ジプシー、ロマ

イギリスで学生をしていたときに、同じフラット(1フロアのシェアハウスのようなもの)に住んでるイギリス人の男の子が、自分の実家と家族の写真を見せてくれた。別に私がとくに仲がよかったわけじゃないから、たぶん誰にでも見せてたんだろうと思う。

それは家じゃなくてキャラバンとか呼ばれる、移動式の家というか、大き目のクルマというかそんなふうなものだった。キャラバンの横のひもに吊るされた洗濯物がいっぱいでやけに目だってた。家族の姿はよく覚えてないけど、妹だか子供たちが映っていたような気がする。キャラバンはたくさん、空き地のようなとこに留まってた。

最近ボランティアの仕事で記事を書いていて、ヨーロッパのジプシーのことを調べていた。もともと他の人が書く予定だったのが、彼女が忙しくなって、私はそのときイギリスに滞在していたので、その彼の記憶もあり、(彼の居所は今ではわからないけど)ジプシーのことなら書きやすいかなあと思い「私ヒマですから書きますよ」と名乗りをあげたのだ。

彼女は、日本の文献を調べれば調べるほどジプシーとは誰なのか、わからなくなるっていうふうなことを言っていた。それに加え本業でとても忙しくなってしまったのだ。

私はそのボランティア団体の本部がイギリスなので、帰国前に寄ることができるようジプシー問題担当者にアポイントをメールでとって、彼女の疑問を聞いてみた。

彼はちょっと、別世界から来た人でも見るみたいな反応で私を見た。事実、ジプシー問題のおそらく現場に関わっている専門家のような人から見れば、ジプシーっていったいどういう人ですかね、って質問するアジア人は別世界から来ている人なのだろう。

ちなみにジプシーというと差別のニュアンスを感じるジプシーたちが多いと言う。歴史的にジプシーは、想像もつかないほどの差別をヨーロッパで受けてきたのだ。それで研究者や国際団体などではジプシーでなくロマと言うのがふつう。

担当者は、私に会うなり「30分だからね、いい?」と言った。はるばる百キロ以上も遠くのど田舎からやってきたなり言うんだからね。でも、意外に1時間近くジプシーをどう定義するのかの話は続いた。

私の拙い英語で解釈できた限りでは、イギリスのジプシーの多くはロマではないちょっと違う存在であること、あと、ロマは自分をロマだと認識し、ロマ特有の言葉を話すこと、それがロマの定義に関する彼の主なポイントだったと思う。(ジプシーはロマを含む)

少なくともジプシー問題担当者には、ジプシーが誰であるか明らかだった。その彼を目の前にすると、私にも実在のジプシーがなんとなく目の前に具体的に見えるような気がしてきたが、あくまでもそれは私が短い間とはいえ同じフラットで暮らした男子学生のイメージがもとになっていた。

日本の彼女が、ジプシーとは誰なのかわからないという、それはジプシー自身によるジプシーの本がなく、第三者の本がほとんどだと言うことと関係していたのではないか?私もイギリスに行く前と帰ってからいくつかジプシーの本を読んで、彼女のいらだちが理解できた。だって読む本読む本、どうも話したこともない人びとのことを推測で書いているみたい。まるで霧がかかった視界でジプシーを見て語っているよう。

帰国後出版社の人から、イアン・ハンコックという人によるジプシー問題の本を借りて初めてジプシー自身による本を読むことができた。それで相当視界がクリアーになったように思ったが、この本はほとんどいわゆる差別問題の歴史的証拠をられつするという作業に限っていた。(この作者はそういう記事、書類をコレクションをしているよう)

Roxy Freemanっていう女性はイギリスのガーディアンっていうリベラル系新聞の記者をしていてジプシー問題というと彼女の筆によることが多かった。この人は自分がジプシーだと書いていたので彼女の本“Little Gypsy”の一部を読んだ。

知りたかったのは、ジプシーによるジプシーの生活だった。タイトルや書評からはそういうことが書かれているのかと思った。でも自分の両親のことや恋愛のことが主で、ジプシーの生活はあんまりわからなかった。というか、この人ジプシーかもしれないけど、伝統的なジプシーではない。両親の1人のひいおじいさんがロマらしいが、2人とも出自は普通の定住生活者の家族で、当時のヒッピームーブメントの影響もあって?あくまで自分からジプシー生活を選んだ。

正直、この人の自分史はあんまり楽しめず両親の話も型にはまっている印象だった。でも唯一今の段階でおもしろく感じたのは、この人のキャラバンで?火災があったときの記述。一晩中燃えるのを見ていたらしい。たいした持ち物もないから残念だけどまあいっかからだは無事だったしっていう感じで。

持ち物がないっていうのはこういうことなんだ。どこにでも行ける。何も持ってない。うまく言えないけど私はいつでもそういう状況に憧れがある。

著者の家族のジプシー生活はじっさいに30年以上続いていたわけだから事実には違いない、ただ、ジプシーの多くに共通する生活感覚とはたぶん(最後まで読んでないから断定はできないけど)ほとんど関係ない話だった。

著者Freeman(本名?)の両親は、生まれた子が死産だったとき役所に知らせず埋めてしまって警察から取調べを受けた。その例が示すように、著者の両親は世の中のきまりやしがらみを避けて、自由きままに生きていた。

楽しくステキな暮らし。でも何百年も差別され、ナチスに皆殺しにされ、ゴミ捨て場にガラクタを組み立て自分でこさえた家すら、ブルドーザーでつぶされるロマとはぜんぜん違う。
(今の時代にヨーロッパの各国で、フランス、イタリア、イギリスでもブルドーザーでジプシーのキャラバンや家がつぶされている、ほんの数ヶ月前もイギリスでニュースになっていたけどほとんど世間からの同情もなく、なんでこんなことがニュースなのといった反応が、広い差別を表している)

「あっちのジプシーといっしょにしないで」というジプシーが多くて、ばらばらだから政治的な発言も権力もなくジプシーとは何か、ヨーロッパでも明確にわかっている人が少ないというのはこういうことなのか、っとこの本を読んで改めて感じた。
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by nanaoyoshino | 2012-05-01 02:30 | hundreds of days off
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