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幻想としての"民族"

ジプシーとは誰なのか、ほんとうにあいまい。それはジプシーが長い期間移動し、交婚し、いろんな文化や言語をとりいれてきたから。歴史的に起源がインドであっても、今ではインド人だと言えず、ヨーロッパ人だと考えられている。非ロマのヨーロッパ人と外見的な区別がつかないロマも多い。
(アメリカにロマがいるとはあまり知られていないが、アメリカのロマは多く、ただ自分からロマだと非ロマの人に言う人が少ないと聞いた。つまり外観ではロマと区別がつかないということ)

日本人には自身を「単一民族」と考えている、またはそんなこと考えたことない人が多い。でもこの何々民族の定義が、そもそもあいまいだ。

シリア人、イスラエル人がユダヤ人だと名乗り、無神論者のアメリカ人にもユダヤ人と名乗る人がいたので、ユダヤ人とは何だろうと以前思い調べたら結局「自分でユダヤ人だと思っている人」がユダヤ人といった印象だった。ほんとう?と当時は驚いたけど、ロマにしてもやはり同じことらしいし、ほかの民族についても結局「そう思っている人がその民族」という考えがわりと一般的みたいだ。

だとするとどっかの民族がほかより優越だとか、その線引きの根拠がどうやったら科学的でありえるのだろう。

言語学者によるとジプシーの特有の言葉はインド語起源が多い。これがロマをインド起源とする根拠ということらしい。移動が多いジプシーの言葉はもっと多くが外国語起源だけど、イギリスのような島国でさえ、英語のうち、70%近くがフランス語など外国語起源だと言う。

じっさいイギリスに今多いサクソンもケルトも、もともとブリテン島以外に散らばっていた。

イギリスで純粋な民族としてのイギリス人って私は想像できない。100%のイギリス人のDNAにケルトとサクソンは混じっているだろうし、ほかにも歴史をふりかえればイタリア、ドイツ、フランスなどの血が過去のどこかの時点でに入ってると思うのが自然。

差別することで優越感を持つ、というのは劣等感の裏返し。ナチスのユダヤ人虐殺ばかりが強調されるけど、一部の日本人の在日への差別はじめ、歴史に根付いた現在の差別は世界中でなくなってない。

イギリスなどヨーロッパでは差別的なことを口にすると罰せられる法律があると言う。でも最近のイギリスでもネットの書き込みを見ると、ジプシーへの人種差別はネットで野放し。日本でも北朝鮮関連の在日に関する人種差別は激しく、野放しなのと同じ。最近のイギリスやフランスでは保守政権自身が少数民族を排斥している。

日本でも人権概念をもとに、人種差別的な言論は罰する法律が作られる議論はあったらしい。が、「差別は存在しない」というふうな理由で作られなかったと聞く。日本の政治家は、発言だけ見れば幻想の世界に生きているようだ。

ちなみに、wikipediaで民族を意味する"ethnicity"を調べてみた。
wikipediaでは、民族ethnicity=people人びと同義だった。
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by nanaoyoshino | 2012-05-22 02:42 | hundreds of days off

チェコと軽さ

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じっさいにチェコに来てみたら、ミラン・クンデラの小説「存在の耐えられない軽さ」のほうが思い出される。

今泊まっているホテルはプラハの中でもペトシーンという丘のふもとにあるのだけれど、この丘の名は聞き覚えがある。

長いこと読んでないので正確なことは思い出せないけれど、主人公のテレサという若い女がこの丘を夫のトマーシュや犬のカレーニンと歩いたのか、またはトマーシュや彼の浮気相手のサビナが、誰か別の異性と待ち合わせした場所だったのか。

じっさいのペトシーンの丘では、家族連れや若い恋人たちや、読書する若い人など、どの都市の一番大きい公園とも同じような光景が見られる。

その前に泊まってたホテルは13世紀からあるとかで、アーチ型の天井下のプールがあって、そのプールは映画版の初めの方にあったシーンでジュリエット・ビノシュ演じる主人公のテレサが泳いでいた温泉プール(ホテルのよりはるかに大きいけど)に似ている。

このシーンで一人で中世風の作りのプールを平泳ぎで上手に泳ぐこの女優のからだのなめらかな動きが印象的だった。

さっき前を通ったバーは、テレサが夫の浮気に悩んで、自分もバーで働いてたとき試しにお客と寝てみたら相手は諜報部員だったのではないかと後々考え始めるというその場面にぴったりな感じ。つまり基本地元客なんだけどよそ者がふっと混じってもおかしくない、って感じのバー。


きのうチェコ郊外にある元ナチによってユダヤ人やら思想犯やらが拘禁されていた収容所跡に行った。ナチの話は、子供の時分から「アンネの日記」とか映画や本、テレビなどで見た。でも行ってみたらぜんぜん予想していたのと違った。

たとえば「Albeit macht Frei (働け、そしたら自由になれる)」と、英語と似ている語彙で(アルバイトはドイツ語で働くという意味らしい)書かれた門の標語。

処刑場、1部屋に百人近くが収容されていた部屋の、棚のようなベッドやテーブル。モノのように扱われた多くの人が、骸骨のように軽くなって餓死した。

ほかにもそこで見たことはこれまで他のメディアで伝えられて見たのと大きくは変わらない。

なのに、じっさいに死体が燃やされたりおかれたりした場所、拷問が行われた独房拷問や処刑、ナチや支配政党に異を唱えた人、彼らの友人や家族、反対のニュアンスを表現したと考えられた芸術家たち、同じく支配政党にくみしなかった教授など亡くなった人々のプロフィール、逃亡や拷問、死の記録、家族のリストなどがえんえんと展示されているのを半日見ていたら、その凄惨さが肉体的に感じられる。そういうことは想像してなかった。

もう1945年に終わったことだから、65年も前のことで、跡を見るだけだから映画で見るのと大差ない体験のはずだったのだけど、やっぱり現場に行ってその場の空気や臭い、湿度、壁の質感、明るさ暗さ、広さ狭さを感じるのは、自分の部屋で気楽に写真や映像を見るのとは違う。

ナチが事務をとりおこなっていた建物には、当時のことについて、いろいろ文章で書かれていた。現在は虐殺としてネガティブに書かれているわけだけど、読み手にはそれを正義として書こうが虐殺として書こうが、じっさいにキャンプとして使われていた収容所の現場を見た体験の後ではたいしてインパクトはなかった。

もちろんこのようなことが行われていた当時は、すべて正義とかよいこととして国際的に報道されていたのだと思う。現在だってグアンタナモや南米やアジアで虐殺や暗殺、拷問が正義の名のもとに行われているのと同じで。

チェコに来て、この国は日本やイギリスとまったく違って、ソ連とかドイツとかの侵略につねにさらされてきた国だとわかる。そこでは人間1人の尊厳などはない。目が覚めたら何者かに逮捕されていたり虫になっていたりする物語を書いたカフカ、人間1人の存在を限りなく軽い生としていきようとしたが、うまくいかなかったトマーシュが主人公の物語を書いたクンデラがチェコの作家なのも、国の歴史と無関係ではないんだろう。

そういえば、以前ブログにも書いたけど、泳いでいるときの体はとても軽い。まるで空を飛んでいるみたいに。
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by nanaoyoshino | 2010-08-05 10:00 | hundreds of days off

チェコに向かって

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ところで、とうとつですが今ベルリンで書いています。なぜベルリンにいるかというと、つまりはVの恒例の帰省につきあって英国へ行く途中の乗り継ぎ地点で数日観光したくなってしまい、ベルリンにまで来てしまった!というわけ。

ベルリンからチェコっていうのが数時間なんで、チェコまで行ってそれから英国へ、という予定になって、チェコの作家ということでカフカの薄い小説二冊をかばんに入れてきました。

時差ぼけもあって、毎晩「ベッドで開いたとたん眠ってるよ!」とはVの弁。それでまだまだ読み終わってないのに書くのもなんですが、またそういう読み方だからというのじゃないと思うのですが、カフカの小説って夢みたいでもあり旅のことみたいでもある。

ちょうどさっき読んだ短編「火夫」は、物語そのものが船でドイツからアメリカへ旅した若者の話でした。

アメリカに着いたとたん、忘れ物にきづいてキャビンに戻ると、荷物を預けた人がいなくなっていて荷物はなくすは、客がいなくなった大きな客船の中で迷って忘れ物もみつからず、船で働いていた火夫のキャビンにひきとめられて、船長らの会議の証人としてひっぱられるなど、わけのわからないこと、不条理なことがえんえんと続く。

たとえば私とVは昨日ベルリンに来るまで、電車に乗っていると思っていたらきづいたら船に乗っていた。これは夢みたいだけど、ほんとだったんです。はっときづいたら「さあ、降りるんだ!荷物はそのままおいていけ!」と言っている人がいて、しかたなく電車を降りたら、電車は鉄の上に他のたくさんの車といっしょくたになっており、鉄の壁との間の50cmくらいの隙間を荷物もなく手ぶら同然に突然歩かされ、しかもどこまでもその通路がえんえんと続く。

狭い階段にやっとたどりついて上ったとたん目の前に海が広がって、電車ことフェリーにのっかって移動というしくみだったのだと、ほっとしたかと思ったらもうあっちの陸(ドイツ)が見えて、そのとたんまわりの人がまた狭い階段に向かって走り出すので「もたもたしてたら荷物を置いたまま電車においてかれる!」と思うけど、階段を降りたとたん車、車の列で、列車なんて見えない。

車の間を悪夢のように走って探してようやく電車にのっても、間違った電車に乗ってしまったかもという不安をもぬぐいきれないまま、自分が乗ってた車両も覚えてないので乗ってから右のほうにいくべきか左にいくべきかわからないままようやく自分の荷物がある車両をみつけたはいいけれど、今度はいつのまにか席をほかの人に占領されて座る席がない。

その後Vが、北欧からベルリンまでの電車で、ユーロパスというものを見たことなかった車掌に聞かれて「これはチケットではないんですよ」と口走ったら車掌にいきなり「じゃあ100ユーロ今すぐここで払え!」と迫られVはお金を出すところだった。

極端な例、私がボランティアをしている人権団体の扱っていたイギリス人の例でも、友達の結婚式でイスラム教の国へ旅行した帰りテロリストとしてアメリカ軍に逮捕され、アメリカ人は英語を話すので説明すれば誤解は解けると思ったのに、何年間もテロリストとして扱われ拷問を受けた、というじっさいの話もある。

旅っていうのはいかに自分が知らなかった世界から成っていて、自分がその世界と接触が難しく、理解できないかを悟るプロセスでもある。

旅をしていない日常でも、自分とまわりの世界(他者を含む)は自分が理解していると思い込んでいただけで、じつはひとは孤立し隔絶しているのだ、とカフカは伝えてるように思える。
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by nanaoyoshino | 2010-07-31 08:37 | hundreds of days off

月を疑う孤独

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新年にあたって、FLLLPAの意味などあらためて書いたりしていましたが、FLLLPAという頭文字最後のL=Laugh=笑い=ユーモアに戻ってFLLLPAのふりかえりはこれでおしまいにします。FLLLPAは、私じゃない

イギリス人の女の子に「タイプの男性は?」と聞かれてこっちも聞き返すと、ほぼ10人中9人が「ユーモアのセンスがある人」と言っていた。イギリスで言うSense of Humorは日本の「お笑い」のような、ただオカシイ、笑えるというものとは部分的に重なるものの、かなり違う。

たとえば、何かイヤなできごととか他人とか、真剣に思いつめると悩みそうなことってありますよね?

そういうとき、むやみに真剣になってしまいそうなジブンに距離を置いたり、視点をちょっとズラして「あ、こんなに真剣になっちゃって、あたしったら、バカと違う?」と思う、あの軽さというか。

人生や社会の現象すべてについて、固定された判断から距離を置く。「もしかして、これバカじゃん?」というゆるさ、もうひとつの見方を持つことといいうか。(*1)

以前私はそんならそれは、たんなる人生の技術かと思ってた。でもたとえば日ごろから「Sense of Humor」を持っていれば、前回書いた 月がふたつ といった、現実と見えているものが、もしかすると無数にありえる見え方のひとつでしかないと考えることができる。

となると「Sense of Humor」は最近、リッパな知性ではと思えてきた。

ひとつの原因や現在という時点や感じ方考え方にむやみと固執せず、
Yes/No Good/Badと論理的に決め付けるかわりに、あるがままに流れに身をまかせるような、(ジブンを失わないまま)ゆるさ、水のような生き方とも不思議と(同じではないが)似ている。(*2)

「1984年」のような社会で、みんなが疑わない「月はひとつ」に象徴されるような、自明の「事実」に反対するのはすでに犯罪だ。そこではたとえ毎日書き換えられていても、歴史は「事実」とみなされる。

「1984年」は異様な世界に思える。けれどふりかえってじゃあ私たちのいるこの世界で、みんなが事実だと思ってる歴史は、書き換えられたことがないのだろうか?「事実」と反対のことを主張することは、彼らの世界と比べそれほど簡単なのか。



*1イギリスではSense of Humorとひと口に言っても、いろんな種類や歴史まで語られることがありとてもフクザツ。たぶんこれはアイロニーとも言われる。

*2几帳面に真面目にしがみつくのも、あるがまま感謝するのも、一種の繊細さの裏表のように思えます。ナイーブであるがゆえに一定のイメージに固執するか、世界を何事にもとらわれず理解するかの違いのようにも思えます。そういえば、英語でnaiveは、子供っぽく異様なほど感じやすいといったネガティブなニュアンスで使われ、後者のような繊細さはsensitiveのほうが使われることが多い。

<写真について>
この写真を撮った時、天気雨が太陽の光に輝いてまるで光の矢が降って来ているようでした。その現象を、大勢の人がいる広場でほとんど誰も気にとめない中、ただ一人ひたむきに眺めていた男性がいました。知的障害者かと見えましたが、以前知的障害者で上に書いたような、naïve とsensitive両方の性質があって、まわりで起こっていることを(取捨選択するというより)すべて同等にしかも健常者以上に感じ取り理解しているように見えた友人がいたことを思い出した。
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by nanaoyoshino | 2010-01-16 01:46 | hundreds of days off

FLLLPAとsimple life/普段着の英語について

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■ブログのタイトルについて

FLLLPAは気持ちがへこんだときつぶやくため頭文字を覚えていたのを、ブログのタイトルにしました。
Far Look Light Laugh Positive Appriciate
遠くを見て軽い気持ちで、笑い、前向き、感謝

■もう一度訪れたい時は、googleか yahooで、「flllpa」か、「フルルルパ」と検索してください。

■プロフィール

広告や出版の制作関連の仕事、クリエイティブの仕事が大好きな、フリーランス。旅おたくなので毎日は働かずとも稼いでくれる、貸家業も兼業中。

■このブログのカテゴリー「simple life/普段着の英語 200801~」について

旅の過程で知り合ったVとの生活の中で、人が人生をどうシンプルに生きることができるかに興味を持ちました。よい意味での単純な人生とは何か、を描くことをテーマにしています。

さらに、各回の導入として(以前は最後に掲載していた)、各回のテーマについてVとしの会話を載せています。自身が留学する前、「国際結婚夫婦の英会話」といった内容の本を買いました。理由は自然でいながらネイティブ級な上級レベルでない英会話ってどんなものだろう、と思ったからですが、以前の自分のような読者の方に、自分たちの会話がヒントになればと思います。

なるべく間違いがないようにこころがけていますが、もし何かありましたら大変申し訳ないのですが、ご指摘いただければ修正し感謝いたします。

■固有名詞などについて
個人の特定がされる名称などは変更している場合があります。

■イギリス(UK/United Kingdom)はイングランド・スコットランド・ウェールス・北アイルランドからなっています。このブログで「イギリス」といえば「UK/United Kingdom」の意味で用いていますが、論文ではないのでときどきあいまいな表現があるかもしれません。ご了承お願いします。

■コメントは歓迎ですが、不適切な場合削除いたします。恐れ入りますがご了承下さい。

■カテゴリーが増えました。
他のカテゴリーについては、「profile」カテゴリー内、各説明ページをごらんください。

<写真について>
壊れた額ぶちの中の、昼か夜かわからない海の風景。
撮った場所:自宅 (額縁の風景はギリシャ)
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by nanaoyoshino | 2009-09-07 00:27 | profile/プロフィール

重さと軽さ

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こないだ、「ある本を読んだら『がんばってます!』ていう感じが漂って、今ふうに言うとなんだか『痛い』感じ」がしたって書いた。(「働くことの夢と現実」参照)でも自分で書いてても頑張ってるってそんなネガティブなことかなって、疑問に思った。ネガティブなことじゃない。でもなんで痛い感じがしたんだろって。

うーんたとえば、私は会社辞めてから結構頑張ってる。

いや辞める前から会社というより、生活全般であれもこれもと忙しくしてた。でもトナリのVはいっつもリラックスしてる。で、あんまりリラックスしてるからこっちがいらっとすることもある。たとえば、この頃、私がバタバタ在宅の仕事モードで電話やメールしてるときに、ずーっとン時間も、ぼーっとただ紅茶飲んでたりとか!なんかもう少し、ありあまってるように見える時間を有効に使ったらどーよ!みたいにしばらくの間いらいらした。でも考えてみたらそんなの余計なお世話なワケで。

そういう私みたいにあれもやらなくっちゃこれもやらなくっちゃってジタバタしてる人がまわりにいると、ときどき正直疲れませんか?

だから、何が言いたいのか、っていうと、そんなことブログに書いてて何を隠そう頑張ってる張本人が自分だったワケ。

もすこし頑張る「重さ」と頑張らないと「軽さ」の関係、考えたいな。仲間と毎月やってる読書会の次のテーマ本は「存在の耐えられない軽さ」でもあることだし。2回め読んだらこの本はもっとおもしろい、女と男の基本的な感性の違い、カラダとココロの関係。軽い関係、重い関係、人生の一回性という軽さ。死の重さ。

「存在の耐えられない軽さ」 ミラン・クンデラ 集英社文庫
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by nanaoyoshino | 2009-02-14 21:49 | hundreds of days off

辺見庸の庭とごはん

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食べるエッセイを読んでみようと思った。辺見庸という作家の「もの喰う人々」という本が目に入って買った。このエッセイはいわゆる日本のバブル時代に「飽食」との対比で発展途上国の「食べる」シーンを見てみようということからスタートしたみたい。時代背景というのがやっぱりあるのだ。この本の描く「食べる」シーンは、戦争とか汚染とか、貧困とかで社会経済が「飽食」と反対の人たちのものだ。

「もの喰う人々」というタイトルの「喰う」というのが、どこか動物的だ。「喰らう」という言い方もよくされてる。食べることにはいろんな意味があって、まずは生きるために食べる。この本のタイトルが「食べる」じゃなく「喰う」なのは、そういう目的で食べてる人を描いてるから、ってことも関係あるんだろうな。

生と死と食べることとエロチシズムはつながってる。なぜかというとエロスがあって生まれ、食べて生き、食べなきゃつまり死ぬということ。食もエロスも、生きるか死ぬかという境にある。食べることは動物っぽい、根源的な行為。自分がものを食べてる口とか、みっともない気がして見たくない。他人が必死でガツガツ食べてるのもあんまり上品じゃないし。まあだから一緒に根源的な恥ずかしさを共有すると、あけっぴろげになれるって言う人もいる。

イギリス料理っていうとおいしくない、っていう評価がふつう。それと関係してると思うけどイギリス人は食べること自体には関心があるのに、やたらと関心がないふりをする。大人数が集まるイギリスでのパーティーで、すごいごちそうが並んでるのにずっと誰も手をつけなかった目にあったことがある。私はお腹がすいてたのでたまらず、まわりの人に「これ食べていいの?」「なんで誰も知らんぷりなの」と聞きまくっちゃった。

「まずあんたが食べればみんな食べるよ」と言われて思い切って1人でつまんでみたら案の定というか、その後どっと人がおしよせてあっという間に山盛りの料理がなくなった。イギリス人にとっては食べることは恥ずかしいことだったのだ!

以前お茶漬けを食べる人をひたすら音もそのまま、ナレーションとかなるべくはぶいて見せてる日本のCMがあった。ヴィンセントはあのCMがかなり不快でぜんぜん理解できないみたいだった。日本人は食べることへの関心を隠さない。

食べることはただの消化と排泄のプロセスに過ぎない、と言うイギリス人にも多く会った。でも考えたらイギリス人だけじゃない。たとえば少しづつ、美しく盛った会席料理も、食べることの恥ずかしさを優雅さでたくみにカバーしてるようにも見える。

日本人に限らずたいていの国では(イギリス以外の?)貧しい国であっても食べることすなわち人と交わることで楽しむことだよね。そもそもイギリスではプロテスタンティズムとかいって、働け働けと奨励する産業革命のころ、「食欲も性欲も恥ずかしい」って罪悪のように言われたんだろうなあ。食べることが生きるためだけじゃない、ほかの意味を持つ社会では、単純に食べることはときどき恥ずかしくなるのかも。

ところでジャーナリストでもある辺見庸にとっては世界は庭みたい。わりとかるがる自分の庭のように好奇心のまま、戦争で食べるものがなく死にそうな人たちのところへでかけて行ってるように見える。でも取材される相手にとっては、ただの野次馬根性でやってきた部外者みたいなもん。とはいえ、本にすることでこれまで知られてなかったことを、広く知らせることができたら、いいじゃんって思う。
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by nanaoyoshino | 2008-12-02 00:56 | 世界の庭とごはん

「すばらしい新世界」は不自由な社会?

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76年前に描かれた未来社会「すばらしい新世界」「すばらしい新世界・他人と同じか?違うか?」参照では、性的欲望は解放すべしと刷り込まれていて、結婚制度も親子関係もなく、適度な自由時間や娯楽も準備され、自由な男女関係がよしとされる。独自性を育てる芸術や孤独は避けられたり禁じられ、「万人は万人のもの」という、みんな一緒の幸せを賛美する価値観が共有される。

老いは科学によって存在しなくなってる。血液が入れ替えられ若さが保たれるけど、死は若く美しいまま、突然訪れる。死は怖くないという刷り込み教育が、徹底してされる。

2008年の今、ストレスの原因と考えられる抑圧やしがらみが、この架空の社会ではあらかじめないか、抑圧を抑圧と感じなくする価値観が刷り込まれている。不満の持ちようがほぼないが、どうしても解消されないストレスには「ソーマ」と呼ばれる、アルコールよりはるかに効率のよい、麻薬のようなものを服用することが推奨される。服用すると一晩、ときには一ヶ月以上、こん睡状態になるが、ソーマを飲むと気分がすっきりしたり、その後はストレスを忘れられる。

主人公たちは支配する側なので、支配のための刷り込みテキストやプログラムを作る職業に就いてる。適応できないごく一部であるこの人たちは、刷り込みの価値観に疑問を持ち、自分であれこれ勝手に考えることが好きだ。孤独な思索や独自の発想を好み、みんな一緒で自由のない世界に、疎外感を持ってる。

主人公たちは男で、女は下の階層で男の恋人たちとして描かれる。この女たちの発想ときたら、ハーレクインロマンスのヒロイン程度のことしか考えてない。ところがこの本を読んでびっくりしたのは、こんなお気楽そうな、悩みのない世界に住みたいなあ、って思ってしまったこと。

このブログで自由だなんだと書いておいて!ラクだというだけで、完全に他人にコントロールをされたがってる自分。「自由からの逃走」っていう、ナチスにコントロールされたがってた人たちの分析があったっけ。(いまだ読みきれてない本だけど)

自分はお気楽に生きてるつもりだったけど、結構ストレス溜めてるんだ!しょせん、人生って苦労の連続なんだな!と自分が哀れにも思えてしまった。まあ、人生苦労が耐えないからこそ、こんな刷り込みなしでも、人ってそれなりに納得して死ねるってことかも・・・?

<写真について>
やみくもに明るく幸福的なキャンペーン広告の主張は、まっ暗闇に浮かんで一層表面的に映る。映画「ブレードランナー」(*)で描かれた、核戦争後に残った電光掲示広告のように。
*フィリップ・K ・ディックのSFを原作に、1982年公開されたアメリカ映画。遺伝子操作で作られたクローン人間が、支配者の人間を殺そうとする。
<撮った場所>イギリス
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by nanaoyoshino | 2008-10-14 01:37 | hundreds of days off

すばらしい新世界・他人と同じか?違うか?

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「日本語では『異なる』も『間違ってる』も同じ(*1)表現だよ。あなたのコトバでは?」 “In Japanese ‘different’ and ‘wrong’ are expressed by the same word. What about your language?”
「『異なる』と『間違ってる』が同じなんてことはないね」 “I don ‘t think ‘different’ can mean ‘wrong’.“
「日本語では『同じ」も「共に」も同じ(*1)表現だよ。英語では?」 “In Japanese ‘same’ and ‘together’ are expressed by the same word. What about English?”
「『同じ』と『共に』が同じだなんてありえないね」 I can ‘t think ‘same’ can mean ‘together’. 

*1「違う」
*2「一緒」
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普段着の英語

わずか34階のずんぐりした灰色のビル。正面玄関の上には、「中央ロンドン人工孵化・条件反射育成所」なる名称。また盾形の中には、世界国家の「共有・均等・安定」という標語。

という出だしで始まる小説「すばらしい新世界」は、イギリスの作家・オルダス・ハックスリーによって1932年に発表された。76年も前に書かれた未来小説だけど、2008年の今読んでもあまり違和感がない。冒頭の引用でちょっとわかると思うけど、ここに描かれてる社会では、個人の幸せより全体の幸せが重んじられ、この価値は共有され孤独は避けられる。

「すばらしい新世界」では全ての人が体外受精で生まれ、教育センターで上に上げたような価値観が寝ている間の条件反射教育や学校教育で、繰り返し教えられる。第二次世界大戦中の日本の軍国主義教育よりはるかに徹底して特定の価値観を刷り込まれる。この社会ではだから、適応できない不満のある人間がとても限られる。この小説がユートピアを描きながら、非ユートピア小説と考えられてるのは、それでもいる少数の異端者の目から描かれてるからとも言える。

「結婚してないという理由で、社会的プレッシャーを感じてる人がいる」ともし、イギリスで言ったら、言われたイギリス人は意味がわからないか、冗談と思うかもしれない。そのくらいイギリスでは結婚するしないは、単純に個人的なことと考えられてる。私の日本人の知人には、家業や苗字を継ぐ継がないかとか、相手の職業を親が気に入らないとか、親の面倒を見る見ないとかいった理由で、結婚をあきらめたり反対されて親との折り合いが悪くなった人が思いつくだけで相当数いる。イギリスと比べると、日本の社会がどれだけ「みんなの幸せ」を優先して、個人の幸せを後回しにしてるか。

それでもたいていの人は孤立は避けたいと思う。一人ぼっちはいやなのだ。イギリスだってそれはおんなじで、イギリス人が幸せかというと、来日して以来日本の、モメゴトをさけて白黒をあいまいにし、おたがいの空気を読む社会に和むというイギリス人もいて、西欧個人主義にはうんざりしてる人だっている。私だって日本の社会の暖かさに一種のユートピア性を感じなくもない。

「すばらしい新世界」で完全に遺伝子操作されて生まれる人々は、あらかじめ定まった社会をかたちづくるために役立てられる。だから支配する側の人間はその社会のしくみを熟知したり独自に発想もできる知能を生まれつき持ってる。逆に支配される側の人間は、あらかじめその環境に適合するように作られた、遺伝子すら同じ大量生産のクローン人間たち。そして支配する側のほうが、人によっては適応しにくいという。物語は、異端者の1人が、マスコミにパパラッチされた挙句自殺して終わる。

「すばらしい新世界」 講談社文庫

<写真について>
遠目に見るとたんなる仕切り。近寄ると、「日本」という字がデザインされてるとわかる。スキマがから、カフェで働いている東欧出身の女の子が見える。
<撮った場所>
ヘルシーな日本食がブームらしい、イギリスの国際空港のスシ&オリエンタルカフェ。
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by nanaoyoshino | 2008-10-06 00:41 | SimpleLife/普段着の英語

動いてても止まってるようにしか見えない

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「ある人が何年か前ローマに住んでた時、庭から古代の柱が出てきたんだって」*‘Someone who lived in Rome a few years ago found ancient pillars in the garden.’
「発見だな。それで?」‘That’s a discovery. Then?’
「役所から来た人たちによると、紀元前200年の柱だったんだって。」‘People from the government said they were from 200 years BC.’
「すごいな!」 ‘Amazing!’
「でも別に珍しくないからほっとけって言われて、犬小屋の支えにしたそうだよ。」’But they said there were a lot of such things so just leave it. The landlord used them to support their kennel.’

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普段着の英語

以前バーサの家を改装中、壁からヴィクトリア時代の暖炉が出てきたハナシを書いた。このとき階段の手すりを覆う壁を壊したら、やはり当時の彫りものがある木の手すりが出てきたんだって。それを夫婦でやすりで磨き上げ、美術館の階段みたいに仕上がった。このテの話はとくにイタリア人からよく聞く。家の天井を改装中に何百年か前の壁画が出てきた、というたぐいの話。

日本でも、京都の友達の世間話は、近所の家の庭から数世紀前の遺跡が出てきた、とかいう話だった。以前京都駅構内で高校生がブラスバンド演奏をしてて、「空海来日記念」みたいな垂れ幕がかかってて、単位が数世紀以上だった。やっぱり10年単位の地方都市や東京と、京都では歴史にたいする感覚が違うと思う。

中高生のころ、歴史と地理の授業が一番退屈だった。どちらも人気のある先生だったけど、人気の理由が「受験に役立つ授業」というものだった。今思い出しても当時教えられたのはその時代の出来事が「点」として語られるだけの歴史だった。

歴史はその出来事が起こるずっと前から背景があり、起こった後もたとえば戦争と殺戮の記憶なんか、何世紀たっても子孫に受けつがれ消えない。対テロ戦争だって、何百年単位で続くイスラム教とキリスト教の関係の結果でもあり、すべて特定の場所の地理的条件もからんで起こっているから、歴史は地理でもあるのだ。そういう立体的な歴史の姿を、どの先生がこれまで教えてくれただろう?

だいぶ前イギリスや、インド、中国で飲んだお茶のことを書いた。(「47 気違いの紅茶」参照)こういう国で「茶」を意味する語はいうまでもなく、たったひとつの語源から来てる。旅をすると旅先で出会う、今を生きてる人たちの生活が、遠くの場所、遠い歴史とあざやかにつながる。それはいつもただひとつに見える。

*犬養道子「ヨーロッパの心」

<写真について>
世界中見られる放牧のこんな風景は、たぶん千年以上も変わってない。動いてても止まってるようにしか見えない羊の動きがますます、止まった永遠の時を思わせる。
撮った場所:イギリス
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by nanaoyoshino | 2008-09-29 01:23 | SimpleLife/普段着の英語