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イケアの「男性預かり所」と、だんながイケアの話すると寝ること

以前、だんながサッカーの話を始めると、
終わらなくなって困ると書いた。

あの頃ベースボール、今フットボール

さっそく

「私は聞くふりもしない」

というコメントを女友達からメールでいただいた。

最近イケアの家具を買ったのだけど、
買いに行く前、
私がどの家具を買うか相談すると、
だんなはいちおう聞こうとはするのだが、
聞くたびにウソのように、
1、2分するとほんとうに寝てしまった。

私が「このベッドはね」とアイパッドを手に持って話しかけると、
椅子に座ったまま、すやすやと寝ている。

さっきまでネットのサッカーの記事を目をらんらんとさせて読んでいたのに。
「ちょっとー。起きてよ!」と
いったんは起こしても、
またイケアの話、家具の話を始めると
まったく自然に眠ってしまう。


ちょうど毎晩そんなことをくり返していた先々週あたりに、この記事を発見。

「IKEAのシドニー店に、「子ども預かり所」から学んだ「男性預かり所」がオープン」


「イケアが男性預かり所を開始」


「子ども預かり所」のかわりに、
いっしょに来ただんなさんや彼氏が、時間をつぶすところらしい。

奥さんや彼女がその間、思う存分
イケアでショッピングを楽しめる、という趣向。

「男性預かり所」では、やっぱり、男性はゲームしたりとか

サッカーのテレビ中継を見るほうがいい、ということらしい。

このサイト、冗談みたいな
こんな記事がときどき載ってるので
「これってジョーク記事だと思う?」と
原文をだんなに見せるが、
じっくり読んだ後、
「ジョークじゃなくってシリアス(本当)だよ、これ」とのこと。

「あんたもイケア行ったらこんなのあったらいいと思う?」
「うんうん」
「サッカーの記事読めるもんね」
「いいなあ、こういうの日本のイケアにもないかな」



だんなさんや彼氏を忘れておいてきぼりにしないよう、
連れの女性はアラームつきタイマーを渡されるらしい。

だんなは、タイマーの部分はいやな顔をした。

家具のほうが自分よりたいせつとは、思いたくないのか。



ここ3週間くらい、毎週だんなとイケアに行き、
やっと決めてきのうとどいたイケアのアームチェア。

だんなは、案外、楽しそうに組み立てていた。

座り心地も満点!



(実は、ウチはイケアのフックや照明、クッションなど組み立てなどは関係ない小物はあちらこちらに使っているが、家具を買うのはこれが初めて。組み立てとかサービスとか、使い心地とか、結構いろいろ驚きがあるので、これからもうすこし書くかも)
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by nanaoyoshino | 2012-07-03 02:14 | チェック!

イギリス女性の微笑

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切符を買おうとして列に並んで、同じように並んでいる人とふと目があったときや、
図書館で本を手にとっている際なんとはなしに顔を上げたとき。

そばをとおりがかった女性が、自分に微笑みかけているのに出会う。

微笑むといっても口を開かず口角をちょっとあげる程度。

最初の頃は、この微笑にすごく戸惑った。

なぜ微笑まれているのかさっぱり見当がつかなかった。

たくさんの「why?」が並んだ。

わからないから、微笑み返せないという罪悪感。

見知らぬ者どうしの微笑は、男性にたいていも交わされることがある。
ただし店でお金を払った男性店員に微笑むとか、女性どうしよりも具体的なやりとりがあったときだけ。

あらゆる女性が常にそうだというより、身なりの悪くない人、
どっちか言えば教養がありそうな人、貧乏でも楽しそうな人など、
普通だけど気持ちに余裕がありそうな人が微笑む。(ような気がする)

、、、まったく見知らぬ者どうしなのに。

でも、やりとりもなくたんにとおりがかった女性から男性へ微笑んだり、
男性同士で微笑んだりはしない。

基本は異性間ではなく、女性どうしだけ。
という暗黙のルールが存在する。

もし男性へ、買い物など明らかに共有するシチュエーションがないとき微笑むは、
別の意味を持つ、とはイギリス女性から聞いた。

天気がよく気分がいいときに、外でやはり気持ちよさそうに
散歩している女性とすれちがい目が合うと微笑む。

かわいい犬だなと街でふりかえったら
飼い主と目が合ったときその人が女性なら微笑む。

ちょうど、日本で女性が見知らぬ人の子供に微笑みかけ、
それから子供の母親にたいしても微笑むように。


たぶん微笑みは警戒なしのメッセージで、子供はどこの世界でも警戒する必要がないから。

イギリスの女性同士が微笑むのは、その感じに似ている。

でも、子供のかわりに犬や天気や同じ店、もしかするとただ同じ駅で同じ電車を待っているなど、何かものすごくささいなことがきっかけで微笑む。

ほかの国では、魅力的な女性に男性が微笑みかけてきたりすることはあるだろうが、
見知らぬ女性どうしがたいした意味もなく微笑むのは見たことがない。

日々の生活にせいいっぱいの途上国なら、同じ村の家族みんなとこんな微笑を交わすのかも。

でも街ですれちがっただけの見知らぬ女には微笑みかけはしないだろう。

こんな習慣はやや特権的で貴族的な感じがする。大英帝国の時代から数百年の経済的恩恵に恵まれた人々だからだろうか?

それでも、いつしか自分がされているうちに、自分からなんとなく女性に微笑みかけている。

もちろんいやだなという気持ちを持った相手には微笑したりはしない。

見知らぬどうしでも同じシチュエーションで親近感を抱いているとかに
互いにたまたま目が合うと微笑む。特別なメッセージはなくても。

相手から微笑を返されれば、ふんわりやさしい気持ちになる。






ちょっと脱線
笑うのは人間だけじゃなかったんですね。 
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by nanaoyoshino | 2012-06-06 02:27 | hundreds of days off

放浪と計算

親戚のイギリス人で、リーズで小学校教師をしてきた女性と話したことがある。リーズはジプシーの多い地域で、彼女のクラスにもジプシーの子どもが多かったと言う。

彼女は個別訪問でジプシーのキャラバン(トレーラーハウス)に行くこともあった。ジプシーの子どもの親とも仲良くなったけど、最初訪れたときはすごく警戒されてると感じたそう。でも何回か訪れるうち、親しくなっていき信頼されてると感じたと言う。

彼女が担当した子どもの1人は数学の「天才」で、家庭を訪れるうち、子どもが家の会計を担当していて、それで数学が得意なのだとわかったと。

偶然かもしれないけど私のフラットメートも、数学の博士課程の学生で、フラットに住む6人の光熱費電話代の会計を1人で受け持っていた。

国を超え放浪する民と言えば、ユダヤ人、中国人、ロマ。放浪の民はどちらかといえば警戒心が強く、元来職業としては身内的な自営業などが多いように思う。少数派になりやすいから差別も受けやすく、仲間に入れてもらえないから自営業のような自分でできる小規模な事業を子どもも親も家族ぐるみで運営するということか。

ただしロマが放浪の民といっても好きでやっているという人は、すくないようだ。どこへ行っても迫害されるから、転々とせざるをえないのがふつう。

私のフラットメイトの場合は、数学が得意というだけでなくお金の計算にとても厳密だった。ボランティアでめんどうな仕事を受け持ってくれたので感謝しなければならないけど、私が帰国した後も、請求と帰国でずれた日にち分の請求書を細かく送ってきたので、現地通貨に変えてイギリスまで送金しなくてはならなかった。

そういや私も会社やめて自営になってから(貧乏で)、計算ばっかりしてる。





追記

前回のを呼んだ挙句けっきょくロマとはなにか、わからなかった人、ごめんなさい。

ジプシーとは、定住せずジプシー生活を送る人で自分をジプシーだと思っている人。

ロマとは、インドを起源としてヨーロッパ中心に広く世界中に散らばったジプシーでやはり自分をロマだと思いロマの言葉を話す人のことを指す。(だからロマはジプシーに含まれる。)

Roxy Freemanは、片親がロマの先祖を持つのでロマと言えなくもないが、自分をジプシーと思っていてもロマと思っているようすもないのでその意味ではロマではない。

イギリスのジプシーは、彼女の母(ぜんぜんジプシーと関係ないアメリカの資産家の娘なのにジプシーの生活を自ら選んだ)のように起源がロマではない人が含まれ、このような人はロマではないと考えるのが一般的。

とはいえ場合によってはロキシーの母のような新参ジプシーも、起源と関係なく、ロマとしてとらえらることもある。

このようにジプシー、ロマの定義は専門家でも何ページも費やして説明する必要があるほど、世界共通の絶対的な論がなく混乱しがちなもよう。

このことこそがナチスによる虐殺を初めとして、ジプシー差別を処理できていない背景という。
(ユダヤ人虐殺と違って、ロマは虐殺による補償をドイツから受けてない)
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by nanaoyoshino | 2012-05-03 03:04 | hundreds of days off

さよなら

今日お父さんが他界したそうだ。そうだ、と書いたのはどうも信じられないから。なぜなら他界した、と医者が言った後もお父さんの身体はずっと暖かで、足だって動かしているように見えたから。でも脈をはかっても脈はないようだったし、息していることも確かめられなかった。足はベッドが動くから動いているように見えるだけだと看護婦に言われた。もしそうならあんなにも死んでいても生きているように見える人って今まで見たことがないような気がする。そしてもしほんとうに今お父さんが死んでしまったとしたら、あまりになめらかにお父さんは生死の境を超えてしまったからだろうか、誰も息が引いていったことには気づかなかった。私はこれまで苦しんで死んだ人ばかり見て来たので、死は生の終わりでしかないように感じて来た。でも今では生と死はつながっていてひとつとも言えるんだなと思う。

長いことVの家族は「理想の家族」だと信じて来たけど、震災があった頃から身の回りに変化が起こり、自分のブログはフェアリーテール、架空の話を描いていると感じるようになって昨日も書いたように書く気がなくなってた。

朝早くB(Vの上のお姉さん)から電話をもらってお医者さんがもう危ないって言ってるからすぐにも病院に来るように、とのことだった。でも今いるJ(Vの下のお姉さん)の家からお父さんの病院は遠く、電車とバスを乗り継いで2時間もかかる。Jの職場は比較的近く彼女の自動車でなら30分くらいで着くのでJと一緒に行けないのっって聞いたら、出張だと言う。出張ってお父さんが危篤なのに、と言ったらそんなこと知らない、と怒鳴ったのでその話はもうせずに、Bの夫婦のどちらかが駅までせめて迎えに来てくれたらとVに言ったけどそういう話はなさそうだった。

もう引退後のB夫婦はお父さんが入院するたび、毎日病院に来て私たちが行かなかった数日も電話して状況を報告してくれていた。ちょっと前にはBのだんなさんが、ベッドで動けないお父さんのひげをていねいに剃ってあげていた。それがあんまり介護士みたいに手慣れた感じで。お父さんがビールが飲みたいというたびにビールを買いにいって、ストローで飲ませてあげていた。

Bは自分が来れないときは来てお父さんの食事を介護するようにとBに指示したりする。病院で職員が食べさせてくれるのにいちいち自分が必ず来たり、仕事に忙しいJにそんなこと指示するのが不思議。お父さんの老人ホームは全介護つきなのだけどBは週2回は行って何かと世話をしてきたし、よくBは介護の苦労を日頃から口にする。

昼ころ着いたらお父さんは眠っているようで、肺炎だからもともと荒い呼吸も安定していた。半開きの目は右目が大きめに開いていてそこからのぞいている瞳が死んだ魚みたいに白く濁ってた。B夫婦が食堂でお昼を食べている間、お父さんに○○だよ、と自分の名を告げたら両方の目が同じようにいきいきと開いて、何を見ているのか瞳も本来の青みを帯びて輝いたのでVを呼んだ。
「ねえお父さん目を覚ましたみたい」
Vも自分の名をお父さんに伝えたので「お父さん、わかったみたい?」と聞いたら、話はできないけど僕だってわかってるよ、とうれしそうだった。

そのうちにお父さんの息がとぎれとぎれになってきた。Vは食堂にBを呼びに行き、「心配ない」とだけ言われて帰って来た。私は「ねえお父さん息してる?」とVに何度も言わないといけないほど息がかすかになってきたので近くを通った黒人の看護婦さんに伝え、看護婦さんがお医者を呼んで来た。学生かというほど若い医者に抗菌剤はすべて試したんですかと言うと、副作用があるから何でも試せる訳ではないと言う。

「あら、ついに?」病室に戻って来たBは、お父さんを見てもう亡くなったと勘違いしたらしい。私はさっきの看護婦がまた通ったので、息してますか、酸素マスクとかしたらどうでしょうと声をかけるとお医者が来て、酸素は鼻からもうずっと補給していますよとか、もうあとわずかでしょうから離れないでくださいとか言った。

ちょうどそのときJが出張からかけつけ、数分で私にはお父さんの息が確かめられなくなった。でもVはまだ大丈夫息してるよと言い続けた。私は最初はそうなの、と言ったけどどうしてわかるのと聞くと3回目くらいには僕も自信がないと言い出した。Vの家族にも聞いたけど、もう誰もお父さんが息をしているかどうか、関心があまりなさそうで、わからないと言った。そこでまた看護婦さんを呼んだら医者が来て「アイムソーリー」と言った。Vの顔が動揺でさっと紅潮した。


Bは病院を去るとき、彼は老人ホームでも病院でも、ぜんぜん文句を言わなかった、全部受け入れアクセプトしたからみんな彼が好きだったと言った。私もVにお父さんは立派に運命をアクセプトしているようで、誇らしいと昨日パブで言ったのでそれが伝わったのかなとも思ったけど、VとBは直接話す機会もあまりないので、たぶんB自身の感想だろう。アクセプトというなんとなく東洋的な感じのする語をこういう事例に使うのか、ずっと前から疑問に思っていたがやはり使うんだな。

でもこの家族はVも含め病院からどんな悲観的なことを言われようと疑問にも思わず受け入れ、私がいちいち看護婦や医者に確かめたがるのが変に思われそうなほどだった。昨日パブ行く前にJのパートナーが、炭坑労働者だった自分の父親のことを、一度炭坑に入ったらいつ次食べられるかわからずずっとお腹をすかせていたから、とにかく食事のときはお腹いっぱい食べることが何よりたいせつだったと言ってた。たいていの苦労を受け入れざるをなかったのが、この階級(労働者階級、といってもこの国のほとんどがこの階級)歴史なのかもしれない。

病院から戻ったらVのお姉さんは家にいるのはたまらないから、近くのイタリアレストランに行く、あなたたちもよかったらおいでと言った。隣の席では10人くらいがやってきて、長い足の若い女性が、真っ白い身体にぴったりのミニのノースリーブワンピースをこの寒いのに着て目立っていたが、彼女の誕生日らしかった。イタリア人シェフがケーキを運んで来た。私たちはお父さんの思い出を話して、お父さんの好きだったウィスキーを飲んで笑って、隣人の誕生日をいっしょに拍手して祝った。それから近くの誰もいない海岸にVと2人で行き、私は波が轟く真っ暗な海を前に、ほとんど誰にも気づかれずに泣いた。
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by nanaoyoshino | 2012-02-24 09:57 | hundreds of days off

ブログをまた書くことにした

ブログでは、希望どおりにならないこともわからないことも、そのまま書きたいような気がするのだ。

一週間前成田からヒースロー空港に到着したばかりのとき、だんなのLが彼の上のお姉さんであるBから電話をもらった。Lのお父さんが意識不明ですぐにも会いに来いと言う。
病院は4人部屋で、ベッドのまわりに祖末なカーテンがかかっていて、お父さんは意識は回復していたけど、声もかすれてほとんど聞こえないくらい衰弱はしていた。
「日本の病院とあんまりにも同じでびっくりした」
そう言ったらなぜかほほえんだから、私のことは認識したのだろう。この国では男の子が女の子にプレゼントを渡すのをもちろん知っているが、
「あさってバレンタインデーだよ、日本では女の子から男の子にチョコレートを渡すんだよ」と言うとお父さんは、また弱々しくほほえんだ。

15年前のバレンタインデー、無記名がバレンタインデーでのこの国のしきたりだと私は知らなかったけど彼の筆跡はわかった。

昨日はJの車で、ダラムにある病院に行く途中、海岸に近い丘の上の幹線道路から、下のほうの谷間に、赤と黄色の小さな4両電車が走るのが見えた。薄汚れた電車が横揺れしながら走りすぎる頃、それが私がこの町に留学していた頃から今にいたるまで乗っている電車だときがついた。

今日2人で病院から帰るとき、ターミナル駅で、その赤と黄色の電車を待ってた。15年前と同じブザーの音で電車のドアが開くと、電車の床は砂だらけ。
「なんでこんなに汚れているの」と言ったものの、そういえば日本から着いたばっかりでそう思うだけで、この電車いつもこんなだったかも、とも思う。
「私たちまだいっしょだねえ、あの頃から15年」と私。
「長くてうんざり?てか」

ダラム県のLの実家はお父さんが老人ホームに行ってから家族が売りに出していたところ、1年くらいかかって売れてしまったのが去年の夏前のこと。
「介護関連の仕事をしている友達が、老人ホームに移ったあとの家を売るのを急がない方がいいと言ってたこと覚えてる?」と私。
「覚えてない」
「友達は、ホームに移ってから自宅が売られたあと老人は生き甲斐をなくすのか、長くは生きられないというようなことを言っていたじゃない」

パブでビールを飲んだ後で酔っぱらってたこともあり、Lと2人きりになったとき、ちょっとLの家族を責める口調になった。とはいえ私も英国では家を売ったお金を老人ホームの介護費にあてたるんだとかと聞いてからはむげに反対もしなかった。でも売れた後Lのお姉さんに聞いたら、介護費にあてたのではなく家の維持費がかかるので売りたかっただけだそうだ。

バレンタインデーの前は、英国のテレビドラマでは夫が妻に花束を挙げたり、新聞ではセレブの男女の写真にハートマークつけていたり。私たちは何も祝わなかったけど。

今日お父さんとコミュニュケーションができたのはわずか3分ほどで、それ以外はほとんど意識がなかった。病院に行くたび、お父さんのいる病室につくまでの、味気ない駐車場と廊下を歩きながら今日はどんな様子かと話しながら歩く、その時間がやけに長く思える。
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by nanaoyoshino | 2012-02-23 10:03 | hundreds of days off

イギリスの小さな庭

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「イギリスはガーデニングがさかん」と初めて聞いたときは「庭ってどこ?」って思ってビックリした。 イギリスは左右が隣とつながったテラスハウスが多くて、たいていのテラスハウスには、猫の額ていどの庭しかない。 私が当時住んでいた家も近所の学生用下宿(シェアハウスという方が近い)も 同じようなテラスハウスで、ゴミが放置された小さなスペースを誰も手入れしてなかった。

Vの実家もテラスハウスで庭と呼べるスペースはごくわずか。でもそのわずかなスペースに、夏は木が青々とし、ラベンダーやマーガレットなど色とりどりの花が咲き、鳥の巣箱がかわいらしく花畑の中に収まっている。

「誰が世話してるの?」と聞いたら、「うちの庭じゃないよ」だって。
「ここの庭のように見えるけど」と言ったら、隣の庭との境には塀も何もないので、木の葉も花も境界から脇へ顔を覗かせて、ごくわずかなスペースに堂々とはみ出しているためそう見えるのだそう。 隣の男性が、庭いじりが好きらしい。

Vのお姉さんのバーサのだんなさんのサムはVの親戚で唯一、ガーデニング愛好家。ちょっと郊外で、一軒を2世帯で住むタイプの家の庭は、びっくりするほど広いわけではないにしても、1人で世話してるならそれは大変だろうと想像つく。

よいガーデナーのことを、「緑の指を持っている」と英語で言うと日本の雑誌に書いてあって、バーサに「彼は緑の指を持ってる?」と聞いた。
「そうねえ!持ってるかもしれないわねえ!」

バーサは冬雪が珍しいほど積もると、クリスマスカードの絵のような写真を撮って送ってくる。サムは繁殖しすぎて庭を荒らすリスには罠を仕掛け、鳥には巣箱を設けそういうことがバーサや近所の人と自然に話題になっている。

春夏は色とりどりの花が咲くのをサムは、"Beautiful,are't they?"(きれいだろ?)の一言でいつも表現する。言葉の抑揚だけにその時々の気持ちを込めているみたいに。

サムは細長く傾斜する庭の一番低いところにある川岸にデッキとガラスのサマーハウスを設けて、天気の良い日はサマーハウスでバーサとお茶を飲みながら新聞を読む。天気が荒れるとメンテナンスを心配している。

もっと天気の良い日は、ガレージから椅子とテーブルを出してきて、庭で食事する。 彼が庭でハーブなど「スーパーで買うと高い」という食材を育てたのをバーサが料理し食べる。

「庭作りの何が好きなの?」と彼に聞いたら「自分の作品みたいなもんで、どうにでもいじれることかな」

ふーん。彼にとっての庭は、面倒でも楽しい、バーサにとっての料理みたいなものかも。
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by nanaoyoshino | 2010-09-23 01:55 | 世界の庭とごはん

会社ってみんな、こんなもん・・


今、名前だけならたいていの人が聞いたことのある会社。

ご多分に漏れず初め従業員は3、4人だったらしい。売り上げもおそらく、100万円単位だったんじゃないかな。

ある日社長としてやってきた彼は、親会社の大企業からこの小さな会社にやって来た。(「上司のミスの責任を転嫁された、って噂よ」)

バブルの影響もあったし、大胆なサービスシステムを構築したり、親会社の得意とするしくみも適宜活用し、吹けば飛ぶような会社が、売り上げ百億円以上の規模になっていた、わずか10年ちょっとで。

推測だけど、彼の頑張りには、自分をそんな経緯で左遷した会社へのリベンジもあったのかも。

こうして彼は、売り上げが下がる一方だった親会社に錦をきて郷に帰るように、取締役として迎え入れられたわけ。

けれど親会社に戻ってからわずかの間で、要職を解任されてしまった。

戻って1年ももたなかったんじゃないかな、確か。

数年後には死亡。もとの会社の社員の誰とも連絡を絶ったまま、認知症のいっしゅと言われる神経だかの病気だったらしい。

ある人は、もともと親会社から生意気だと思われていたと言い、ある人はすでに認知症が始まっていて行動がおかしかったから解任されたのだと言う。

この小さな会社ってのが、私の以前つとめていた会社で、私が入社したときはまだ従業員も十数人という規模だったので、彼は自分の直属の上司みたいなものだった。

彼が親会社を退職してから、会ったことはないけれど、退職後数年は年賀状をいただいていたし、人づてに様子を聞いたりし、認知症については都合上の中傷かもしれないなと思った。

会社を辞めたらまず挨拶に行きたいとずっと思っていたのに、辞める少し前に亡くなってしまった。

会社での従業員一般の扱われ方が、彼の扱われ方とそう乖離している印象がなかったから、彼のケースが特殊だという気がしなかった。

つまり「会社に貢献した人ほど、報いられる」はずのしくみが、ほとんど機能してない組織では、そういう人ほど、ストレスに耐えられなくなっておかしくなってしまう。

そんな組織に自分の人生を捧げる気になどまるでなれなかったのに、実質それくらいのことを常に要求されていたのが、私が辞めた理由のひとつ。

私が以前つとめていた会社で声の大きい人は、この元社長は「おかしかったからしかたがない」と言い、そうでない人はひっそりと口をつぐむ。

「しかたがない」という人にとっては彼の死はもう終わってるんだ。私にはまだ終わってない。だって、仕事に邁進し、大成功したはずの彼の人生。その彼の人生にどんな意味があったというの?その疑問がまだ解けてない。

会社全体の雰囲気は、まるで彼など、初めから存在していなかったかのよう。

私が彼と過ごした年月というのは彼にとってはたぶん会社がどんどん彼の描くかたちで発展していて、とても幸せだったんだろう。

私が思い出す、会社のビジョンを語る彼は、熱くでも感情的にはけっしてならずやわらかい笑顔をしている。
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by nanaoyoshino | 2010-06-05 22:25 | hundreds of days off

「無」という漢字

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ほら!お風呂にテントウムシがいた。Look at this! I found a ladybird in the bathroom.
(テントウムシ)生きてるの? Is it alive?
- 窓を開けて飛び立たせて Letting it out from the window - 
よい日を!Have a nice day!
○.・.。.・・・‥……━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「普段着の英語」ピックアップ

ずっと前、アイルランドの女性が、「無」という漢字を見て、意味を聞いてきた。

仏教では(その語が使われている文脈に関連して、私はとくに仏教徒というのではないですが、うろおぼえで)「無」というのは必ずしも悪いことではなく、むしろ到達すべき境地は頭の中を無にすることだったと思いますよ、と言ったら相当ショックを受けていた。

ヨーロッパでは、無ということは、それほど好ましくない状態なの?!

私が前回書いた「考えない練習」の話をVにしたら、この本のタイトル言っただけで「なんだそれ!」っぽい反応だった。

で、Vが思い出した。
「人生の目的と意味を考えるて生きれば、人はしあわせに生きることができる、って
最近、このようにイギリスの哲学者が唱えている番組があった」

ヨーロッパって、ほら、「我思うゆえに我あり」とか「考える葦?」ですか?
そういうこと言ったの、デカルト?あれはフランス人?
自我・理性・考えることなどが、動物と人間を分ける境目、とされているからか、
「考えない練習」という発想がもう、ありえないみたい。

理性は英語でreason で reasonは理由という意味でもあるから、論理を、感性より重んじているのかな。

いえね、考えることが悪いわけじゃなくって、
考えてばっかりいることが、人生を厳しいものにしていると、、、

それに人間だって動物の一種でしょう。もちろんこのことは、ヨーロッパの人だっていやいやながらも認める。
キリスト教と仏教の世界観の違いとも関係あるのかも。

などといろいろ言ってもVは、なんだか宇宙人と話してるみたいな、またはいかにも重要じゃない話を聞いてる、っていうような顔つき。

で、Vの不眠はどうやって解決するのかな?
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by nanaoyoshino | 2010-04-26 02:47 | SimpleLife/普段着の英語

水の上でピアノを

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イギリスで一番きれいだと思うとこは?Where do you think the most beautiful place in Britain?
バーサのところ!Bertha’s place!

■place「ところ」もっとも漠然と場所を示す。Town「町」 city「街、市」イギリスではキリスト教のカテドラルがある町。 Area 「区域」「地域」
○.・.。.・・・‥……━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「普段着の英語」ピックアップ

セミリタイアしてから月2のペースで国内外を旅行する、Vの姉のバーサとその夫サム。ケンブリッジに行くつもり、とVが言ったら、いつも見ているネットのサイトから、オススメのホテルを教えてくれた。

結局もたもたしている間にそのホテルはいっぱいになってしまい、ただバーサは私たちのために検索するうち、自分たちも泊まりたくなってしまったらしく、彼らのほうがずっと早く勝手に自分たちの予約をした。Vと私は別のホテルに泊まることになったものの、出発前日になって同じ日に行くことがわかり、「そんなら」と、サムの運転する車に便乗することになった。

ケンブリッジまでの高速道路で、私はバーサに「イギリスで一番きれいな町はどこ」と聞いた。なぜってバーサとサムはイギリス中行ってるから。そしてら「ストラスフォード」だって。ストラスフォードは行ったことないけど、シェイクスピアで有名な町だ。ストラスフォードの正式名称は「ストラスフォード・アポン・エイボン」つまりエイボン川の上にあるストラスフォード。

イギリスには、この「アポン~川」と名のつく町がときどきある。

もし私が「イギリスで一番きれいなところは」と聞かれたら、バーサのところだと答えるだろう。
バーサにそう言ったら、「どこがすきなの」と言うので、「家と庭、ホスピタリティ、イギリスで一番暖かい心」と答えたら、バーサは黙って、不思議そうだった。

イギリスで好きな風景には川があることが多い、って前回書いたけど、考えたら バーサの家の庭にも川が流れている!川が流れる庭を持っている人なんて、イギリスでもそう多くないと思うけど。

ケンブリッジではその後一度だけ彼らと夕飯を一緒に食べに行った。でもあとは、あいまいに別行動ながら、携帯でときどき電話はする。こういうべったりしない関係、私は好きだな。

Vとケンブリッジの川ぞいを歩いていたら、こじゃれたキャビンつきボートが並んでいる。デッキに薪が積んであったり、洗濯物が干してあったり。野菜がころがってたり。

Vによると、ボートの中に人が住んでるそうだ。

手紙はどうやって受け取るんだろう?電気は?水は?
と聞いても、Vは何も知らない。

「どういう職業の人なのかな?」
「ふつうの人たちだと思うよ。ボートの中で仕事できる自営業の人もいるかもしれないけど」
「旅が好きで舟に住んでるんだろうから、そのまま旅に行くの」
「月に一回とかなら、行くのかもしれないね」

Vによると、イギリスでもごく一部の人ではあるけれど、もともと運河で物を運ぶなどしていて船に住みついたまま移動していたのが、家としてそのまま住み続ける人が生まれたきっかけじゃないか、と言う。

ロンドンの運河にもこういうボートがたくさんあったのを思い出して、ネットで検索したら、冬は住まなかったり、夏だけ借りて住む人も多いらしい。

舟を貸してもうける、なんていうサイトまであった。それによると、ハウスボートには一人か二人で操作するには大きすぎる舟も多く、必ずしもそのまま旅行しやすくないらしい。

日本では舟に住むなんて聞いたことないけど、イギリス南部の地形は山がほとんどなく、起伏と行っても丘ていどなので、川も日本よりおだやかに流れる。

ケンブリッジでもまるで流れてないかのような静けさだ。だからよほどの天候でないかぎり、船酔いとか浸水とかもないんだろう。

What’s life like on a houseboatと検索したら出てきたブログ。オーストラリア人の写真家が、アムステルダムで舟を借りて住んでいる。

*( What’s life like on a houseboat 

ピアノが好きな人みたい。雨の日にピアノをハウスボートでひいたら、という録音がここで聞ける。

*(*ピアノと雨音 

どこの国でも人生はまわる輪や、漂う流れに例えられることが多い。
舟の上の暮らしは、まさに漂う人生そのものみたい。
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by nanaoyoshino | 2010-03-29 10:50 | SimpleLife/普段着の英語

嘘もホントも

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あなたのお父さんのたんすの引き出し開けたら、モノの入れ方があなたと同じでぐちゃぐちゃだった! I saw your dad’s drawer earlier. The way things are put was as messy as yours.
血は争えないな。It’s inheritance!

↑↑↑↑普段着の英語ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Vの実家におととい来て、きのうVのお父さんの老人ホームを訪ねた。老人ホームって、考えたらあんまり訪ねたことがなかった。Lおじさんのところ以外。Lおじさんのとこは、小さなアパートって感じだったけど、Vのお父さんのとこは、中級ホテルのスイートルームって感じ。広々したきれいな居間と寝室と、ダイニングキッチン。窓から見える整えられた庭も気持ちよく、日当りもいい。

お父さんはこの建物の内装や設備(お姉さんが整えた)には満足しているようだったけど、老人ホームに大喜びで入る人ってイギリスでもきっと少ないんだろうな。できれば来たくなかったっていうか、しかたなく、あきらめの気持ちで来たっていうふうな印象を私は受けた。

Vのお父さんがいなくなった家は、私にはいる意味がなく感じる。Vはもともと育ったところだから自然に感じてるのかもしれないけど。以前は何にもすることがなくっても、お父さんがいるからいる意味なんて気にかけてなかったけど今は時間がとてつもなく長く感じられる。この家に私とVだけでいるなら、べつに東京にいたって同じだから。

今日はLおじさんの老人ホームを訪ねた。LおじさんはVのお父さんとは3つくらいしか年が違わないらしいけど、Vのお父さんと違ってまだ何でも一人でできる。とても元気そうだった。ただ片目が昔からかなり悪いので戦争にも行かなかったし、今はたぶんもっと悪くなっていて、車がたくさん通り大通りをわたることが難しいらしい。

Lおじさんは昔の話をいろいろしてくれた。私は昔の話を聞くのが好きだ。歴史とか、それだけではおもしろくないけど今と比較するとおもしろい。Vのお父さんは、私とVの最近行った場所の写真を見せようとしたら、それすらもいやがった。感傷的になるから、と言った。Lおじさんにその話をしたら、今は何もできなくてどこにも行けなくなったから、そういう自分を思うと辛くなるから人の写真を見るのもいやなんじゃと言ってた。

Vの家族はお互いをいつもいたわりあって、明るくて、現実とは思えないほどよい家族だとずっと思ってきた。今でも別にそれを否定はしないけど、お父さんが老人ホームに入ったときは、お父さんは入りたくなかったけどVのお姉さんたちが入らせたかったのだ。Lおじさんがそう言っていたし、お父さんは私がいる前でも入りたくないと言って泣いていた。

ヘルパーを入れるときも同じでお父さんはヘルパーはいらないと激怒していたけどお姉さんたちがあきらめずに、結局ヘルパーに来てもらうことになったのだ。

Vのお父さんは足が悪いために、1度か2度、倒れてヘルパーがやってくるまでおき上がることができなかった。そういうことがあってお姉さんたちは、ヘルパーが来るようになってからたった数ヶ月で、今度は老人ホームに入れてしまった。また起こったら心配だと思ったのだ。とくに自分たちが旅行して数日お父さんを訪ねることができないときなどを心配していた。

心配はもっともだけど、ヘルパーや老人ホームとお父さんを手厚く介護するたび、お父さんのからだは急速に弱ってくようにも見える。半年前までは杖をついて歩けたし一年前は私と一緒に散歩できたのに、今では歩行は車いすだ。

この家族はずっと変わらないような気がしていたけど、いろんなことが変わっている。
お父さんの世話をしているのは、お姉さんで私は何にもしてないから、その苦労や心配を責める訳にはいかないけれど、お父さんがたった半年でこれほど環境を変えた結果、不満ではないとしてもあきらめの境地という様子をしているのは、理想の家族の姿にも、そうでないようにも見える。

ただVは私より早く里帰りしてはヘルパーが入る前お父さんの入浴などを助けてた。そしてお父さんのことを私とある程度共通の観点(お父さんはいやがっていたのに大丈夫だろうか)から懸念もしてたけど、今も誰を責めるでもなく鷹揚に状況を受け入れてる。この悩まず批判もせず、自分にも他人にも寛容なのが、この家族の平和であることと何か関係あるんじゃないかという気がしてる。
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by nanaoyoshino | 2010-03-06 08:45 | SimpleLife/普段着の英語