マイケルの夢夢の中で私はなんてラッキーなのと思いながら、私とマイケルは出会う運命だったのであたりまえだと思ってた。マイケルは前からの友達みたいでもあり、でも何もその後会う約束なんかはしなかったけど、夢だからすべて自分にとってあたりまえで、ただ私とマイケルが出会ったのはふたりが特別な運命によって結びついてたから、なにか時間を超越した出会いという感覚だった。 初めてマイケルを見たのは、どっかのレコード店の店先の画面だった。マイケルのしぐさ、ダンス、容貌、ビデオの息もつかせない演出にくぎつけになった。これほどまで自分をひきつける、たとえ会ったことがない人でもそれはもう運命の人以外の何者でもなかった。 それからしばらくして整形手術のことが話題になったけど、あの美貌がそんな人工的なものだなんて、これもやはりエラク納得がいくような気もしたし、人間のワザであれほどの美貌が作られうることがウソみたいでもあった。あんまり圧倒的だから、その背景がどうであれなにやら納得したというか、どうでもよかったのだ。 恋ってなんなのか、40代の今でもわたしには不明。べつにマイケルに恋したのかどうか、わからない。ただショックだったのだ。それいらいこんなふうに自分で自分に問いかけたり書いたりしたことはないけど、あのときはマイケルが作った音楽世界がマイケルというキャラクターに同化してたんだと、ずっとわかってた。私にとって音楽はいつだっていちばん気持ちを動かされる表現だった。 あのとき彼は、自分の好きなことをしただけ?名声のため?お金?他にやることがなかった?人からすすめられて?そんなことは個人的にはどうでもいい。ただ、ショックを受けたのは、音楽のおまけじゃなく、音楽と動画がひとつになって独立したエンタメになった彼の作品。それまであんなものを見たことなかった人は私だけじゃないんじゃないかな。 「スリラー」以前、音楽ってコンサート以外では、見るものじゃなかった。レコードはマスプロダクトでもそれは聞くものだった。ポップミュージックを、「動画」として量産することになった、ポップミュージックの領域そのものを変えたのはマイケルだったような。(その後20年たって、You-Tubeでもっと、音楽は動画として再生されてるけど)音楽なんだけど、古典的エンターテイメントの要素を集めたミュージカルのようなコンテンツとか、技術の高さや、その中でパフォーマンスする彼の中性的で完璧な美貌とダンス、そういったすべての組み合わせやらがすごく効果的で、初めて出会った何かだった。
by nanaoyoshino
| 2009-07-04 02:14
| hundreds of days off
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