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傘の修理屋のおじさんはどこに

このブログでもっともアクセスの多い記事、それは「傘の修理屋のおじさん」
という4年ほども前の記事。「傘の修理屋」と検索して訪れる人が何年たってもコンスタントにいる。自分がたいせつにしている傘が壊れて、修理しようとしている人が思いのほか多いらしい。

それでこの傘の修理屋がどこにあるか、書いておこうと思う。中央線西八王子駅の南口に出てすぐ東方面=左手に線路沿いに進むとつきあたり。駅からほんの1分程度。「傘修理します」と書いてあったように思うし、傘が並べてあるからわかると思う。ただ私は八王子から1年以上前に神奈川県に引っ越してしまったので、今も店が存続してるかどうか定かではない。

以前具体的な店を書かなかったのはいきなり壊れた傘を持ち込む顧客が増えて、この傘の修理屋が喜ぶと考えることが難しかったことがある。あんまりお金儲けのためにやってるとは思えないから、むしろ困るんじゃないかと思う。

ほかにはこのブログで物を売ったり宣伝したりする気がなかったから。それから東京のまんなかにあるならとにかく、相当な郊外なので、行きたくても便利に行けるところじゃないから。

でもこれだけ傘の修理屋を捜している人がいて役に立つなら、いちおうこの傘の修理屋がどこにあるか書いておこうと思う。多いって言っても、月に数人(とはいえ毎月だから累計すれば相当数になるが)だし、郊外でかんたんに行けないから、逆に大勢が殺到して困るようなこともないだろう。

それから他人のブログを読むと、その商品や店のリンクがあるほうが役に立ってよいと感じることがとても多いので、これからはこのブログでもいいと思った店や物は積極的にリンクを貼っていこうと思っている。

ちなみに、4年前に書いた記事でこの傘の修理屋のおじさんに直してもらった傘、今でもじょうぶで使っている。
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by nanaoyoshino | 2012-06-02 01:49 | SimpleLife/普段着の英語

どこにもない平凡

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What about taking a walk to the port?
港まで散歩しようか?
You mean by that bloody bus?
あのばかげたバスで行くの?
(笑)Laugh
あ、私イギリス人みたいな言葉遣いした。
Did I speak like British?

「ばかげた」をイギリス英語では"bloody "と表現することが多い。
あんまり上品な英語とは言えないので仲のいい間柄だけで使うこと。
アメリカ人との会話でこういう語を使うと苦笑いして「イギリス英語」だと指摘される。
普段着の英語ピックアップ----------------


前々回若い友達が書いてくれたコメントで結婚相手についての自分の10代の頃のイメージを思い出した。

10代の頃自分の結婚相手はどんな人だろう、って考えただけで胸がつぶれそうに期待と不安を感じた甘酸っぱい気持ち。

今覚えているのは、当時なんとなく、
相手は
まるで遠い世界の人のような自分の想像をはるかに超える存在か、
そうでなきゃ
世間のどこにでもいる平凡そのものの男性、
どちらかなんじゃないかと思った。

まさか1人の人間が両方兼ねる、ということは想定してなかった。

今日たまたま横浜に行ったら、結婚式場のショウウインドウにロマンティックなウェデェングドレス。

ウェディングは女の人生のクライマックスだと思う。あんなドレスきてウェディングしたかったな、、、だんながしたくないと言うのであきらめてなんにもしなかった。

「あんたは私の王子様かしら?白馬に乗ってやってきたのね」って冗談で聞いた。

その冗談の発端は白馬か知らないが子どもの頃近所で馬に乗ってたという話を聞いたから、自分のじゃなく牧場で貸し馬を借りてだが。

反応は秘密にしておこう。
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by nanaoyoshino | 2012-05-31 04:07 | SimpleLife/普段着の英語

英国でタダで”プレミアリーグ”を観戦したら

だんなの大好きな例のチーム前回参照の試合に行ったことがあるのだった。

このチームは私の母の田舎同様、とっても地元ファンのサポートが熱いチーム。ココね
なもんだから、長年「シーズンチケット」という年間パスポートみたいな高額のチケットがあっという間に売る切れるそうで、めったにチケットが手に入らず、だんなも数えるほどしか試合に行けなかった。

だんなの親戚のこのチームのファンがたまたま仕事で出張となった日、フットボールファン友達がまたこれもたまたま入院して試合観戦に行けなかったので2人ぶんのシーズンチケットが余った。だもんで私とだんなにチケットが回ってきた。

もちろん、だんなは常日頃から何気なく「いや、あのさあもしも何かで試合に行けないとかあったらさあ、僕何かお礼するからさあ」などと意思を親戚にはっきりさせていた。

私も同様でだんながこれほど夢見ている試合に一回くらい行ってどんなものか見てみたかった。だから親戚に会ったとき「もしあなたのいつも一緒に行く友達が忙しくて行けないとかあったら私も」と言っておいた。

だんなはいっぺんに2人が行けないことなんてまずないよ、って言ってたのにすぐそのチャンスがまわってきた、やはりこういうことはあらかじめ言っておくべきなのだ。

なにしろ住民の半分くらいはこのチームのファンと言う土地柄だから、ほかの親戚に「僕は一度も彼からシーズンチケットをもらったことないのに」って、ファンでもない私が試合に行けたため嫉妬されてドキドキした。

スタジアムでは、まわりの地元チームのファンはほとんどシーズンチケットで来るので、いつもと同じ人たちがまわりにいた。だんなが以前来たときは地元チームが大勝利で、ふだん来ないだんなが「おまえさん勝利の女神でねえか?」的なもてはやされ方だったらしい。今回、私が勝利の女神になるかどうか、、、とだんな。

ところが、それほどのコアなファンにはさまれた私は完全に浮いてしまって、進行を確認する質問をしたり、試合自体に冷めた意見を言うたびまわりのファンに殴られるんじゃないかともうビクビクもので。

日本の野球の試合にはなんどか行って一部の真剣なファンが、実際に目の前で殴りあい始めたことはあったけど、このときのフットボールの試合ほど、全体が真剣だったことはない。

試合では無残に負けた。相手チームはエヴァトンで、ここにはなぜか勝てたことがないんだな。

終わったときは負けた側全体が沈うつムードだったけど、ビックリしたのはまだ完全に終わる5分くらいまえにすでに帰り始めた人が多かったこと。5分で大逆転、ってあまりないけど絶対ないわけじゃないのにって、この日は実際なかったけど。皆さん怒りのあまりか?

フットボールの試合は、まるで観客の怒りのはけ口みたい。

勝っても負けても、真剣すぎる表情と闘争心まるだしのボディランゲージが殺気立っていた。だんなの親戚もだんなも、ふだんみんな一見おだやかそのもの、ジェントルマンなのに、なぜあの雰囲気になじめるのか。
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by nanaoyoshino | 2012-05-28 00:46 | hundreds of days off

図書館の、子どもむけの本にはまってます

最近、またボランティアの手伝いで
世界の紛争について、調べています。

私は大学は社会科学系だったのに
こういうお固いことは、やっぱ苦手。

今地元の図書館に行って
いーなーっ!
て感心したのは、子供向けの社会科関係の、すっごくよい本が多いこと。

紛争や人権にかかわるのもいろいろあって、絵や写真が多いし文章もすごくわかりやすい。
ほら、紛争って、パレスチナがどうだ、イスラエルがどうだ、コソボがどうだ、ダルフールがどうだって
いっぱいあって、それも経緯も複雑で、超ド級にわかりにくい!

社会系とかの本ってわかりにくいのがあたりまえな感じだけど、子供向けはすごい、
すっきり1時間以内で1冊読めて、苦労なくわかるのは、得した感じ。

中学校向けくらいになれば、著者の独自性がわかるほどに高度な内容で
大人にもじゅうぶんな読み応え。

ただいつ図書館行っても、低くて小さなイスとテーブルが、
子どもじゃなくて私みたいな大人に占められているのが喜ぶべきかなのかどうか
よくわからないけど。

そういえば池上彰って人の名をよくネット上で見る。
いったいこの人、なんで人気なの?
子どもニュースで有名な人じゃなかった?

なんだろってウィキピディアで調べたら、週間子どもニュースも
子どもじゃなく大人が見ていたんだって。

それで番組終了したそう。

で、あの話はずれますが、フェースブック、最近プライバシーの問題で
アメリカでは下火ってニュース読んだけど、
私はぜんぜんトレンドに疎く、
誰も使ってない頃登録してソーシャルなのに相手がいなくて使えないまま
みんなが使っていたここ数年はおろおろしているうち一度も使わず
下火になった今ごろ、ちょっと時間できたし、使おうかなって考え始めた。

まわりで使ってる人は年下の人ばかりなのですが
みなさま、どうやって使ってるのか、よかったら教えてください。
(ネットでそういう情報いっぱいあるのは見たけど個人談で聞きたいです)

私はブログの延長で
メールで実際の友達に伝えリンクさせ
こんなイベントがいいよこの本読んだよっていう
紹介などしようかと。

個人名+フェースブックで検索したけど
同じような名の人いっぱいいて安心した。

誰からも検索されたいなんて
思ってないから、あくまでもミクシのようなノリで
でもミクシよりは広く浅く、
限定された知人間で使いたい。
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by nanaoyoshino | 2012-05-11 01:54 | hundreds of days off

お葬式のこと


カトリックでは遺体を棺に入れてそのまま墓地に埋める。映画ではよく見たが初めて実際に立ち会うと何もかもが自然なことのように思えた。つい先日のように、今は棺に眠るVのお父さんと、若くして亡くなったVのお母さんのお墓参りをしにこの場所にたたずんでいたたことまでが。

Vのお父さんが、洗礼、結婚など人生の節目となる儀礼を行った教会では、棺が祭壇に運ばれた以外、まるでふだんのミサのようだった。神父さんがVのお父さんの生きた軌跡を短く話す前、「彼の人生を祝うためにお集まりいただき感謝します」と言った。

私もVもよく歩いた小道の入り口にある静かな墓地を私は初めて見たときから好きだ。昔炭鉱と港をつなげていた線路跡で、Vの実家があったところのすぐそばにある。墓室のようなものはなくて、穴へロープでおろした棺に聖水と土を、家族でかける。この墓地はもういっぱいで新たに墓が作られることは叶わないと聞いた。私が死んだらどこに埋められるのだろう。

墓地の近くのゴルフクラブのラウンジに親戚の人たち30人くらいで移動した。丘の頂上にあって緩やかな丘が連なるイギリスらしい風景が広い窓に一望でき、春のようなすばらしい天気の日だった。飲み物はカウンターで、食事は軽食が並べられて自由にとる立食形式だったので、みんな適当にテーブルを囲んだり移動して話をする。Vのお父さんの弟の一人と初めて会った。Vから犬が好きな人と前から聞いていたので、犬を今も飼っているかと聞いたら、その後は彼と彼の奥さんと、彼らが一番好きなジャックラッセルの話ばかりになった。
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by nanaoyoshino | 2012-03-05 10:30 | hundreds of days off

さよなら

今日お父さんが他界したそうだ。そうだ、と書いたのはどうも信じられないから。なぜなら他界した、と医者が言った後もお父さんの身体はずっと暖かで、足だって動かしているように見えたから。でも脈をはかっても脈はないようだったし、息していることも確かめられなかった。足はベッドが動くから動いているように見えるだけだと看護婦に言われた。もしそうならあんなにも死んでいても生きているように見える人って今まで見たことがないような気がする。そしてもしほんとうに今お父さんが死んでしまったとしたら、あまりになめらかにお父さんは生死の境を超えてしまったからだろうか、誰も息が引いていったことには気づかなかった。私はこれまで苦しんで死んだ人ばかり見て来たので、死は生の終わりでしかないように感じて来た。でも今では生と死はつながっていてひとつとも言えるんだなと思う。

長いことVの家族は「理想の家族」だと信じて来たけど、震災があった頃から身の回りに変化が起こり、自分のブログはフェアリーテール、架空の話を描いていると感じるようになって昨日も書いたように書く気がなくなってた。

朝早くB(Vの上のお姉さん)から電話をもらってお医者さんがもう危ないって言ってるからすぐにも病院に来るように、とのことだった。でも今いるJ(Vの下のお姉さん)の家からお父さんの病院は遠く、電車とバスを乗り継いで2時間もかかる。Jの職場は比較的近く彼女の自動車でなら30分くらいで着くのでJと一緒に行けないのっって聞いたら、出張だと言う。出張ってお父さんが危篤なのに、と言ったらそんなこと知らない、と怒鳴ったのでその話はもうせずに、Bの夫婦のどちらかが駅までせめて迎えに来てくれたらとVに言ったけどそういう話はなさそうだった。

もう引退後のB夫婦はお父さんが入院するたび、毎日病院に来て私たちが行かなかった数日も電話して状況を報告してくれていた。ちょっと前にはBのだんなさんが、ベッドで動けないお父さんのひげをていねいに剃ってあげていた。それがあんまり介護士みたいに手慣れた感じで。お父さんがビールが飲みたいというたびにビールを買いにいって、ストローで飲ませてあげていた。

Bは自分が来れないときは来てお父さんの食事を介護するようにとBに指示したりする。病院で職員が食べさせてくれるのにいちいち自分が必ず来たり、仕事に忙しいJにそんなこと指示するのが不思議。お父さんの老人ホームは全介護つきなのだけどBは週2回は行って何かと世話をしてきたし、よくBは介護の苦労を日頃から口にする。

昼ころ着いたらお父さんは眠っているようで、肺炎だからもともと荒い呼吸も安定していた。半開きの目は右目が大きめに開いていてそこからのぞいている瞳が死んだ魚みたいに白く濁ってた。B夫婦が食堂でお昼を食べている間、お父さんに○○だよ、と自分の名を告げたら両方の目が同じようにいきいきと開いて、何を見ているのか瞳も本来の青みを帯びて輝いたのでVを呼んだ。
「ねえお父さん目を覚ましたみたい」
Vも自分の名をお父さんに伝えたので「お父さん、わかったみたい?」と聞いたら、話はできないけど僕だってわかってるよ、とうれしそうだった。

そのうちにお父さんの息がとぎれとぎれになってきた。Vは食堂にBを呼びに行き、「心配ない」とだけ言われて帰って来た。私は「ねえお父さん息してる?」とVに何度も言わないといけないほど息がかすかになってきたので近くを通った黒人の看護婦さんに伝え、看護婦さんがお医者を呼んで来た。学生かというほど若い医者に抗菌剤はすべて試したんですかと言うと、副作用があるから何でも試せる訳ではないと言う。

「あら、ついに?」病室に戻って来たBは、お父さんを見てもう亡くなったと勘違いしたらしい。私はさっきの看護婦がまた通ったので、息してますか、酸素マスクとかしたらどうでしょうと声をかけるとお医者が来て、酸素は鼻からもうずっと補給していますよとか、もうあとわずかでしょうから離れないでくださいとか言った。

ちょうどそのときJが出張からかけつけ、数分で私にはお父さんの息が確かめられなくなった。でもVはまだ大丈夫息してるよと言い続けた。私は最初はそうなの、と言ったけどどうしてわかるのと聞くと3回目くらいには僕も自信がないと言い出した。Vの家族にも聞いたけど、もう誰もお父さんが息をしているかどうか、関心があまりなさそうで、わからないと言った。そこでまた看護婦さんを呼んだら医者が来て「アイムソーリー」と言った。Vの顔が動揺でさっと紅潮した。


Bは病院を去るとき、彼は老人ホームでも病院でも、ぜんぜん文句を言わなかった、全部受け入れアクセプトしたからみんな彼が好きだったと言った。私もVにお父さんは立派に運命をアクセプトしているようで、誇らしいと昨日パブで言ったのでそれが伝わったのかなとも思ったけど、VとBは直接話す機会もあまりないので、たぶんB自身の感想だろう。アクセプトというなんとなく東洋的な感じのする語をこういう事例に使うのか、ずっと前から疑問に思っていたがやはり使うんだな。

でもこの家族はVも含め病院からどんな悲観的なことを言われようと疑問にも思わず受け入れ、私がいちいち看護婦や医者に確かめたがるのが変に思われそうなほどだった。昨日パブ行く前にJのパートナーが、炭坑労働者だった自分の父親のことを、一度炭坑に入ったらいつ次食べられるかわからずずっとお腹をすかせていたから、とにかく食事のときはお腹いっぱい食べることが何よりたいせつだったと言ってた。たいていの苦労を受け入れざるをなかったのが、この階級(労働者階級、といってもこの国のほとんどがこの階級)歴史なのかもしれない。

病院から戻ったらVのお姉さんは家にいるのはたまらないから、近くのイタリアレストランに行く、あなたたちもよかったらおいでと言った。隣の席では10人くらいがやってきて、長い足の若い女性が、真っ白い身体にぴったりのミニのノースリーブワンピースをこの寒いのに着て目立っていたが、彼女の誕生日らしかった。イタリア人シェフがケーキを運んで来た。私たちはお父さんの思い出を話して、お父さんの好きだったウィスキーを飲んで笑って、隣人の誕生日をいっしょに拍手して祝った。それから近くの誰もいない海岸にVと2人で行き、私は波が轟く真っ暗な海を前に、ほとんど誰にも気づかれずに泣いた。
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by nanaoyoshino | 2012-02-24 09:57 | hundreds of days off

ブログをまた書くことにした

ブログでは、希望どおりにならないこともわからないことも、そのまま書きたいような気がするのだ。

一週間前成田からヒースロー空港に到着したばかりのとき、だんなのLが彼の上のお姉さんであるBから電話をもらった。Lのお父さんが意識不明ですぐにも会いに来いと言う。
病院は4人部屋で、ベッドのまわりに祖末なカーテンがかかっていて、お父さんは意識は回復していたけど、声もかすれてほとんど聞こえないくらい衰弱はしていた。
「日本の病院とあんまりにも同じでびっくりした」
そう言ったらなぜかほほえんだから、私のことは認識したのだろう。この国では男の子が女の子にプレゼントを渡すのをもちろん知っているが、
「あさってバレンタインデーだよ、日本では女の子から男の子にチョコレートを渡すんだよ」と言うとお父さんは、また弱々しくほほえんだ。

15年前のバレンタインデー、無記名がバレンタインデーでのこの国のしきたりだと私は知らなかったけど彼の筆跡はわかった。

昨日はJの車で、ダラムにある病院に行く途中、海岸に近い丘の上の幹線道路から、下のほうの谷間に、赤と黄色の小さな4両電車が走るのが見えた。薄汚れた電車が横揺れしながら走りすぎる頃、それが私がこの町に留学していた頃から今にいたるまで乗っている電車だときがついた。

今日2人で病院から帰るとき、ターミナル駅で、その赤と黄色の電車を待ってた。15年前と同じブザーの音で電車のドアが開くと、電車の床は砂だらけ。
「なんでこんなに汚れているの」と言ったものの、そういえば日本から着いたばっかりでそう思うだけで、この電車いつもこんなだったかも、とも思う。
「私たちまだいっしょだねえ、あの頃から15年」と私。
「長くてうんざり?てか」

ダラム県のLの実家はお父さんが老人ホームに行ってから家族が売りに出していたところ、1年くらいかかって売れてしまったのが去年の夏前のこと。
「介護関連の仕事をしている友達が、老人ホームに移ったあとの家を売るのを急がない方がいいと言ってたこと覚えてる?」と私。
「覚えてない」
「友達は、ホームに移ってから自宅が売られたあと老人は生き甲斐をなくすのか、長くは生きられないというようなことを言っていたじゃない」

パブでビールを飲んだ後で酔っぱらってたこともあり、Lと2人きりになったとき、ちょっとLの家族を責める口調になった。とはいえ私も英国では家を売ったお金を老人ホームの介護費にあてたるんだとかと聞いてからはむげに反対もしなかった。でも売れた後Lのお姉さんに聞いたら、介護費にあてたのではなく家の維持費がかかるので売りたかっただけだそうだ。

バレンタインデーの前は、英国のテレビドラマでは夫が妻に花束を挙げたり、新聞ではセレブの男女の写真にハートマークつけていたり。私たちは何も祝わなかったけど。

今日お父さんとコミュニュケーションができたのはわずか3分ほどで、それ以外はほとんど意識がなかった。病院に行くたび、お父さんのいる病室につくまでの、味気ない駐車場と廊下を歩きながら今日はどんな様子かと話しながら歩く、その時間がやけに長く思える。
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by nanaoyoshino | 2012-02-23 10:03 | hundreds of days off

昔からの友達

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会ったばかりの人たちの間で過ごすことは、自分がどこにもいないかのような、外側から見てるだけの状況と似てる
傍観者になって、漂ってる感じ、旅して出会う人といるときも、そういう感じがある。

旅で出会った人とは、何かせつな的な、交流してもその場だけと言う感じ
結局一人ぼっちな感じがする、

海外に住んで一人で悪戦苦闘してもそんな感じだった

少し前、13年前イギリスに尋ねてきてくれた友達に会って、そのときの写真をもらった。
驚いた。一緒に行った湖水地方?遺跡?近くの田舎?
あんなきれいなところだったっけ?こんなとこ行ったっけ?
って、正直まったく忘れてたくらい。

でも当時知り合いがみな、出会ってまもなくの人ばかりで、
昔からの友達家族というものがどれほど貴重なものか、
ということを切実に感じていたことは、はっきり覚えている。

自分の過去を知ってる人たち、相手の過去を知ってる自分、そういう場所で暮らすことの、安心感。
そういう間柄の仲間や家族がまわりにいっさいいなくなったとき初めてわかる、
彼らとの時間だけに許される、ある種の気持ちの安らぎがある。
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by nanaoyoshino | 2009-10-04 02:09 | hundreds of days off

居間に一人でいると

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こうして会社を辞めてVの家の帰省すれば、もう休暇気分じゃない。休暇は期間が限定されているから休暇なのだ。

英語がそれほどの苦労なく通じたり、この国で会う相手のことをもっと知るようになると、この国(イギリス)に対する神秘性が失せていく。休暇気分でもなく、美しく見えていた風景が、たんなる現実に変わりもする。ものごとはたいてい理想どおりにいかないし。

Vの実家の居間に一人でいると、自分はここでいったい何やってるんだろうって思う。自分の生まれ育った国からしたら地球の裏側の、片田舎の小さな家で、英語しかしゃべらない、顔立ちが自分とぜんぜん違う人たちの生まれ育った家で。

でもどんなときもたとえ英語でしか考えない、顔立ちも文化社会歴史の背景が違う人であっても、心が通じ合えるのが奇跡のように思えもする。あたりまえのことのように、お互いに思いやり暮らしてる家族のまぎれもない暖かさにやっぱりうたれる。

Vの家族とも、初めて会って以来10年以上たった。ようやく少しずつ、相手の反応を心配したり、うわべをつくろうより、本音で話せるようにやっとなってきた。
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by nanaoyoshino | 2009-03-18 11:08 | hundreds of days off

会社辞めます。ご意見教えて!

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グッバイサラリーウーマン、復活です。近く会社を辞めることになりました。

大家さん稼業にいよいよ本格関与すべく
賃貸に出すつもりの家を借地権で購入しようかと思っています。
みなさん借地の家を購入することをどう思われますか?

借地が、「持たない&自由になる」という、このカテゴリーの目標へ近づくことなら
いいな。

来年収入がほぼなくなるので、収入がある08年に家を購入し支出を多くするほうが、
節税になるような気がします。そういうものでしょうか?
でもあと12日しかない、借地権の移転とか、できるのか?!

もしご存知の方がいらしたら教えてください。

行政の法律相談で弁護士に聞いたところ
国が所有者であるら地代更新料などの支払いはなく
想定外支出のリスクはないとのことだった。

税理士とも会って相談したいと思ってる。
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by nanaoyoshino | 2008-12-18 23:53 | hundreds of days off