえば、英語でnaiveは、子供っぽく異様なほど感じやすいといったネガティブなニュアンスで使われ、後者のような繊細さはsensitiveのほうが使われることが多い。

<写真について>
この写真を撮った時、天気雨が太陽の光に輝いてまるで光の矢が降って来ているようでした。その現象を、大勢の人がいる広場でほとんど誰も気にとめない中、ただ一人ひたむきに眺めていた男性がいました。知的障害者かと見えましたが、以前知的障害者で上に書いたような、naïve とsensitive両方の性質があって、まわりで起こっていることを(取捨選択するというより)すべて同等にしかも健常者以上に感じ取り理解しているように見えた友人がいたことを思い出した。
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by nanaoyoshino | 2010-01-16 01:46 | hundreds of days off
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