タグ:アート ( 4 ) タグの人気記事

ラブドール

e0144237_2414938.jpg



息していないな、って
7番目の写真*(この写真)で思う。

*ウェブギャラリー写真集
(もし飛ばなかったらURLコピーで。http://wired.jp/2012/06/13/laurie-simmons-lena-dunham-girls/)

であ、そういや、自分は生きている、
息してるってあらためて思い出す。

なのにこの写真の娘の何も見ていない瞳は、
生きている人の言葉以上にじょうぜつで悲しげ。



私も子供の頃から人形が好きで、
人形に人格を見て話しかけてしまう。

こういう性癖を「ネクロフィリア」*と言って、
死体愛好者と同じ呼び方をされることを、子どもじぶんに知ったときは
ショックだった。

人形と死体は自分にとって、まったく別個のものだったから。


死体と人形に関する記事。
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2839589/8047957

*(性的嗜好に限らない広義で)人形や死体に話しかけるといった倒錯的行為
[PR]
by nanaoyoshino | 2012-06-19 19:56 | チェック!

Pepole from English speaking countries love poetry.


日本語訳はこちら→「英語圏の人は詩がお好き」

e0144237_23414397.jpg

When I lived in England I saw a sheet of paper on the boad in the libray lounge. I did'nt know what "the poetry reading" meant. I went there because the poetry reading was held in the town center where I used to browse often.

It was a simple gathering by approxmately 10 people and they read out their own poems to others. It was like a post-graduate class meeting in a way, with somone not a teacher who gives a lecture. Instead a man only occasionally gave his short comments to the poems. The biggest difference for me from the post-graduate literature class was that the site was a huge and freezing gateroom of a mideval castle fort probably much the same as a 1000 years ago.

A few years ago I heard that there was a poetry reading in Tokyo. Latelly I went to an English pub in Tokyo instead of a castle gateroom. It was much like the poetry reading in England. Most things happened just in the same way as in England except that some people played the instrunments or had their own or other writer's essays insetead of poems.

I heard this gathering has been continuing for more than 30 years in Tokyo by mostly English-speaking people such as British, American and Australians. The language was mostly in English and sometimes Japanese. Perhaps the events like poetry reading are not unusual in the UK and they could be compared with the Japanese Kukai aslo held traditionally by Haiku lovers since hundreds years ago. My hudsband sometimes reads some poems by T.S Eliot and W.E.Blake to his memory.

Literature sometimes reminds us of the social codes and pressure that we were not necessarily cooncious in everydaylife, other times the mystery of life and the wonder of love.

about the photo
The monitor at the satation shows the tired looking faces going back home from work after the day.
Tips ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━○.・.。.・・・‥……
I’m moved!  かんどう!
How nice! すてき! 
I’m angry!  はらたつ!  
How bad!  やば!
Amazing!  すごい!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━○.・.。.・・・‥……
[PR]
by nanaoyoshino | 2008-09-03 23:43 | Simple Life/English

ブログの写真とメディア

e0144237_2343743.jpg
ブログにのせる写真について書いておきますね。写真は、書かれてる文章を補う目的じゃなく、文章とどこかでクロスする(接点がある)ものを載せてます。メディア広告の仕事をしているせいもあり、広告や雑誌、ときには鏡や、鏡の役割をするものなど、さまざまなメディア(情報の送り手と受け手の間を介在するもの)をおもに撮っています。

今私たちが受けとめる情報はほとんど何かのメディアを通して表される。メディアによってもともとの内容はいつも少し変化してしまう。たとえばイギリスのオリンピック報道は、日本とイギリスそれぞれの得意な競技に共通のものがほとんどないから、日本でまったく見たことがない競技種目ばかりが報道される。こんな種目があったのか!とたぶん別の国へ移動するたびに驚くんだろう。

メディアを報じる側の価値観も当然入る。たとえば新聞で、いっぽうで重大ニュース扱いなのに、別の新聞では掲載すらされてないことが珍しくない。そういうことを意識しながら情報を受け取ること、メディアをうのみにしないでメディアとつきあうという姿勢が、正しく判断するうえでとてもたいせつだと思ってます。

メディアは意図してもしなくても、結果として表現になります。セキュリティーのためのモニターに映る人々の姿はなぜかうつろに見えます。こんなふうに表現目的でないメディアに切り取られたイメージが、偶然映された人たちの内面を暴露しているかのように見えることもあります。

過去のすぐれたメディアを入れて撮影した写真など、写真は必ずしも記事の内容そのままの場所を写してはいません。風景写真の場合は、わかりやすいきれいさを条件として選んでますが、きりとられた小さな四角い世界以上の、時間的空間的、つまりストーリーや人生、宇宙など、イメージがふくらんでくるような、または驚き、不思議さなどの「余韻」がある写真が好きです。
皆さんはどんな写真が好きですか?

<写真について>
目をつぶった顔って、(たとえば親しい人の寝顔、電車の中で寝てるサラリーマン、乳母車の中の赤ちゃん)起きてる顔と違って見えませんか?
はしたなかったり、無防備だったり、無垢だったり、死んでるようだったり、怒ってるようだったり、可愛らしかったり、赤ちゃんなのに意外と大人っぽかったり。
撮った場所:東京
[PR]
by nanaoyoshino | 2008-09-01 23:48 | profile/プロフィール

20 コンドームと仮面(mask)

e0144237_1375282.jpg
(ミュージアムショップにて) At the museum shop.
「見て、このマスク。まんなかに‘X’のしるしがついてる。これをつけると口がミフィーになれるんだよ」
”Look! This mask has a ‘X’mark in the middle. Your mouth becomes Miffy’s with this.”
「ほんとだ、隣の絵本のミフィーみたいだ」 ”That’s right! That’s like Miffy’s picture book next to this mask.”
「以前私が好きだったジョーク覚えてる?」 ”Do you remember your joke I liked before?”
「僕の妻はどこだ!」 ”Where is my wife?.”
(私がマスクをはずす)I take off the mask.
「あっ、君が僕の妻だったんだな」 ”It’s my wife!”
○.・.。.・・・‥……━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


「普段着の英語」ピックアップ

***美術館に初めて行った。長年一緒に仕事をしてきた広告クリエイターのAさんのご家族が芸術家で、作品を展示してたから。以前からAさんにアーティストのご家族のことずいぶん聞いてた。たぶん私と同じくらいの年齢で、外国に長く住んでて、結婚相手が最近亡くなって、それから大病を患ったり、そんなこと。ご本人を見かけたけどとても元気そうだったし、想像したとおり魅力的な人だった。

展覧会には海外作家も含め、現代の注目されているアーティストの作品が展示されてた。見終えた後、ヴィンセントがどれが好きだったって聞いた。透明な細長いビニールを天井からぶらさげたやつかな、って答えた。これは別の日本人アーティストの作品ていうかインスタレーション。ヴィンセントはそれを見てコンドームを連想したって。あーそんなことばっか考えてるんでしょ、って冗談言ったら、急いで「傘袋かな?」と訂正した。その日は雨が降ってて入り口で傘袋渡された。

なんでそれが好きなのかっていうと、白い何もない部屋に透明な薄い膜みたいなものが、いろんなカタチに折り曲がってぶら下がってて蛍光灯の光が少し透けて、きれいだったから。といってもコンドームはいい発想だった。というのも私はそのインスタレーションを見て、「消費社会」を連想した。

コンビニやマックのゴミ箱って、紙類はほとんどなくて、ビニールやプラスチックばかり。ずっと前中国のまだ経済がそれほど発展してない田舎のゴミ箱の中をぞいたら果物の皮ばかりで、ゴミ箱を意味する中国語の漢字(果物の皮の箱とかそんなふう)そのものだったけど、消費社会のゴミってビニール類が多いんだなって改めてそのとき思った記憶がある。コンドームも性を消費してる、消費社会の一側面だ。

ヴィンセントは他のアーティストの作品で、ムービーで自作自演してたのが気に入ったって。トレーシングペーパーみたいな紙をかぶってその紙の上に口紅で口を書いたりアイラインで目を描いたりしてたやつ。西洋人ってマスクってものに、日本人と別の明確なイメージを持ってる気がする。日本人はマスク=医療目的と思うけど、もともとマスクって英語だし、伝統的には上流社会の仮装舞踏会とか「別人になる」という認識なんだ。マスクにメイクする人に、誇張された人間の虚構性とか二重性とかをヴィンセントは感じたのかな。

そのムービーの隣に展示された同じアーティストの作品は壁に絵が描いてあって、その上にムービーでメイクしてたのと同じトレーシングペーパーが貼ってあり、そこに別の絵が描いてあって絵はしっかり貼られてなくて一部がはがれていて壁の絵と紙の上の絵と、両方の絵が見えるっていうやつ。

クリエイターAさんから以前ご家族のアーティストは、芸術家だけどお金はあまりないって聞いた。他のご家族にもひょんなきっかけからお会いして話しをしたこともあるけど、私の母と価値観が似てるなと思った。私の母は以前書いたように、自分の父を尊敬してたのだが、母の父、つまり私の祖父である人はお金のためじゃなく地元文学の編纂という仕事に一生を費やした。

この美術館、「私の遠い親戚が建築家なの」とヴィンセントに説明したことがあったけど、建築家は私の祖父の甥にあたる。この建築家の作品は他にも写真でも見たことがあったけど、実物を見たのは7歳のとき以来で、やさしさと新しさを感じるこの建物に、意外なほど好感を持った。建築家は最近亡くなったのだが、(子供の頃からよく名を聞いてたけど一度も会ったことがない)彼の建築を見て中に入って、亡くなる前に一度会いたかったと思った。

人気blogランキングへ←Thank you for clicking!
[PR]
by nanaoyoshino | 2008-04-27 22:57 | SimpleLife/普段着の英語