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忘れてしまったの?

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(昨日の続きを書きます)

なかでもイラクの女性が英語で書いてるブログが本になり、日本語に訳されてた。私はイラクには行ったことない。でもここに書かれた筆者の毎日の瑣末なことがらの積み重ねが、なんと自分の毎日と共通する輪郭を持ちながらも激しくブレていて、しかも重いことだろう。

この本“Bagdad Burning”には、今まで私、人権団体のレポートを翻訳してたり、イラク人としゃべって、いったいなにを知ってきたの?っていうくらい、衝撃を受けたので、とりあえず、わかりやすいほんの一部のみ、引用しますね。


「私は憶えている。黒焦げになって人間とも思えなくなった死体が引きずり出されるのを見たことを。

私は憶えている。人びとが気が狂ったように遺体から遺体へ走り回り、愛する人を探していたことを。

私は憶えている。イラク人の救援部隊がシェルターを片付けていて内部のあまりにすさまじい光景に気を失った者もいたことを。

私は憶えている。何週間も何週間も、人肉の焼けた臭いがあたり一体に立ち込めていたことを。

私は憶えている。何年か経って真夜中過ぎに恐ろしい死に方をした400人あまりの人たちを弔おうと避難壕を訪れた日のことを。そして壁に天井に張り付いた亡霊のような人間の輪郭を見たことを。

私は憶えている。2月13日、妻と5歳の息子を亡くした友人の気が狂ってしまったことを。

私は憶えている。いろいろ言い訳をした挙句、ペンタゴンがあれは“間違い“だったと主張した日のことを。

私は憶えている。誰も見つけていない大量破壊兵器の大儀のもとに、米英によって堅持された13年の経済制裁を。制裁は非常に厳しく、私たちは薬のような必需品でさえも何ヶ月も待機リストに名を連ねて待たねばならず、その揚げ句拒絶されたことを。

私は憶えている。水の消毒に使う塩素などの化学薬品が検査に手間取って届くのが遅れそのために何百万人もの人が犠牲になったことを。

私は憶えている。「本を持ってきて」と救援活動をする人たちやイラクに来る活動家たちに頼まなければならなかったことを。

私は憶えている。大きな病院ベッドで、飢えと病気で死にかけている小さな体を。”禁止“とされた薬品さえあれば簡単に治ったのに。打ちひしがれた両親が、奇跡が起こらないかと期待して医者の目を必死にのぞきこんでいたことを。

私は憶えている。劣化ウランのことを。どれだけの人びとが劣化ウランのことを知っている?イラクの人とびとにとっては日常語。1991年の湾岸戦争で(そして今回もおそらく)使われた劣化ウランは環境を破壊し、イラクのガン発症率は天文学的数字で増加した。

私は憶えている。目がひとつしかない赤ん坊3本足の赤ん坊、顔のない赤ん坊が生まれるのを見たことを。全て劣化ウランの毒性がもたらしたものだ。

私は憶えている。イラク南部と北部を守るためという名目で米英の飛行機に爆撃された何十人ものイラク人が“飛行禁止区域”で死んだことを。

私は憶えている。モスル郊外に住む母親が、夫と5人の子供を亡くしたことを。羊たちがおとなしく草をはむ牧場の真ん中で、アメリカの戦闘機が父親と息子たちを爆撃したのだった。


そして私たちはこれらがすべてほかならぬイラク国民のために行われたと信じなくてはならないのだ。


“忘れてしまったの、その日の気持ち。
戦渦の中のあなたの国を見たときの。
国人が吹き飛ばされるのを見たときの“*

いいえ、私たちは忘れていない。」


「バグダッド・バーニング」 
リバーベンド著 アートン 
ブログ  http://riverbendblog.blogspot.com/2007_10_01_riverbendblog_archive.html
*(アメリカのカントリーソングらしい)
by nanaoyoshino | 2009-07-11 01:51 | hundreds of days off
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