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お年寄りに席をゆずるのは、東洋の専売特許?


お年寄りに席をゆずるのは、東洋の専売特許だと思っていた。
日本とか韓国とか中国は年配者をうやまう儒教的な伝統があるからと。

そうでもないらしいことに、ロンドンで気づいた。

前回ロンドンの地下鉄で私の目の前に立った、お年よりと言っても60代後半くらいの女性1人に、なんと同時に3人もの若者が席を立ってゆずろうとした。

ロンドンのど真ん中、たしかナイツブリッジのあたりで。女性は感謝して一番近くの席に座った。

ロンドンにいた数日間×複数回、ほぼ毎日、若者が年配者に席をゆずるのを目撃した。

日本では、こんなに頻繁に見ない。たんなる偶然?

もちろん、ロンドンは人種が多様でゆずられる人もゆずる人もいろんな人種かもしれないが、たまたま目にした人たちは見かけからは、どこにでもいるイギリス人だった。

ほかの都市では以前グラスゴウのクリスマスの前、プレゼント商戦で混んだとき以外そんなに満員電車に出会わないからわからない。

私も席をゆずることが、なかなかできないダメ人間。とくにサラリーマンやってたときは、ダメだった。

言い訳であるが、朝も夜も毎日くたくたでしかも長距離通勤だったので、
席を確保できたら、もう心の中は叫びだしたいくらいうれしかった。

これでやっとぎゅうぎゅうまわりから押されなくて済む。
駅で人が入ってくるたびに、自分の居場所を確保しなくて済む。
押されるたび、自分のかばんがひっぱられないよう抱えなくて済む。
何よりゆっくり本を読んだりうたた寝ができる、と。

そんなとき、年配者が目の前に押し出されてくると、
自分の疲労感と目の前の人のを比較し、
自分のほうが疲れていると判断したらゆずらなかった。
たとえお年寄りであっても。

または、次の駅に着いたらゆずろう、と思っているうちに数駅過ぎてしまい、相手が先に下りてしまった。

サラリーマンやめてからは、通勤で立ちっぱなし、電車でくたくたということがまずないので席をゆずることができると、まわりで席ゆずりが連鎖することがある。

向かいに座ってた人が別の老人に席をゆずったり、隣の人が私のゆずった老婦人の夫と思われる人にゆずったり。

親切というのは伝染するらしい。

相手が誰であろうと、自分のゆずれる何かを差しだす。

そんな社会なら、みんな少しは生きやすい。

こんな単純なことが、これほど難しい。
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by nanaoyoshino | 2012-06-11 03:26 | hundreds of days off

イギリス女性の微笑

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切符を買おうとして列に並んで、同じように並んでいる人とふと目があったときや、
図書館で本を手にとっている際なんとはなしに顔を上げたとき。

そばをとおりがかった女性が、自分に微笑みかけているのに出会う。

微笑むといっても口を開かず口角をちょっとあげる程度。

最初の頃は、この微笑にすごく戸惑った。

なぜ微笑まれているのかさっぱり見当がつかなかった。

たくさんの「why?」が並んだ。

わからないから、微笑み返せないという罪悪感。

見知らぬ者どうしの微笑は、男性にたいていも交わされることがある。
ただし店でお金を払った男性店員に微笑むとか、女性どうしよりも具体的なやりとりがあったときだけ。

あらゆる女性が常にそうだというより、身なりの悪くない人、
どっちか言えば教養がありそうな人、貧乏でも楽しそうな人など、
普通だけど気持ちに余裕がありそうな人が微笑む。(ような気がする)

、、、まったく見知らぬ者どうしなのに。

でも、やりとりもなくたんにとおりがかった女性から男性へ微笑んだり、
男性同士で微笑んだりはしない。

基本は異性間ではなく、女性どうしだけ。
という暗黙のルールが存在する。

もし男性へ、買い物など明らかに共有するシチュエーションがないとき微笑むは、
別の意味を持つ、とはイギリス女性から聞いた。

天気がよく気分がいいときに、外でやはり気持ちよさそうに
散歩している女性とすれちがい目が合うと微笑む。

かわいい犬だなと街でふりかえったら
飼い主と目が合ったときその人が女性なら微笑む。

ちょうど、日本で女性が見知らぬ人の子供に微笑みかけ、
それから子供の母親にたいしても微笑むように。


たぶん微笑みは警戒なしのメッセージで、子供はどこの世界でも警戒する必要がないから。

イギリスの女性同士が微笑むのは、その感じに似ている。

でも、子供のかわりに犬や天気や同じ店、もしかするとただ同じ駅で同じ電車を待っているなど、何かものすごくささいなことがきっかけで微笑む。

ほかの国では、魅力的な女性に男性が微笑みかけてきたりすることはあるだろうが、
見知らぬ女性どうしがたいした意味もなく微笑むのは見たことがない。

日々の生活にせいいっぱいの途上国なら、同じ村の家族みんなとこんな微笑を交わすのかも。

でも街ですれちがっただけの見知らぬ女には微笑みかけはしないだろう。

こんな習慣はやや特権的で貴族的な感じがする。大英帝国の時代から数百年の経済的恩恵に恵まれた人々だからだろうか?

それでも、いつしか自分がされているうちに、自分からなんとなく女性に微笑みかけている。

もちろんいやだなという気持ちを持った相手には微笑したりはしない。

見知らぬどうしでも同じシチュエーションで親近感を抱いているとかに
互いにたまたま目が合うと微笑む。特別なメッセージはなくても。

相手から微笑を返されれば、ふんわりやさしい気持ちになる。






ちょっと脱線
笑うのは人間だけじゃなかったんですね。 
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by nanaoyoshino | 2012-06-06 02:27 | hundreds of days off

英国でタダで”プレミアリーグ”を観戦したら

だんなの大好きな例のチーム前回参照の試合に行ったことがあるのだった。

このチームは私の母の田舎同様、とっても地元ファンのサポートが熱いチーム。ココね
なもんだから、長年「シーズンチケット」という年間パスポートみたいな高額のチケットがあっという間に売る切れるそうで、めったにチケットが手に入らず、だんなも数えるほどしか試合に行けなかった。

だんなの親戚のこのチームのファンがたまたま仕事で出張となった日、フットボールファン友達がまたこれもたまたま入院して試合観戦に行けなかったので2人ぶんのシーズンチケットが余った。だもんで私とだんなにチケットが回ってきた。

もちろん、だんなは常日頃から何気なく「いや、あのさあもしも何かで試合に行けないとかあったらさあ、僕何かお礼するからさあ」などと意思を親戚にはっきりさせていた。

私も同様でだんながこれほど夢見ている試合に一回くらい行ってどんなものか見てみたかった。だから親戚に会ったとき「もしあなたのいつも一緒に行く友達が忙しくて行けないとかあったら私も」と言っておいた。

だんなはいっぺんに2人が行けないことなんてまずないよ、って言ってたのにすぐそのチャンスがまわってきた、やはりこういうことはあらかじめ言っておくべきなのだ。

なにしろ住民の半分くらいはこのチームのファンと言う土地柄だから、ほかの親戚に「僕は一度も彼からシーズンチケットをもらったことないのに」って、ファンでもない私が試合に行けたため嫉妬されてドキドキした。

スタジアムでは、まわりの地元チームのファンはほとんどシーズンチケットで来るので、いつもと同じ人たちがまわりにいた。だんなが以前来たときは地元チームが大勝利で、ふだん来ないだんなが「おまえさん勝利の女神でねえか?」的なもてはやされ方だったらしい。今回、私が勝利の女神になるかどうか、、、とだんな。

ところが、それほどのコアなファンにはさまれた私は完全に浮いてしまって、進行を確認する質問をしたり、試合自体に冷めた意見を言うたびまわりのファンに殴られるんじゃないかともうビクビクもので。

日本の野球の試合にはなんどか行って一部の真剣なファンが、実際に目の前で殴りあい始めたことはあったけど、このときのフットボールの試合ほど、全体が真剣だったことはない。

試合では無残に負けた。相手チームはエヴァトンで、ここにはなぜか勝てたことがないんだな。

終わったときは負けた側全体が沈うつムードだったけど、ビックリしたのはまだ完全に終わる5分くらいまえにすでに帰り始めた人が多かったこと。5分で大逆転、ってあまりないけど絶対ないわけじゃないのにって、この日は実際なかったけど。皆さん怒りのあまりか?

フットボールの試合は、まるで観客の怒りのはけ口みたい。

勝っても負けても、真剣すぎる表情と闘争心まるだしのボディランゲージが殺気立っていた。だんなの親戚もだんなも、ふだんみんな一見おだやかそのもの、ジェントルマンなのに、なぜあの雰囲気になじめるのか。
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by nanaoyoshino | 2012-05-28 00:46 | hundreds of days off

幻想としての"民族"

ジプシーとは誰なのか、ほんとうにあいまい。それはジプシーが長い期間移動し、交婚し、いろんな文化や言語をとりいれてきたから。歴史的に起源がインドであっても、今ではインド人だと言えず、ヨーロッパ人だと考えられている。非ロマのヨーロッパ人と外見的な区別がつかないロマも多い。
(アメリカにロマがいるとはあまり知られていないが、アメリカのロマは多く、ただ自分からロマだと非ロマの人に言う人が少ないと聞いた。つまり外観ではロマと区別がつかないということ)

日本人には自身を「単一民族」と考えている、またはそんなこと考えたことない人が多い。でもこの何々民族の定義が、そもそもあいまいだ。

シリア人、イスラエル人がユダヤ人だと名乗り、無神論者のアメリカ人にもユダヤ人と名乗る人がいたので、ユダヤ人とは何だろうと以前思い調べたら結局「自分でユダヤ人だと思っている人」がユダヤ人といった印象だった。ほんとう?と当時は驚いたけど、ロマにしてもやはり同じことらしいし、ほかの民族についても結局「そう思っている人がその民族」という考えがわりと一般的みたいだ。

だとするとどっかの民族がほかより優越だとか、その線引きの根拠がどうやったら科学的でありえるのだろう。

言語学者によるとジプシーの特有の言葉はインド語起源が多い。これがロマをインド起源とする根拠ということらしい。移動が多いジプシーの言葉はもっと多くが外国語起源だけど、イギリスのような島国でさえ、英語のうち、70%近くがフランス語など外国語起源だと言う。

じっさいイギリスに今多いサクソンもケルトも、もともとブリテン島以外に散らばっていた。

イギリスで純粋な民族としてのイギリス人って私は想像できない。100%のイギリス人のDNAにケルトとサクソンは混じっているだろうし、ほかにも歴史をふりかえればイタリア、ドイツ、フランスなどの血が過去のどこかの時点でに入ってると思うのが自然。

差別することで優越感を持つ、というのは劣等感の裏返し。ナチスのユダヤ人虐殺ばかりが強調されるけど、一部の日本人の在日への差別はじめ、歴史に根付いた現在の差別は世界中でなくなってない。

イギリスなどヨーロッパでは差別的なことを口にすると罰せられる法律があると言う。でも最近のイギリスでもネットの書き込みを見ると、ジプシーへの人種差別はネットで野放し。日本でも北朝鮮関連の在日に関する人種差別は激しく、野放しなのと同じ。最近のイギリスやフランスでは保守政権自身が少数民族を排斥している。

日本でも人権概念をもとに、人種差別的な言論は罰する法律が作られる議論はあったらしい。が、「差別は存在しない」というふうな理由で作られなかったと聞く。日本の政治家は、発言だけ見れば幻想の世界に生きているようだ。

ちなみに、wikipediaで民族を意味する"ethnicity"を調べてみた。
wikipediaでは、民族ethnicity=people人びと同義だった。
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by nanaoyoshino | 2012-05-22 02:42 | hundreds of days off

放浪と計算

親戚のイギリス人で、リーズで小学校教師をしてきた女性と話したことがある。リーズはジプシーの多い地域で、彼女のクラスにもジプシーの子どもが多かったと言う。

彼女は個別訪問でジプシーのキャラバン(トレーラーハウス)に行くこともあった。ジプシーの子どもの親とも仲良くなったけど、最初訪れたときはすごく警戒されてると感じたそう。でも何回か訪れるうち、親しくなっていき信頼されてると感じたと言う。

彼女が担当した子どもの1人は数学の「天才」で、家庭を訪れるうち、子どもが家の会計を担当していて、それで数学が得意なのだとわかったと。

偶然かもしれないけど私のフラットメートも、数学の博士課程の学生で、フラットに住む6人の光熱費電話代の会計を1人で受け持っていた。

国を超え放浪する民と言えば、ユダヤ人、中国人、ロマ。放浪の民はどちらかといえば警戒心が強く、元来職業としては身内的な自営業などが多いように思う。少数派になりやすいから差別も受けやすく、仲間に入れてもらえないから自営業のような自分でできる小規模な事業を子どもも親も家族ぐるみで運営するということか。

ただしロマが放浪の民といっても好きでやっているという人は、すくないようだ。どこへ行っても迫害されるから、転々とせざるをえないのがふつう。

私のフラットメイトの場合は、数学が得意というだけでなくお金の計算にとても厳密だった。ボランティアでめんどうな仕事を受け持ってくれたので感謝しなければならないけど、私が帰国した後も、請求と帰国でずれた日にち分の請求書を細かく送ってきたので、現地通貨に変えてイギリスまで送金しなくてはならなかった。

そういや私も会社やめて自営になってから(貧乏で)、計算ばっかりしてる。





追記

前回のを呼んだ挙句けっきょくロマとはなにか、わからなかった人、ごめんなさい。

ジプシーとは、定住せずジプシー生活を送る人で自分をジプシーだと思っている人。

ロマとは、インドを起源としてヨーロッパ中心に広く世界中に散らばったジプシーでやはり自分をロマだと思いロマの言葉を話す人のことを指す。(だからロマはジプシーに含まれる。)

Roxy Freemanは、片親がロマの先祖を持つのでロマと言えなくもないが、自分をジプシーと思っていてもロマと思っているようすもないのでその意味ではロマではない。

イギリスのジプシーは、彼女の母(ぜんぜんジプシーと関係ないアメリカの資産家の娘なのにジプシーの生活を自ら選んだ)のように起源がロマではない人が含まれ、このような人はロマではないと考えるのが一般的。

とはいえ場合によってはロキシーの母のような新参ジプシーも、起源と関係なく、ロマとしてとらえらることもある。

このようにジプシー、ロマの定義は専門家でも何ページも費やして説明する必要があるほど、世界共通の絶対的な論がなく混乱しがちなもよう。

このことこそがナチスによる虐殺を初めとして、ジプシー差別を処理できていない背景という。
(ユダヤ人虐殺と違って、ロマは虐殺による補償をドイツから受けてない)
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by nanaoyoshino | 2012-05-03 03:04 | hundreds of days off

ジプシー、ロマ

イギリスで学生をしていたときに、同じフラット(1フロアのシェアハウスのようなもの)に住んでるイギリス人の男の子が、自分の実家と家族の写真を見せてくれた。別に私がとくに仲がよかったわけじゃないから、たぶん誰にでも見せてたんだろうと思う。

それは家じゃなくてキャラバンとか呼ばれる、移動式の家というか、大き目のクルマというかそんなふうなものだった。キャラバンの横のひもに吊るされた洗濯物がいっぱいでやけに目だってた。家族の姿はよく覚えてないけど、妹だか子供たちが映っていたような気がする。キャラバンはたくさん、空き地のようなとこに留まってた。

最近ボランティアの仕事で記事を書いていて、ヨーロッパのジプシーのことを調べていた。もともと他の人が書く予定だったのが、彼女が忙しくなって、私はそのときイギリスに滞在していたので、その彼の記憶もあり、(彼の居所は今ではわからないけど)ジプシーのことなら書きやすいかなあと思い「私ヒマですから書きますよ」と名乗りをあげたのだ。

彼女は、日本の文献を調べれば調べるほどジプシーとは誰なのか、わからなくなるっていうふうなことを言っていた。それに加え本業でとても忙しくなってしまったのだ。

私はそのボランティア団体の本部がイギリスなので、帰国前に寄ることができるようジプシー問題担当者にアポイントをメールでとって、彼女の疑問を聞いてみた。

彼はちょっと、別世界から来た人でも見るみたいな反応で私を見た。事実、ジプシー問題のおそらく現場に関わっている専門家のような人から見れば、ジプシーっていったいどういう人ですかね、って質問するアジア人は別世界から来ている人なのだろう。

ちなみにジプシーというと差別のニュアンスを感じるジプシーたちが多いと言う。歴史的にジプシーは、想像もつかないほどの差別をヨーロッパで受けてきたのだ。それで研究者や国際団体などではジプシーでなくロマと言うのがふつう。

担当者は、私に会うなり「30分だからね、いい?」と言った。はるばる百キロ以上も遠くのど田舎からやってきたなり言うんだからね。でも、意外に1時間近くジプシーをどう定義するのかの話は続いた。

私の拙い英語で解釈できた限りでは、イギリスのジプシーの多くはロマではないちょっと違う存在であること、あと、ロマは自分をロマだと認識し、ロマ特有の言葉を話すこと、それがロマの定義に関する彼の主なポイントだったと思う。(ジプシーはロマを含む)

少なくともジプシー問題担当者には、ジプシーが誰であるか明らかだった。その彼を目の前にすると、私にも実在のジプシーがなんとなく目の前に具体的に見えるような気がしてきたが、あくまでもそれは私が短い間とはいえ同じフラットで暮らした男子学生のイメージがもとになっていた。

日本の彼女が、ジプシーとは誰なのかわからないという、それはジプシー自身によるジプシーの本がなく、第三者の本がほとんどだと言うことと関係していたのではないか?私もイギリスに行く前と帰ってからいくつかジプシーの本を読んで、彼女のいらだちが理解できた。だって読む本読む本、どうも話したこともない人びとのことを推測で書いているみたい。まるで霧がかかった視界でジプシーを見て語っているよう。

帰国後出版社の人から、イアン・ハンコックという人によるジプシー問題の本を借りて初めてジプシー自身による本を読むことができた。それで相当視界がクリアーになったように思ったが、この本はほとんどいわゆる差別問題の歴史的証拠をられつするという作業に限っていた。(この作者はそういう記事、書類をコレクションをしているよう)

Roxy Freemanっていう女性はイギリスのガーディアンっていうリベラル系新聞の記者をしていてジプシー問題というと彼女の筆によることが多かった。この人は自分がジプシーだと書いていたので彼女の本“Little Gypsy”の一部を読んだ。

知りたかったのは、ジプシーによるジプシーの生活だった。タイトルや書評からはそういうことが書かれているのかと思った。でも自分の両親のことや恋愛のことが主で、ジプシーの生活はあんまりわからなかった。というか、この人ジプシーかもしれないけど、伝統的なジプシーではない。両親の1人のひいおじいさんがロマらしいが、2人とも出自は普通の定住生活者の家族で、当時のヒッピームーブメントの影響もあって?あくまで自分からジプシー生活を選んだ。

正直、この人の自分史はあんまり楽しめず両親の話も型にはまっている印象だった。でも唯一今の段階でおもしろく感じたのは、この人のキャラバンで?火災があったときの記述。一晩中燃えるのを見ていたらしい。たいした持ち物もないから残念だけどまあいっかからだは無事だったしっていう感じで。

持ち物がないっていうのはこういうことなんだ。どこにでも行ける。何も持ってない。うまく言えないけど私はいつでもそういう状況に憧れがある。

著者の家族のジプシー生活はじっさいに30年以上続いていたわけだから事実には違いない、ただ、ジプシーの多くに共通する生活感覚とはたぶん(最後まで読んでないから断定はできないけど)ほとんど関係ない話だった。

著者Freeman(本名?)の両親は、生まれた子が死産だったとき役所に知らせず埋めてしまって警察から取調べを受けた。その例が示すように、著者の両親は世の中のきまりやしがらみを避けて、自由きままに生きていた。

楽しくステキな暮らし。でも何百年も差別され、ナチスに皆殺しにされ、ゴミ捨て場にガラクタを組み立て自分でこさえた家すら、ブルドーザーでつぶされるロマとはぜんぜん違う。
(今の時代にヨーロッパの各国で、フランス、イタリア、イギリスでもブルドーザーでジプシーのキャラバンや家がつぶされている、ほんの数ヶ月前もイギリスでニュースになっていたけどほとんど世間からの同情もなく、なんでこんなことがニュースなのといった反応が、広い差別を表している)

「あっちのジプシーといっしょにしないで」というジプシーが多くて、ばらばらだから政治的な発言も権力もなくジプシーとは何か、ヨーロッパでも明確にわかっている人が少ないというのはこういうことなのか、っとこの本を読んで改めて感じた。
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by nanaoyoshino | 2012-05-01 02:30 | hundreds of days off

世界は誰のモノ?

お金は国との契約書、みたいなことよく言われるけど、私は2つの国の間で暮らしていて、国って何?ってことは常にあたまのかたすみにある。

お金って英語でcurrencyとも言う。小さなお金じゃなく、大きなお金のこと。
currency の形容詞でもあるcurrent は「潮」の意味もあるし「今だけの」って意味もある。イメージはいつも変化している大きな流れみたいなものかな。

地球の上のすべての人はお金と無関係でいられない。その意味でみんなお金という「潮」の波に揺られているような気がする。

沖にのりださなければ、波の上での揺られ方は知らなくても生きていける。でも大胆にも潮の流れにのって沖へと漕ぎ出して潮の流れについてふつうよりすこし知っている人たちもいる。*

私は大家さん会みたいなのに所属しているので、月平均2回くらいセミナーに行っている。

セミナーで聞いた最近の名言①「土地の所有権借地権っていうけど、すべての土地が借地ですよ、誰のだと思います?国のですよ、だって税金って国に納める地代でしょ」

べつのセミナーで講演した、たくさん家を持っている大家さんによると、土地だけでなくすべての不動産は、「自分のものだ!」って買ったらふつうは思うだろうけど、じっさいには国の所有みたいに思われると書いてあった。これと同じ理由で。

セミナーで聞いた最近の名言②「お金で損しても感情的になってはだめ。得しても心に悪魔が住まうから要注意」なぜなら「幸せはいつも心の中にあるから」

セミナーで聞いた最近の名言③「お金とのつきあい方でたいせつなのは、お金よりも人をたいせつにすること」。

私は子供の頃お人形を親に買ってもらっても、お人形はほったらかして、お人形の家づくりをしていた記憶がある。お人形のきせかえより、四角いオルガンのイス倒して中に人形を置き「ここがお家」って決め家具をならべる家作りのほうがわくわくした。

なのにもう50年近く生きてきて自分の家を一軒も持ったことがないどころか、買ったぼろ家はそのまま人に貸してしまった。土地は借地で人のモノ。家は好きだけど、人形の家でも他人が住む家でもよくて、土地には興味ない。

人はほしいと思ったものしか得られない、って聞いたことがあるけど、ほんとうかもしれない。私は自由が好きで、家を人に貸して不安定なcurrencyという潮の流れに揺れながら、(無数にある)世界の一面を昨日よりすこしわかったかのように感じている。


*最近行った大家さん向けセミナーはパネルディスカッション中心で刺激的だった。「お金の哲学」みたいな基調講演もとても意味深長でよかったけれど、同じことをやってるようでそれぞれの人(投資家)の価値観も方法もまるで違うことをパネルディスカッションは教えてくれた。http://fudousantoushi-ec.com/festa2010/
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by nanaoyoshino | 2010-10-11 11:53 | hundreds of days off

旅する機械

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今東京から書いています。私はまわりがほぼ全員なにかの携帯電話持って、人によっては何台も買い換えていたこの10年近く一度も自分では持たず、会社用のを持っても会社に電話かける以外で使わなかったので使用方法にも疎かった。

去年初めて自分で携帯を持ってまわりを驚かせた。買ったら本人の私が驚いた、だってこれこそいつも旅するようにmove(移動)している私向きのmobile(移動可能な)機械だったんだから!

今では携帯はいつも「携帯」して、目覚まし時計からメモ、スケジュール、カレンダー、もちろん電話にネットにメール、ボイスメモ、ボイスレコーダー、カメラ、タイマー、電卓に辞書、とこれ以上活用している人はいないのでは?というほどあらゆる機能を使いまくってる。

ヨーロッパ旅行中もすべての国で、電車や船の中からホテルに問い合わせしたり、これまでは考えられないほど便利に使いまくり。確か次世代機種が出る前だったため無料の機種だったのに、どの国でも問題なくつながったし、料金も無料通話分からさしひかれたので実質無料だった。

とくに、めんどくさがりで辞書を携帯したことなかったので英国で辞書機能は活用価値がある。
イギリス行って新聞読んだり雑誌読んだりテレビ見ても、知らない語彙はざくざくあるので、これまでは辞書はないままとばして読んでいた。最近はイギリスにいる間は携帯でしょっちゅうチェックしているので語彙も少しは増えた。

つくづくコミュニケーションの英語って、机に座って勉強する対象ではまったくない。どれだけ英語に触れるかっていう、体験の幅と数の勝負。

いちいちすべて辞書使ってたら触れるうち類推で覚える語彙の数が減るので、辞書ひきすぎないのは外国語習得上悪くないけど、やっぱり多少は辞書を使うほうがいい。
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by nanaoyoshino | 2010-10-01 02:57 | hundreds of days off

野生のトラを探して

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以前書いた記事の、写真をいくつかアップしたので興味ある方はごらんください。

橋を探していろんな人に聞いたりグーグルマップで探すあいだ、VもVの家族もいったいなんでそんな橋が問題なのかと思っていたと思う。

私はとくに旅のあいだ、他人が見たら何がおもしろいのかわからないようなものでも、求めて探すのが好き。探しているうちにいろんな人やものに出会ったり、一歩一歩探しているものに近づいて行く感じも、おおげさに言えばそれが人生そのもののように思えたりする。

橋のことを書いていたら、マレーシアで野生の象や虎がいるという森に泊まったことを思い出した。

何年か前マレーシアに一人で行ったことがある。以前友達になったネパール人が森林省に勤めていて、管理している森の野生のトラやゾウの話をしていた。森に泊まりゾウの背中で移動し野生のトラを保護するとか、そんな話。

やはり野生のゾウやトラがいると聞く、マレーシアの森に行ってみたくなった。

先住民が住むと言われる原生林の中を数キロ歩いているあいだ、人間には1人も会わなかったけれど、動物にもただ草むらをかけぬけて走る何かイノシシのような影を見ただけ。

事前に地図を買って、ジャングルの中にある小屋に向かって歩きながら、このままもし小屋にたどりつけないまま道に迷ったら、と歩きながらずっと不安で怖くもあった。

行ってみるまでじっさい山小屋がどんなふうだかぜんぜんわからなかったのだけれど、3階建てくらいの高床に一部屋しかない小屋。

木の梯子で上り、壁は一部しかなくあとは屋根だけ。水やトイレも小屋からいったん降りた外にしかなかった。

無事山小屋に着いたときは、それだけでも自分でも驚きだった上に、自分と同じ目的でそんな森の中に、2人ほかの旅行者が私が到着後すぐ来たのにも驚いた。

もともと曇っていた空はすぐ暗くなり、夜もふけるとどしゃぶりの雨になり月明かりもなく、視界はほとんど絶望的。薄暗く夜が明けてきても雨足は変わらなかった。

旅行者は、台湾から来た人で、ぼそぼそとたまに片言の英語で話すくらい。そのうち1人と私は外が明るくなるまで、じっと野生動物の面影を探し、眠い目をこすって起きていた。

2人で何時間も外を眺めていても、「何か見えた?」「ぜんぜん」とたまに言葉を交わし、ただ豪雨がバラック屋根をたたきうける音を聞いていただけ。

夜がすっかり明けると同時に雨も小降りになってきて、3人で朝、小屋を出発するころには止んでいた。濡れてところどころ、道が小川になっている森の中を、1人ではなく彼らと歩けたので迷いにくかったし、楽しかった。

結局何野生動物には出会わなかったけど、たとえ探していたものが見つからなかくても、あのとき、彼らと私で期待に胸ふくらませたその時間は、確かに存在したのだ。
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by nanaoyoshino | 2010-09-10 20:03 | hundreds of days off

リンゴの木

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デンマークやドイツのホテルでは、今朝カットしたばかりのフルーツをジュースに浸して出していた。ぶどうは粒にして、リンゴや桃はカットして。

きのう近所のコンビニで買った桃にカビを発見し、あわててそこを削って残りを食べた。*1 カビの箇所を削ったあと、ほかの箇所もカットして、余っていたクリームに浸して食べたけどあんまりおいしくなかった。

今Vの家には冷蔵庫がない。お父さんが老人ホームに入ってしまい、家を売ろうというところなので家の中はからっぽなのだ。

夕方、老人ホームから戻ったVがキッチンの桃に蠅がたかってるのを見て、「これもう食べた方がいいんじゃないの」と言う。

「カビがはえてるところがあるかもしれないから」と、私はVの桃の表面をナイフで剥いたんだけど、Vは「皮がついたままがいい」と言ってほかの桃の表面を拭いて食べ、私はむいたのを自分で食べた。

ヨーロッパの人は果物をむかないで食べる。リンゴなんか、ヨーロッパのは日本のよりずっと小さいし、ぶどうの皮も薄い。だから皮をむかないでも食べられるし、ぶどうの皮はさくっとしていても、けして固くはない、すこし酸味ある皮部分が甘い果肉とバランスがよく、皮のまま食べるほうがおいしい。

むいただけの桃は、果肉のぷりっとした固さがあってそのくせ口の中で果汁が甘く広がる。

すももをむこうとしたらやっぱり皮付きがいいとVが言うので、私も皮付きで食べたのだけど、かぶりつくと甘い果汁が口のまわりにしたたって、果汁を吸うようにして食べた。

このあいだVの下のお姉さんの家の庭で、彼女を待ちながら、Vと本や新聞を読みながら過ごしてたら、ゴトッとVの後ろで音がした。見るとリンゴが1個木から落ちていた。*2

お姉さんの猫も涼しくなった外から家の中に入れてもらおうと、のっそりと散歩から帰ってきた。なかなか暮れない長い夏の日が、ちょうど暮れた。




*1 最近はイギリスでもコンビニが普通になった。土日もやってるし夜11時頃まで開いていてとっても便利、田舎の日曜日のショッピングストリートは静まり返ってるけど。

*2 これを書いて子供の頃読んだ本 「リンゴ園のある土地」 を思い出した。鉄道線路やリンゴの木の前に住んでいる女の子の話だった気がする。当時は家の前にリンゴの木、っていうような土地に住んでなかったけどイギリスとかでは庭にリンゴの木、よく見かける、たぶん日本でも気候が涼しいところでは。

この本のことが書かれたブログを発見。「子供の本はいい」
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by nanaoyoshino | 2010-08-28 02:32 | 世界の庭とごはん