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チェコと軽さ

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じっさいにチェコに来てみたら、ミラン・クンデラの小説「存在の耐えられない軽さ」のほうが思い出される。

今泊まっているホテルはプラハの中でもペトシーンという丘のふもとにあるのだけれど、この丘の名は聞き覚えがある。

長いこと読んでないので正確なことは思い出せないけれど、主人公のテレサという若い女がこの丘を夫のトマーシュや犬のカレーニンと歩いたのか、またはトマーシュや彼の浮気相手のサビナが、誰か別の異性と待ち合わせした場所だったのか。

じっさいのペトシーンの丘では、家族連れや若い恋人たちや、読書する若い人など、どの都市の一番大きい公園とも同じような光景が見られる。

その前に泊まってたホテルは13世紀からあるとかで、アーチ型の天井下のプールがあって、そのプールは映画版の初めの方にあったシーンでジュリエット・ビノシュ演じる主人公のテレサが泳いでいた温泉プール(ホテルのよりはるかに大きいけど)に似ている。

このシーンで一人で中世風の作りのプールを平泳ぎで上手に泳ぐこの女優のからだのなめらかな動きが印象的だった。

さっき前を通ったバーは、テレサが夫の浮気に悩んで、自分もバーで働いてたとき試しにお客と寝てみたら相手は諜報部員だったのではないかと後々考え始めるというその場面にぴったりな感じ。つまり基本地元客なんだけどよそ者がふっと混じってもおかしくない、って感じのバー。


きのうチェコ郊外にある元ナチによってユダヤ人やら思想犯やらが拘禁されていた収容所跡に行った。ナチの話は、子供の時分から「アンネの日記」とか映画や本、テレビなどで見た。でも行ってみたらぜんぜん予想していたのと違った。

たとえば「Albeit macht Frei (働け、そしたら自由になれる)」と、英語と似ている語彙で(アルバイトはドイツ語で働くという意味らしい)書かれた門の標語。

処刑場、1部屋に百人近くが収容されていた部屋の、棚のようなベッドやテーブル。モノのように扱われた多くの人が、骸骨のように軽くなって餓死した。

ほかにもそこで見たことはこれまで他のメディアで伝えられて見たのと大きくは変わらない。

なのに、じっさいに死体が燃やされたりおかれたりした場所、拷問が行われた独房拷問や処刑、ナチや支配政党に異を唱えた人、彼らの友人や家族、反対のニュアンスを表現したと考えられた芸術家たち、同じく支配政党にくみしなかった教授など亡くなった人々のプロフィール、逃亡や拷問、死の記録、家族のリストなどがえんえんと展示されているのを半日見ていたら、その凄惨さが肉体的に感じられる。そういうことは想像してなかった。

もう1945年に終わったことだから、65年も前のことで、跡を見るだけだから映画で見るのと大差ない体験のはずだったのだけど、やっぱり現場に行ってその場の空気や臭い、湿度、壁の質感、明るさ暗さ、広さ狭さを感じるのは、自分の部屋で気楽に写真や映像を見るのとは違う。

ナチが事務をとりおこなっていた建物には、当時のことについて、いろいろ文章で書かれていた。現在は虐殺としてネガティブに書かれているわけだけど、読み手にはそれを正義として書こうが虐殺として書こうが、じっさいにキャンプとして使われていた収容所の現場を見た体験の後ではたいしてインパクトはなかった。

もちろんこのようなことが行われていた当時は、すべて正義とかよいこととして国際的に報道されていたのだと思う。現在だってグアンタナモや南米やアジアで虐殺や暗殺、拷問が正義の名のもとに行われているのと同じで。

チェコに来て、この国は日本やイギリスとまったく違って、ソ連とかドイツとかの侵略につねにさらされてきた国だとわかる。そこでは人間1人の尊厳などはない。目が覚めたら何者かに逮捕されていたり虫になっていたりする物語を書いたカフカ、人間1人の存在を限りなく軽い生としていきようとしたが、うまくいかなかったトマーシュが主人公の物語を書いたクンデラがチェコの作家なのも、国の歴史と無関係ではないんだろう。

そういえば、以前ブログにも書いたけど、泳いでいるときの体はとても軽い。まるで空を飛んでいるみたいに。
by nanaoyoshino | 2010-08-05 10:00 | hundreds of days off
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